人生って儚いなぁ〜と感じるこの頃。 ロンドンから日本に戻ってきて、母ともちゃんと話せるようになって、本当によかった。 やっぱり生きてる間に感じたことが全てで、来世も前世も、少なくとも私たちが聞かされてきた形では無いと思う。 私、来世とか前世はパラレルだと思ってたんだけど、こないだ書いたDNAの話からも、その可能性はあるなーって思ったよ。 creativeenergyhealing.hatenablog.com/entry/2023/12/22/083312 シンプルに言うと、私の祖母は私のこの「今」では他界してるけど、彼女が生きている「今」もやはりあって、その情報は現在進行形で私のDNAの中にある、そんな感じ。 で、私が生きてることも、そんな祖母が生きている「今」に影響与えてるかもしれないなーとも思う。 つまり、一方通行じゃないということ。 ま、思考の遊びの段階だけどね。 でも、満更でもない気がするのは、昨今の「これまで正しい」とされてきたことの論理破綻していくスピード感からも感じる。 今、コロナ期間の検証が日本で起きてるみたいだけど、これ、イギリスでもあったし、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ諸国でもあって、全く同じ流れだから。 「あの時は仕方なかった」という全く説得力の無い言い訳まで同じ! これはもう、「騙される側」である私たちが賢くなって、騙されないようになるしかない。 これ、正に私もそうだと思う!というツイートをいくつか見つけたのでご紹介。 今回のこともそうだけど、オーケストラの指揮者みたいな存在なんていらない。 ちょっと「そっち」へ、 ちょっと「あっち」へ、 コツンと押してやるだけで、 勝手に転がり出した。 それが人類なんやねー。 そして、皆、自発的に、それぞれの立場でそれぞれの利益に沿って動いたと…。 その「自分の利益」が個人によって微妙に異なるんじゃないかと私は思う。 自分の利益が、
それぞれの利益は、それぞれが「自分の命」と直結していたことなんだと思う。 それぞれの利益をどう設定するか?それは何百年にも渡る壮大な仕込みがあったのは歴史を見ているとわかること。 健康が命と繋がってるのはわかりやすいけど、地位や名誉が命とどう直結してるか? 同調圧力がどうしてそんなにパワーを持ったのか? 考えてみて。 それは、個人が持ってる恐怖ともリンクしてるから。 でも、始まったことはいつか終わる。 私は、自分の彼に勧められて、伊丹万作の「戦争責任者の問題」を読んだけど、びっくりしたよ。 正に、↓このツイ主の指摘と同じことを私も感じた。 そしてこれ↓ 黄色いハンカチの渥美清がよかったから、先日から初めてちゃんと「男はつらいよ」を見始めた。
にわかに昭和の邦画が楽しい。 「毎回寅さん振られるけど、リリーさん(浅丘ルリ子)とだけは結構いいところまで行くねん」と聞いて見たけど、あんなに生き生きした浅丘ルリ子初めて見たし。 写真はネットから借りたものだけど、ヌーベルバーグの映画に出てくるアンナ・カリーナとかジャンヌ・モローみたいと思う!
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今年買ってよかったもの、いろいろあるけど、やっぱりこのアタッチメントつけて使うハンドミキサーかな。
一気に台所のバラエティが広がって、俄かに充実した私の食生活。 …という風に、荷物が断然増えてきていて、これまでの人生で一番モノを持っているかもしれない今。 ど・う・し・よ・う・・・・。 実は数回「よし!断捨離しよう」と思い立ったものの、結局「あれ?何も捨てるものなくない?」となって断念。 この断捨離って10年以上前に、SNSで「断捨離してますー」みたいなを投稿を見て、「いいね!」と思ってやっていた。 それ以来定期的に断捨離してたから、割とミニマムに暮らしていた私にしては、めちゃくちゃ荷物多し。 でも11月頃に、「以前の私の在り方」みたいなのに擦り合わせるのをあきらめることにした。 ロックダウン中にロンドンでメディテーションする時に、いつも「私は今現在の世界を完全な不完全さも、素晴らしい醜さも、理不尽さも完璧に、そのまま愛します」っていうアファメーションでやり始めたんだけど、これは今の自分自身をありのまま受け入れますというワークで、クリックしたら涙が出るぐらい強力。 ↑はもちろん、私がいる「今」という座標はひとつだけ、そこからいかようにも、どこへでも行けるし、そうやって続いていくというイメージが前提。 だから「あ、そっか〜」と、変わっていくと感じることを不安に感じるのはもうやめるかーって思ったの。(それが11月) NOからじゃなく、YESから選ぶって大事やなぁと思う。 例えば、「会社やめたい」も、「嫌だからやめる」だとNOから辞めることになる。 でも、「辞めたいから辞める!」だとYESから辞めることになる。 些細そうで、言葉遊びみたいだけど、エネルギー的には結構大事で、着地点が変わる。 他にも、「あの人苦手」も、「あの人苦手」だとNOで、アンハッピーなのは自分。 でも、「あの人苦手だから距離を置いてみる」だとYESで、自分は平和。 私、イギリスへは1998年に留学で行ったのだけど、その時の私は「イギリス行きたい!」で、これはYESから。 修士課程を修了して周りの留学生が帰国準備する中、「帰りたくない」というNOからの、「イギリスに残りたい!」でYESに移行、そこから「日本に帰りたく無い」でNOへ戻る…みたいな感じだった。 当時は意識できてなかったけど、最近面白いことに気づいてね。 最初の「帰りたくない」というNOのスペースは、割と留学生が皆思うこと。 その時は皆でその思いを何となく共有してた。 そこから、自分の意思で「イギリスに残りたい!」というYESのスペースが生まれた。 それを表現したら、周りの反応があった。 「えーえー!羨ましいな!」とか、 「そっかー。私は親が戻ってこいってうるさいのよー」とか、 「フィアンセが待ってるからー」とか。 そこでちょっと感じる思いがあったのに、当時の私は感情のことに無知だったから、スルーして言い訳した。 それが「日本に帰りたくない」というNOのスペース。 「私、帰るとこないし」みたいに、自分にも言い聞かせミスリードした私は、結局NOから選ぶことになった。 その後も道は開けたし、良いこともたくさんあったから後悔はしてない。 いずれにせよ、残っていただろうから。 だけど、今はもっとYESのスペースから選ぶ方が良いと感じてる。 NOのスペースから選ぶとは、自分をミスリードして、そこで提起されてる本質的な課題に向き合えないまま、遠回りを繰り返すことになると思う。 だから、YESのスペースから選ぶ方が絶対にスムーズなんだなぁ。 文章の最後はYESになってるか、自分でもチェックしてみて。 ちょっとしたことだけど、エネルギーの出し方、出方が変わるから。 昨日のポストに書いたように母に「暖房ぐらいつけなさいよ、暖房費カンパするから」と言ったら「心配ご無用」だったようで、私に言われたからじゃなく、注射も「キリがない」とか「髪が抜ける」とか自分で体験して止めたのだと返信が返ってきた。
暖房については、お金の問題じゃないのはわかってたけど、ウチの母はこういう変なところで我慢?節約?しようとするのでああ言ってよかった。 3回打ってしまったことは悲しかったけど、ウチの母じゃなくても、身をもって体験して決めたことは揺るぎないから、打たなければ一番よかったけど本人的にはこれが自分の選択だから良かったのでしょう。 |
Ray of Sunshine
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