私たちの思考や感情のエネルギーの影響力は計り知れません。
でも私たちは、誰一人としてそれをきちんと教わらなかったことは皆さんもご存知の通りです。 私たちが考えてることが、どんな風に時空に影響を及ぼすかを教わらないまま、使い続けてるって、 まるで、包丁の使い方を教わらないまま、幼稚園児が魚を三枚おろしにしようとしてる感じです。 宇宙の法則として、意識を向けたところが大きくなります。 意識の向け方には、考える、話す、書くなど、いろんな表現方法がありますが、 もう一つ、大切なことがあります。 宇宙は全てを含むので、YesとNoを区別しません。 「納豆大好き!!!」も、「納豆大嫌い!!!」も、 ただただ、この世において「納豆」の存在をより大きく、確かにするだけなのです。 だから例えば、この世から納豆なんて抹消されれば良いのに!と本気で感じる人がいれば、納豆の「な」の字も発しない、考えない、見ないようにすれば、「納豆」の存在はだんだん弱まり、薄れていくわけです。 例えば、こんな経験ありませんか? 嫌な人のことや、嫌な仕事について話すと、一瞬は心が軽くなったように感じるかもしれませんが、その後、その人や仕事が益々しんどくなってくる…、 そしてその次に愚痴る時は、も〜っとダークで激しい愚痴り合いになり、またまた一瞬心が晴れるんですが、その後、もっともっとしんどくなってくる…。 これ、麻薬や砂糖に代表されるような依存症と同じです。 刺激は代償です。 そしてこのシステムは人間を依存させるようになります。 最初は、少しの刺激で良かったのですが、その刺激(ここなら愚痴り合い、つまり代償ですね)に慣れてくると、その嫌なことと共存するためにもっとたくさんの刺激(代償)が必要になってくるわけです。 麻薬や砂糖、ギャンブルもそうですが、依存症になっている場合、何かが未解決だから、つまり何かが満たされないから、代わりにそれらで満たしているに過ぎません。 【本質的な課題】と向き合う代わりに、刺激で誤魔化してるわけです。 向き合うべき課題に向き合って本質的に解決するで、刺激はどんどん強いものが必要になります。 ここで冒頭の意識の話。 刺激…というのは、例えば愚痴り合いもそうですが、結局「嫌なこと」をより大きくしてしまうんです。 それは刺激が、愚痴り合いであれ、薬物による高揚感であれ、砂糖による幸福感であれ、それは「嫌なこと」と向き合うための代償だから、嫌なことがより嫌なことになっていく負の連鎖が始まるんです。 刺激を摂取している時は、意識が嫌なことに向いたままでしょ? 宇宙は全てを含むので、YesとかNoがありませんから、嫌なことから目を逸らすための行為は、嫌なことを見つめ続ける行為と同じなんです。 じゃ、本質的な解決の仕方はというと、「嫌なことに向き合ってる自分」と向き合うことです。 アプローチは色々ありますが、どうして嫌なことにそこまでして向き合ってるかな?ということです。 ヒーリングワークは、根本的な捻れ(歪み)を癒していくわけですが、 同時に、日々、自分でも意識しながら「じゃ、もっとやりたいことって何だろう?」とか、「好きなことって何だろう?」という風に問いかけていく必要があります。 ここでも、意識が集中するところが大きくなるので、 「私がもっとやりたいことって何だろう?」と問いかけ出すと、 それを教えてくれる言葉、人、状況…等々がどんどん生まれてくるわけです。
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Ray of Sunshine
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