アイルランドのドロレス・カーヒル教授が始めたフリーダムエアウェイが面白そう。
私も、去年は日本へ帰れず、今も宙ぶらりんのまま…。 訳のわからないテストも受けたくなければ、10日?2週間も自主隔離?なんてしたくないし、マスクをつけて10時間以上も飛行機なんかに乗れない。 コービットレポートがカーヒル教授をフィーチャーしたインタビューで、教授はハッキリと、テストを強要することも、予防接種を義務化することも「違法だ」と言っていた。 https://www.corbettreport.com/freedom-airway-solutionswatch/#outer-wrap “でも、皆知らないから、まずは正しい知識を広めなくてはならない。” 耳が痛いぃぃぃ…。 「検査は必須です」とか言われちゃったら「そうか、しょうがない」と思ってしまうぐらい、感覚が鈍ってしまった私たち…。 カーヒル教授が立ち上げたフリーダムエアウェイというプロジェクトは、自分の権利について正しい知識を広め、飛行機を使って移動する人たちが見せられるように、テストや摂取を強要することが違法である旨を書いた証明書を作成したり、いずれは空港を購入したり、飛行機をチャーターしたり、ホテルも斡旋して、自由な移動を丸ごと提供しよう…というもの。 https://www.freedomairway.com/ 面白い! カーヒル教授は、疫学?かなんかの教授だけども、自分でビジネスをしてるみたいで、経済の感覚も発達してる。 アイルランドは知らないけれど、アメリカも将来医師になりたい人でもメディカルスクールへ行く前に、他の科目で学位を取るものね。 日本みたいに、18歳でそのまま医大なり何なりに行っちゃう方が珍しいのかもしれない。 カーヒル教授の話では、例えばダブリンなんかのホテルも経営不振に陥ったり、倒産に追い込まれ、段々気づき始めているとか。 航空会社や、今回最初から各国の対策に歩調を合わせなかったブラジルみたいな国々ともコンタクトを取ってるんだそう。 アイルランドのバジェットエアライン、ライアンエアのトップは去年「テストも摂取も義務化しない」と言っていた。 何故なら、売上が下がるから。 今も同じように思ってたら良いけど、ヨーロッパでは日に日にビジネスオーナーが我に帰るように「こんなことしてる場合じゃなかった」という方向に向かってるよう。 今週末の土曜日には世界中で#グレートリオープニングというイベントも予定されてるらしく、事業主らに「リオープンしよう」と呼びかけてる団体もあるみたい。 先週か先々週ぐらいに、イタリアのある街でやって大成功を収めたというツイートは見たけど、それを受けてのグローバルなムーブメントだそう。 どうなるのか、私も自分のエリアの様子を見ていよう。 ↑最初の動画で、カーヒル教授が関わってる複数の訴訟についても話してる。 他にもカーヒル教授は、医療機関や航空会社で働く個人の行いにより被害を被ったということで、民間の保険会社から補償を求めるやり方があることなんかも話してて、制限をかける側もそろそろ「上司に言われたことをやっていただけ」と言いのがれができないことに気づき始めてるというような話をしていた。
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情報弱者というのは誰かのことを指す…というよりも、誰でも陥る可能性のある状態を指すと私は思ってて、情報の精度とか、ましてや誰が発信してる情報かとは無縁な気がする。
ある特定のメディアしか見ないという人が情弱に陥り易いのは、偏ってるからで、その特定のメディアが信頼できるかどうかは別問題な気がする。 去年、いよいよメインのメディア媒体から離れて、インディペンデントジャーナリストさんや、個人のYoutuberさんたちに流れた人たちが増えたと思う。 でも、情報の仕入れ先?を変えても、情報との関わり方を改めなければ、相変わらず情弱な状態に陥ったまま…なのよね。 情弱な状態にある人の情報との関わり方って、基本的に振り回されてる状態で、それは感情的に振り回されている、つまり一喜一憂してる感じ。 それは、自分自身の感覚というのが、見事にお留守になってしまってる状態。 前向きなエネルギーを感じさせてくれる情報や発信者に、共感して、ポジティブな気分になるのも良いけれど、何だろう?依存してしまっては、その相手次第、情報次第で、あなたの「ポジティブ」はいつでも変わるという脆弱性を孕むから、いつまでも与えられる刺激に反応させられ続けるという、ある意味奴隷であり続けることに…。 それよりも、自分の感覚を感じれるようになった方が安定するの。 