世界の中で、日本だけで始まった六回目の影響か、この週は、シェディングの影響が酷かった。 近しい、同じく非接種の人から「打ってる人よりあかんやん」と言われるぐらい、あかんかった。 因みに、この人はシェディングの影響を受けない。 他にも影響を受けない非接種の人たちを知ってるけど、男性が多い傾向にある。 今週の、わたしのシェディング影響はこんな感じ;
幸い、他のシェディング被害者がいう風邪みたいな症状や、以前4月にわたしも体験した皮膚が痒くなることも今回はない。 この、「打ってる人よりあかん」状態は、体力が低下して、栄養不足だったからだけど、実際に打ってる人は、何かにかかっても症状が出なくなると、村上さん、荒川さんは仰っていた。 身近な非接種の人と話していて、症状が出ないということは、身体が戦わなくなるということで、それは免疫機能が働かなくなってるということだよねと。 つまり症状が出ないけれど、体内では症状が進行してるので、ある時突然、亡くなることもあるというのはそういうことだね、と。 ターボ癌と言われてる、発見と同時に末期のような癌はそれだと思われる。 「つまり、これでコロナは本当に怖いものになった」のかもしれない。 2020年以前なら、限られた人(基礎疾患のある人や一部の高齢者、年齢問わず日頃の生活習慣が粗悪な人)を除き、体内の免疫が機能していれば、風邪はもちろん、癌でさえ、恐る病気ではなかった。 ところが、出鱈目な感染対策と、治験もされてないものを身体に打ち込んだため、免疫が機能しなくなった個体にとって、コロナのような風邪も死を意味する病気になってしまったわけだ。 私の身近な非接種の人は、「もうすぐ、さすがにこれ以上打てなくなるから、そしたら新たな利権に移るだけ」と言ってたけど、すでに癌が増え、血管詰まる系の疾患も激増してるから、次は検査が流通するんだろうね。 毎年の癌検診だとか、脳のMRIとか勧められて、また公金から補助金とか出て、「タダで検査してもらえる!」とかいって並ぶんだろうな…なんて話をしていた。 子どもへの接種とか、生後6ヶ月の赤ちゃんへの接種推奨とか正気の沙汰とは思えない。 毒も薬も、若ければ若いほど巡りやすい。 生かさず殺さず。 個体が若ければ若いほど長くお金になるシステムが、浮き彫りになってきた。 日本にだけ、まだ未治験、未完成のものを打たせると政府が決めた状況というのは、かつて未知の爆弾を日本の2都市に落とすと決められたことを思い出させる。 海外の人たちが「日本だけおかしい!」と思っても、言ってくれることはない。 皆、自分たちのことで手がいっぱいなのだ。 海外は、皆で一致団結してデモや抗議活動をやって、とりあえずの危機を乗り越えてる。 その証として、誰ももう打ってない。 でも、日本ではそんなムーブメントは起きないと私は思う。 気質が違う。 日本は、気づいた人たちから離れていく、のが現実的だと思う。 ここのところ、欠かせないスパイスとなったクミン。
色で食欲を増進させるターメリックと、これだけで旨みアップと聞いたオニオンパウダーを追加。 なるべく、食事から元気な身体にしていきたいと思う私自身が、今一番大事にしてるのが、しっかり食べること。 これは私の場合、量もそうだけど、内容も大事。 サプリはなるべく限定して2つだけ。 一つはNAC、もう一つはNeem。を状態に合わせて、キネシオロジーで量をチェックして摂ってる。 イベルメクチンは持ってるけど摂ったことがない。 シェディング対策にもある程度の実績があり、予防として常用してる人も多いみたいだけど、私は正直躊躇う。 長い歴史があり、副作用もわかっているとはいえ、薬は薬。 サプリも含め、薬は、今ある症状を消してくれるんじゃなく、その症状を変える情報を持ってて、それで、私たちの身体を書き換える。 その書き換わった状態を、私たちが「症状が治った」とか、「緩和された」と受け取ってるだけ。 と私はヒーリング的に理解してる。 ここぞという時に、ぴったり量を守って摂るから効くと思ってるから、私のレベルのシェディング被害ならイベルメクチンは必要ないと思ってるし、逆にそれで治ったら、今後、私の耐性がもっと低くなる気がする。 これだけの人たちが打った今、避けても避けきれない中、自分の中の解毒力、耐性を上げるのも、私にとっては大切。
