パニックアタックや、鬱だという方々の特徴のひとつに、
「自分以外の人たちは皆、毎日ポジティブに生きている」という幻想があります。 だから私が、 「そうやって落ち込む日はまた必ずありますよ。」とか、 「私だって、調子悪い日ありますよ。」とか言うと、がっかりする人もいます。 いつも化粧バッチリな人も、化粧を落とした顔があるように、 ポジティブしかない人なんていません。 逆に、ポジティブな人ほどネガティブもそれなり…なんです。 そこそこポジティブな人は、そこそこネガティブだから、 めちゃくちゃポジティブな人は、めちゃくちゃポジティブなわけです。 つまり、めちゃくちゃネガティブな思考がある人ほど、めちゃくちゃポジティブな思考もあるということ。 これは念の強さと同じ話で、エネルギーは嘘をつきません。 「人に念を飛ばされる」と被害者意識が強い人ほど、お祓いやお守りを求めますが、そういう自分も念を飛ばしているわけです。 念とは、必ずしも「このヤローっ!」というモノだけじゃなく、「この人ー!!」みたいに、ある人についてめちゃくちゃ考えてる時も飛んでます、その念が。 一面だけの存在なんてあり得ないわけです。 ネガティブな思考に見舞われ、「こんな自分は嫌」と、向き合えない人は、ずっとパニックアタックが続きます。 ポジティブとネガティブの間の、あらゆるエネルギーを持つ自分と付き合うことが鍵になってきます。
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某国にお住まいの推定50〜60歳のクライアントさんと、引き寄せの意味について話してました。
すごくシンプルでありながら、誤解を招きやすい「引き寄せ」。 こちらのクライアントさんも、そんな誤解にハマってたお一人で、「家族のためになることをして、家族を幸せにしたい」し、「困ってる人たちを助けたい」んだと熱く語るクライアントさんに、 「家族のためになることをして、家族が『幸せになった』ら、あなたはどんな気分になる?」と問いかけると、 「すごく嬉しいし、自分が必要とされていると感じる」とクライアントさん。 「それ、覚えといてね。」と私。 「じゃ、続けてきくけど 、困ってる人たちを『助けられた』ら、あなたはどんな気持ちになる?」と問いかけると、 「嬉しいし、自分が必要とされていると感じるし、満たされた気持ちになる。」とクライアントさん。 常々、親(特に母親)から、「お前はダメな子だ」と言われてきたというクライアントさんは、自分自身が親から感じさせてもらえなかった「承認」を、他のところから得ようとしてることもわかってらっしゃる方。 「じゃ、そんなあなたを、たとえばご両親が見たとして、彼らはあなたにどんな言葉をかけると思う?」と問いかけると、 「よくやった!誇りに思うよって言ってくれると思う」とクライアントさん。 「じゃ、ご両親にそう言われた時、あなたの気分はどう?」と問いかけると、 「嬉しいし、自分が愛されてると感じる。」とクライアントさん。 「そうそう、その気持ちそのものが、引き寄せる鍵なんですよ」と私。 このクライアントさんも、家族が彼を認めておらず不満があるという前提の下、いろいろ「頑張って」るので、何をやっても、その前提が変わらない限り、満たされる気持ちになることはない。 けれど…、 「これ」をやって、「ああ」なったら、「きっと」家族も喜んでくれる「だろう」みたいな思考の元に、いろいろ思い付いてはやって、自分に落胆してはまた思いつき…を繰り返してる。 引き寄せの鍵は自分の気持ち。 自分を変えることすらできない私たちが、唯一変えられるのは自分の気持ち。 その気持ちのチャンネルを合わせておけば、「これ」どころか、「あれ」どころか、「それ」どころか、ありとあらゆる方向から、ありとあらゆる、その気持ちのチャンネルに合った現実がやってくる。 これが引き寄せ。 何を引き寄せるか?を正確に言語化、イメージ化しようとするよりも、気持ちのチャンネルをアバウトでも良いから合わせていくこと、それしか、実はできないのだから。 その、気持ちのチャンネルを合わせる時に、エネルギーは嘘をつかないので、気持ちの中にしこりがあると、それがチャンネルになってしまうから、クリアリングしながらやると、 チャンネルの精度も上がっていく…というそんなイメージです。 パニックアタックだという人たちと、たくさんセッションをしてきて感じたこと。