キーワードは、「何が起こっていようと」、「何と言われようと」であって、それは周りの状態や発言によって「常に左右される自分」という弱々しい自分という前提ありきじゃなくて、常に「私はこうだから」と先手を打つように選択し続ける心意気みたいなやつが、有るか無いか…ということ。 如何なる情報も、例えどんなに信頼ができる情報源でも、決めるのは自分…ということを、自分がさっさと決めなければ、情報ソースを変えようと、広げようと、ずーっとずっと情報弱者という状態から抜け出せないままで、それは常に、他人が作り出した状況やシステムの中で「仕方がない」と、どこかで諦めながら生きていくことに変わり無い気がするのよねぇ。 自分の感覚って、肚という部分で感じる感覚。 ハートに問いかける…というのがしっくりくる場合はソレで。 そこで感じようとした時、ザワザワするとか、ド〜ンとするとか、軽いとか、ズッシリのしかかるとか、色んな感じ方があって、人それぞれなので、「ザワザワする時はこういう意味」みたいなルールもないの。 自分でキャッチしなくてはならない。 例えば、ザワザワする時がめっちゃGo!サインの人もいれば、ザワザワする時が注意喚起のシグナルの人もいる。 これは一人一人違うので自分で見極めること。 それをね、全部人任せにしてると、情弱という状態に、いつでも誰でもハマってしまうんじゃないかなぁと私も日々、お気に入りのYoutuberさんたちの動画を楽しませて貰いつつ、自分にリマインド。 私は、好きなYoutuberさんやジャーナリストさんたちには、これからも自分を信じて自由に情報発信を続けて欲しいもの。 情弱という状態に陥り易い人ほど、立場が変われば言論弾圧をしてしまうんだろうな…、つまり言論弾圧してる側も情弱と…というわけね。 やっぱり精神的な自立…、大切ねぇ。 昔、むかーし、イギリスのインターシティレイルで、寝こけていた私が目覚めるとこんなメモが私の手の中にあった。
それは2センチ×7センチぐらいの紙で、そこには「You’re beautiful.」と書かれていた。 それまで「かわいい」ぐらいは、言われたことは無かったことは無かったけれど、「美しい」と言われたことが無かった私には衝撃的だった。 誰が置いてくれたのかわからないけれど、きれいな筆記体で書かれていたそのメモ。 そうか、私はかわいいと言われるに甘んじていてはいけないのね…と思った。 その時、何と無くいつも「妹」として、「かわいく」収まっとけば「得」だったという「思い込み」に縛られて、小さくまとまってた自分に気づいたのかもしれない。 そうか、私「若い女の子」じゃなくて「大人の女性」なんだ!みたいな感覚。 昨今、女性性というエネルギーについてよく語られるけれど、日本はすごく女性性が歪められてしまって、それは例えばファッションや女性向けのプロダクトを観察してると分かりやすい。 精神的に幼く感じる。 女性を精神的に自立させないプログラミングは、女性にはもちろん、男性にも散りばめられていて、いつも日本へ帰るたびに感じる。 女性性というエネルギーは、女性を大切にするとか、女性の社会進出が〜とかいったレベルの話じゃなくて、常にクリエイトし続ける力のことで、女性にも男性にも関係する、命に関わるエネルギーのこと。 それが歪められた女性性。 日本のファッションを見てるとわかりやすいと書いたけど、それはお店で売ってるものだとか、皆が着てるものだとか、トレンドの語られ方とかのことで、メイクも含まれる。 イギリスはかつて、その辺に関してはもっと尖っていた気がするけど、ここ10年、20年で一気に媚びるファッションが浸透してきて、「もういっそのこと、裸で歩かれてはいかがですかー?」みたいな格好の人も見かけるのだけど、仕事柄、一瞬、そんな格好してる人たちの奥深くに、傷つけられた女性性や男性性を垣間見て、痛々しく感じる。 そう、男性も女性と等しく、これに関しては傷つけられてきた。 女性なら乳がんだとか子宮系の病気、男性な前立腺がんみたいに、身体に症状として出る人も多い。 女性性という話になると、フェミニズム的なディベートにも陥りやすいけど、全く違う。 あれも、結局は本当の意味で女性性や男性性といったエネルギーの本質から遠ざけるディバイスとして利用されてる。 20日から始まった水瓶座のシーズン、私と同じ水瓶座の平塚雷鳥の言葉、「元始、女性は実に太陽であった。」を思い出す。 「かわいい」というエネルギーも、子どもを見ているとパワフルだと感じるけれど、女性は美しいというエネルギーで、それは太陽のような、晴れの日のような、そんなパワフルさを持つ。 私はそうありたい。 |
Ray of Sunshine
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