パニックアタックや、鬱だという方々の特徴のひとつに、
「自分以外の人たちは皆、毎日ポジティブに生きている」という幻想があります。 だから私が、 「そうやって落ち込む日はまた必ずありますよ。」とか、 「私だって、調子悪い日ありますよ。」とか言うと、がっかりする人もいます。 いつも化粧バッチリな人も、化粧を落とした顔があるように、 ポジティブしかない人なんていません。 逆に、ポジティブな人ほどネガティブもそれなり…なんです。 そこそこポジティブな人は、そこそこネガティブだから、 めちゃくちゃポジティブな人は、めちゃくちゃポジティブなわけです。 つまり、めちゃくちゃネガティブな思考がある人ほど、めちゃくちゃポジティブな思考もあるということ。 これは念の強さと同じ話で、エネルギーは嘘をつきません。 「人に念を飛ばされる」と被害者意識が強い人ほど、お祓いやお守りを求めますが、そういう自分も念を飛ばしているわけです。 念とは、必ずしも「このヤローっ!」というモノだけじゃなく、「この人ー!!」みたいに、ある人についてめちゃくちゃ考えてる時も飛んでます、その念が。 一面だけの存在なんてあり得ないわけです。 ネガティブな思考に見舞われ、「こんな自分は嫌」と、向き合えない人は、ずっとパニックアタックが続きます。 ポジティブとネガティブの間の、あらゆるエネルギーを持つ自分と付き合うことが鍵になってきます。
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“When you take control of the emotions that keep you so attached to the reflection, you free yourself from the mirror.”
(Vadim Zeland, “Transurfing”) "あなたを鏡に映るものに執着させている感情をコントロールすれば、その鏡から解放される" (ヴァディム・ゼーランド「トランスサーフィン」拙訳) ついついDefensiveモードになってしまう時、実は何を恐れてるのでしょうか? Defensiveモードは、守りに入ってるモードで、それは被害者の立場を取ってる時。 そもそも、なぜ被害者になりたがるか? それは、どこかで「責められてる」=「自分は悪いことをした」とか、「自分は失敗した」とか、感じているから。 そう感じている自分と向き合うのが怖いから、「責められてる」というシナリオを作ってしまう。 シナリオ通りに進むので、「責める」ような人や状況も生まれる。 じゃ、どうして「そう感じてる」自分と向き合うのが怖いのか? それは、「悪いことをした」と感じてることを認める=「自分が悪い」になるから。 悪い、悪くない、良い、良くないという、二極しかない世界では、どうしてもそうなってしまうけれど、 それは、「自分が悪いことをした」、「自分は悪くない」、「自分が良かった」、「自分は良くなかった」と、自分がジャッジしてるだけに過ぎず、 本当のところは、永久にわからないまま。 Defensiveなモードは、「しがみつく」モードでもあり、「握りしめる」モードで、決してLet it go的なサラリとしたモードじゃないので、しんどいのです。 どうすればサラリとしたモード、それは自由でクリアなモード、になるかというと、こうやって感情を紐解いていくしかないなぁと思うわけです。 というわけで、最初のトランサーフィンのメッセージに戻り、「あなたを鏡に執着させている感情」は何か?というと? 一つではありませんね。 怒り、傷心、混乱…。 これらを一つずつ、認めてあげると「呪い」は解けていきます。 さてさて、久しぶりにこの人の動画を見ました。 youtu.be/pvzZoguPUVM こちらも見ると、世界でこの問題がどう扱われているのか、よくわかると思います。 youtu.be/BpIiOtfSNe0 これはEU議会に招待されたものの、グゥの音も出なかったであろうトルドーへの真っ当で痛烈な批判の例。 https://twitter.com/AndersonAfDMdEP/status/1506905594623574020?s=20&t=yKk9U1eCswNK6kEB4HCdvg この発言をしてる女性の声が怒りで震えてるのがわかるでしょうか? 「トルドーさん、あなたは凡ての民主主義において恥です。」 