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今回、オーストラリアとニュージーランドは、一番、最も極端で過激な対策を国民に課したと思うんだけど、そんなオーストラリアから、この3年+を振り返るドキュメンタリーが出た。 youtu.be/XCjbntg_1Hk 当時警察官だった男性の「オーストラリアの人々に、心から申し訳ないと思う」という告白から始まるこのドキュメンタリー、私はとても人ごととしては見れず、涙ぐみながら見た。 生憎、日本語字幕はないけれど、ずっと日本にいた人は、これを見ると、どれほど異常なことが起きていたのか、感じられるかもしれない。 実はイギリスでも同じ主旨のドキュメンタリーは作られてて、わたしはそれを見た時はゾッとしたし、所々涙が出た。 オーストラリアとニュージーランドを、追いかけるように国民を弾圧したのがイギリスを含むヨーロッパ圏の国々。 最初から、「これはワクチンだ」と現状を見通していた人たちが声を上げても、私ですら、「いや、まさか」だったし、実際、ワクチンが出てきた時も「そこまで有害なもの」だとは思わなかった上、治験がされていないような得体の知れないものを「まさか」ここまで多くの人たちが打つとは思っていなかった。 でも、それは甘かった。 親や親戚、職場の同僚はもちろん、昔からの友人や近所の人たちまで、ほぼ全員が、最低二回は打っている私は、とても孤独を感じた。 その中で、私が「すぐ打つのは辞めといた方が良いよ。様子を見て」と助言したのは3人だけど、3人とも私の話を聞くには聞いてくれたけど、「ふーん、そうなん。かえちゃん、また変わったこと言うな」ぐらい感じで、彼らの決断には微塵も影響を与えることができなかったから、それ以上他の人に「様子を見た方が良いよ」と言うのはやめた。 だからたった3人なのだ。 先日、私と同じ非接種の人と話していたけれど、今は「もう止める時期は過ぎた」と思うよねと。 ただ、そう実感しつつも身近であればあるほど「諦めきれない」思いがあるのも事実。 でもそれは「私の問題」で、打った人たちからすれば、実際に自分が打ったものが何であったのかーなんて、「知りたくもない」んだろうよと、認めざるを得なかった。 以前、ツイッターのスペースでやっていた、村上康文さんと荒川央さんの対談で、荒川さんが、「ミルクティーからミルクだけを取り除くなんてできないでしょう」という主旨のことを仰っていた話になり、彼自身「打ってしまった人はもうそれ以上打たないで」と、「毎日できるだけ楽しく生きましょう」というようなことを言っていたのは、科学者として誠実なコメントだと思った。 打ってしまい、日々の生活が営めなくなってしまった人たちのケアをやる人たちもいるし、必要だと思うけど、もう打たなかったことにはできない。 私自身、ここ20年で体力が落ちていたから、シェディングの影響を受けるような弱っちい身体になってしまった。 私が最近始めたEM菌や、その他試したサプリだって対処療法に過ぎないわけだけど、その傍ら、体力をつけて解毒できる身体になろうという試みも続けてる。 そして、世界中でもう誰も打たなくなった注射を、今も打ち続ける人がいるのは日本だけ。 注射も世界よりかなり遅れて始まったにもかかわらず、つまりそれだけ負のデータも多かったのに、あれだけの人たちがホイホイ打っちゃったのだから、今、気づいていなかったら、もう気づくタイミングは来ないだろう。 日本の総括はこちらの動画で、社労士の須田さんと黒田さんが話してるけど、本当に世界中で同じストラテジーが使われていたことがよく分かる。 www.youtube.com/live/giu5KeamMw0?feature=share&t=19 プロが考えたキャッチーな用語だったというのは、イギリスでも2年前に話題になった。 本当にクソな話だと思う。 「もう何も言うまい」と何度も思うけど、そんな私が「やっぱり」言ってしまう時が2つある。 まずはシェディングの影響が出ちゃう時で、打たない人からすると、打つ人がいるだけで迷惑なのであって、打ってない人に実害もあるからだ。 もう一つは、こないだ都民税の請求書が届いた時。 税金高過ぎ。 理由は、アレに公金を使い過ぎたからかと思うと、やっぱり言いたくなるのよねぇ。 と、ため息はつきないけども! これからは、同じ視点を持つ人たちともっと繋がって、自分の居場所を作っていく時間を増やすぞ。 これは最近食べに行ったイスラエル料理の店で食べたケバブ。
