![]() 現代社会で、嫉妬と怒りの感情に巻き込まれずに生きるのは難しいです。 特に、都会だと。 というのも、社会自体が、競争させるように作られ、なおかつそのように機能している中で、都会は人が多いのにスペースが少ない上、自然も限られる…。 その上、たくさんの思惑が渦巻いているわけだから…。 日本は特に顕著ですが、所謂、先進国と呼ばれてきたような国々は基本的にそうです。 そんなわけで、都会には、意図せずとも、不健康なエネルギーが充満してしまいます。 それは消化されなかった嫉妬や怒りが大地に吸収され、それらが「もわぁ〜ん」と大気中に放たれてるからです。 それに気づかず呼吸するうち、人々の息は浅くなる…、そして命が弱まる…。 宇宙人のアミも、タイガに暮らすアナスタシアも同じことを言ってるように、やっぱり大都市という生活スタイルは不自然です。 人間を競争に駆り立てるもの、それは自身の生命力への不安、つまり競争は全て生存競争、命がけなのです。 そして、運動会の徒競走でも、英検でも、スコアがつくものは、紐解いていくと命がけなのです。 もちろん、運動会の徒競走に命をかけたりはしないけれど、プログラミングの害はそこにあります。 そんなつもりじゃないけど、エネルギー的にそういうこと…。 嫉妬や怒りは、自分よりも「すごい」とか「できる」とか、自分が認識した存在に対して、命の脅威を深〜いところで感じているという感情。 嫉妬ってしどいですよね?嫉妬心って向けられると怖いですよね? それは命の脅威を感じてるから、しんどくて怖いのです。 食べるものも、寝る場所も、着るものも、全く考えなくてよかったら、私たちは競争するだろうか? 競争して負けても、こだわるだろうか? きっと拘らないし、競争というコンセプトが維持できなくなるよね〜って思いません? そういうことです。 これをね、頭から生きてる人は、「じゃ、世の中から競争を無くせば良いのね!」とか、「じゃ、学校で成績つけるのをやめよう!」とか、環境や自分以外の誰かをねじ曲げるようにして「変えよう」とします。 こちらにも書きましたが、それは「鏡の中に映る自分」を先に笑わせようとする行為。 「鏡の中のわたしが先に笑ってよ」みたいな。 いやいや、そうではなくて! まず、私たちが内側から競争に駆り立てる、ひいては嫉妬や怒りに駆り立てる要素、それは自分の生命力に対する不安や不信感を解消することです。 そうして初めて、「成績つけるっておかしいよね?」とかいう話になっていくわけです。 自分たちの内側に、生命力に対する不安も不信感もないから、「これ、必要かな?」って違和感を感じ始めるわけです。 もちろん、これができてからそっち…みたいに起きるわけではありませんよ。 でも出発点は自分の中なのです。 私は、今起きてるカオスは、そうやって私たち一人一人がこのプロセスをやってるから起きている波紋だと感じてます。 自分自身の生命力に対する不信感を手放すにはまず、自分がどれほど、自分の生命力を信頼していないか=不安に感じているかに、気づかないとダメなのです。 この鏡の法則っていうのかしら、これがずーっと逆だった地球。 つまり、私たちが鏡に映る存在になっていた…! これを元どおり、私たちが先に笑い、現実(鏡に映る姿)も笑う…という風に元に戻しましょうね。
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Ray of Sunshine
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