「I'm sorry」を連発する。 自分の言動に対して常に言い訳しているけど、自分で気づいてないから、ご本人たちの意識としては、 自分は正しく生きている、と言う感じ。 正しく、であって、幸せ、ではない。 いつも我慢ばかりしているので、「最後の一滴」がくると、豹変する! いわゆる、キレたり、ヒステリックになったり。 そしてその後、彼らを待ち受けているのは…巨大な自己嫌悪。 セッション中、「自分の感情から逃げないで、しっかり(自分に)感じさせてあげてください。」と、私は言うのですが、パニックアタックの有無に関わらず、皆めちゃくちゃそれを怖がります。 かつての私はパニックアタックだと診断されたことはありませんでしたが、似たようなもんで、自分の感情を感じるのが、とても怖かったから、そんな気持ち、よくわかります。 しかしこの、自分感情を感じるのが怖いというやつ、無自覚に続けていると、いずれポジティブな感情すら感じるのが怖くなってきます。 その喜びが壊れるのが怖くなり、喜ぶのすら躊躇うようになり、やがて、正真正銘のネガティブ思考に。 先日やったクライアントさんも、そんなスパイラルの中にあって、「もう2度とあんな絶望感を感じたくない」と言いますが、 絶望感と、絶望的状況にあることは、別物で、これはあくまで「絶望感」であり、絶望感に苛まれることは、絶望的状況とは違うんです。 I am sadと、I feel sadの違いです。 それは悲しいと、悲しく感じるの違い。 前者は悲しい現実を生きてる主観的な状態で、後者は、今、自分は悲しい現実を生きてるのだと客観的に見てる状態。 主観と客観。 後者は、観察者のスタンス。 自分の感情を、観察者のスタンスで感じられるようになると、楽しい時も「うわぁ、今日はずいぶんご機嫌だねぇ、私。」という感じになり、 自分がウキウキしてる時もよくわかるようになってきます。 そうやって、自分の感情を常に循環させていくことが、脱パニックアタックに繋がります。 さて、この1週間、季節の変わり目で、花粉か何か知りませんが、めちゃくちゃ粘膜がやられています。 2019年から酷く、その時、イギリスの主治医から「うわぁ、鼻の穴が炎症して塞がっちゃってるね!息、できないでしょ?」と言われ、 副腎皮質ホルモン入りのスプレーを処方され、「これが効かないならレーザーで焼くしかないな」と言われ、 その年末から、例のアレに突入して、うやむやになりました。 私の粘膜が反応してるのは、何か、体内に入れたくないものに反応してくれてる証拠。 「ありがとね〜」と言いながら、キャスターオイルを鼻腔に塗っておくと、少しずつ和らいできました。 今週は、落ち着いてきそうです。 因みに、2019年の時点で、ロラタジンという抗ヒスタミン剤も試しましたが、全く効き目がありませんでしたから、2019年から始まった新しいモノなんだと理解してます。 というのも、私は処方された薬が手に入らず、10軒ぐらい薬局を練り歩くことにあり、結果、その年(2019)は、イギリスで「同じ症状の人たちが激増して」薬剤師から「薬が不足している」旨を聞かされたのでした。 ま、何であれ、私の粘膜は「やるべきことをやっている」ので、自然免疫を捻じ曲げるようなことはせず、労わるように心がけてます。 自然の力に優るもの無し。 イギリスは今頃、水仙がたくさん咲いてるはず…。 |
Ray of Sunshine
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