イギリスの人たちにとってケバブは、日本の人にとってのラーメンみたいなもん。 私もたまーに食べたくなる。 ロンドンでも、どこでも食べられるけど、私が好きだったのはシリア料理のお店。 でも、それがイスラエリレストランで食べられるとは思わなかった。 美味しかったよ〜。 私たちの身体というのは、私たちから言われるまでもなく、常に癒す方向へシフトしてると言う話。 本当にそう思う。 その流れは人それぞれだと思う。 わたしの場合は歌が合図になってることが多い。 例えば最近もこんなことがあった。 気がつけば、マライア・キャリーのWithout Youを、自然に口ずさんでて、ふとYoutubeで当時の動画を見てしまった。 「この頃、マライア・キャリーって可愛かったなぁ」とか、言ってる場合ちゃうねん!と、「今回は何が出てくるかな?」と思いながら過ごすこと2、3日。 すると、こんなツイートが目についた。 (ここから抜粋) 親から「なぜ怒っているか分かる?」パターンで接されて育った子ども、成人後に会話せずに文脈勝手に先読みしすぎてコミュ障のうつ病になってるケース多すぎる (抜粋終わり) これ、いわゆる戦後生まれの両親を持つ、受験が戦争だった頃のロスジェネと呼ばれる世代の方か、その世代の親か先生か教師の影響を強く受けたもっと若い人?と思う。 ロスジェネ世代のわたしがセルフワークする前に思い出したのが、幼稚園の時に、なぜか母がひどくヒステリックに怒った時のこと。 同じことしても、そんな叱られ方をしたことがなかったし、その時は、いくら「ごめんなさい」しても「なんでごめんなさいしてるかわかってない」と許してもらえなかった。 小さい子どもにとって「ごめん」しても許してもらえない時というのは、親の機嫌が悪いままという意味。 「ごめん」を覚えた後で、「ごめん」しても状況が変わらないというのは、とても混乱する状況。 これが、「自分が悪い」という場所から、「自分は悪くない」という場所へ移動するパターン。 これが「わたしは悪くない」という囚われた感情となり、それは、攻撃される前に攻撃すべしという、ちょっとアグレッシブなエネルギーとなる。 アグレッシブ、といっても実際には、先手を打って嫌味を言ってやるぐらいで、身体的な暴力を伴うことではない。 このことをまず「認識」して、エネルギーワークをする。 このエネルギーワークする、は、ある意味Closureの一つで、卒業式のような、セレモニーのような感じと捉える。 ここからは、四元素で言うと土っぽい活動が始まる。 意識して、このエネルギーにより身についた癖が発動しそうになるとそれを摘み取っていく。 これを何度も何度も繰り返すうち、この「辞めたい癖の摘み取り作業」が新しい癖になる時、ヒーリングというやつが起きてる。 わたしにとって、この夏至の日にリリースしたエネルギーは、これまでにもリリースしてきたこと。 おかげでずいぶん、古い癖からは解放されてきたものの、何かの拍子に「ぶりかえす」から、その都度この、セレモニー→辞めたい癖の摘み取り作業を繰り返してる。 数年越しでワークを続けるうち、状況もずいぶん変わってきた。 これは、こないだ初めて連れてってもらった井の頭公園の写真。 木漏れ日に惹かれて、横道にそれたところ。 ここはパワースポットと呼ばれるみたいだけど、あのカラフルなところのエネルギーは「合わない」と感じたので、反対側の映り込みをパシャリ。 ロケーションはだいぶ違うけど、ロンドンのセントジェームズパークを思い出した。
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Ray of Sunshine
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