EUは破綻してると感じるけれど、EU議会の議員さんたちの多くは、真っ当だなぁと思う発言をしていて、日本の、ブレてない市議会議員さんたちを思い出させてくれます。 週末、近所の駅前商店街で、〇〇党の方々が、某国への寄付金を、あの無敵の2色のシンボルを着けて募ってらっしゃいました。 国内の貧困問題、シングルペアレント、障害者、難病者、教育問題、非正規雇用問題等々、山積みですけど…、これらも、あの無敵の2色でポスターとかチラシ作って募金募ればすぐに集まるのでは…? 因みに、私もその前を不本意ながら二回ほど通りすぎましたけど、その間、誰も、一人も募金してる人はいませんでしたから、意外と皆、わかってきた?のかも。 だったら良いですねぇ。 こちらは京都の議員さんで、こちらの方も、この問題に関しては、私とほぼ同じ視点をお持ちでした。 youtu.be/__k8gmSGbO0 最近、東京で緑を求めて、公園に行ったところ、「おお!」と正に、歩いていこうと思った瞬間、「立ち入り禁止」の札に、敢えなく阻まれてしまったのでした。 「ええ?ここからがおもしろいところなのに!」と私。 グリニッジ公園はじめ、イギリスは公園と公園文化が何よりの財産だと、改めて感じる日々。 そういえば20年ぐらい前だけど、イタリアのフィレンツェへ行った時も、某公園で「今日はリラックス〜」と思って行ったら、そこらじゅうに怪しげな人たちがたくさんいて、びっくりしたのを思い出しました。 後から在フィレンツェの友人に「イタリアの公園はそういう場所じゃないよ」と笑われました。 やっぱり山奥か海辺に住むしかないかー。 某国にお住まいの推定50〜60歳のクライアントさんと、引き寄せの意味について話してました。
すごくシンプルでありながら、誤解を招きやすい「引き寄せ」。 こちらのクライアントさんも、そんな誤解にハマってたお一人で、「家族のためになることをして、家族を幸せにしたい」し、「困ってる人たちを助けたい」んだと熱く語るクライアントさんに、 「家族のためになることをして、家族が『幸せになった』ら、あなたはどんな気分になる?」と問いかけると、 「すごく嬉しいし、自分が必要とされていると感じる」とクライアントさん。 「それ、覚えといてね。」と私。 「じゃ、続けてきくけど 、困ってる人たちを『助けられた』ら、あなたはどんな気持ちになる?」と問いかけると、 「嬉しいし、自分が必要とされていると感じるし、満たされた気持ちになる。」とクライアントさん。 常々、親(特に母親)から、「お前はダメな子だ」と言われてきたというクライアントさんは、自分自身が親から感じさせてもらえなかった「承認」を、他のところから得ようとしてることもわかってらっしゃる方。 「じゃ、そんなあなたを、たとえばご両親が見たとして、彼らはあなたにどんな言葉をかけると思う?」と問いかけると、 「よくやった!誇りに思うよって言ってくれると思う」とクライアントさん。 「じゃ、ご両親にそう言われた時、あなたの気分はどう?」と問いかけると、 「嬉しいし、自分が愛されてると感じる。」とクライアントさん。 「そうそう、その気持ちそのものが、引き寄せる鍵なんですよ」と私。 このクライアントさんも、家族が彼を認めておらず不満があるという前提の下、いろいろ「頑張って」るので、何をやっても、その前提が変わらない限り、満たされる気持ちになることはない。 けれど…、 「これ」をやって、「ああ」なったら、「きっと」家族も喜んでくれる「だろう」みたいな思考の元に、いろいろ思い付いてはやって、自分に落胆してはまた思いつき…を繰り返してる。 引き寄せの鍵は自分の気持ち。 自分を変えることすらできない私たちが、唯一変えられるのは自分の気持ち。 その気持ちのチャンネルを合わせておけば、「これ」どころか、「あれ」どころか、「それ」どころか、ありとあらゆる方向から、ありとあらゆる、その気持ちのチャンネルに合った現実がやってくる。 これが引き寄せ。 何を引き寄せるか?を正確に言語化、イメージ化しようとするよりも、気持ちのチャンネルをアバウトでも良いから合わせていくこと、それしか、実はできないのだから。 その、気持ちのチャンネルを合わせる時に、エネルギーは嘘をつかないので、気持ちの中にしこりがあると、それがチャンネルになってしまうから、クリアリングしながらやると、 チャンネルの精度も上がっていく…というそんなイメージです。 |
Ray of Sunshine
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