ある朝、目が覚めた時にあった考え。
それは、糸魚川ー静岡構造線を境に、東と西に分かれてるけれど、 東が西の鏡、西が東の鏡だったら?というもので、 見た目は違えど、例えば、〇〇山というのが東日本にあったとしたら、 それとセットで対応してる▲▲山というのが西日本にある、そんな感じ。 だから、「私」とセットの「〇〇さん」というのも、東日本にいたんじゃないかと。 西日本出身の私が今、東京にいるのは偶然ではなく、 きっとその〇〇さんも西へ移動したのに違いない、と、目覚めた時にふっと感じたのでした。 こういうひらめきって、面白くて、私は問いかけていたことの答えやアイデアは、全て、こんな風にして、 「ふっと、そう思った」とかいう風にして「感じる」ことが多いです。 もしかすると、私が日本に戻ってきたのは、その、私のカウンターパートにあたる人が、日本を離れたからか?とも思ったのでした。 その日の夕方は、イギリス人の方と継続してやってるセッションの日で、めずらしくランニング姿で現れたクライアントさんいわく、 「31度で、湿度も高い!」と、暑がってましたが、 「もうイギリスに帰ってこないの?」と聞かれた時、 「もうしばらくいるなぁ…」という腹感覚と共に、もはや、私の座標位置は、私がかつて思っていたほど、私の個人的なものではなさそうな気がしてきました。 今日は水瓶座の満月。
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パワースポットというのが流行って、一旦静かになった頃、私は縁あって、パワースポットみたいなところに連れて行ってもらったことがあります。
どこか?は、今日の話とは関係なく、 最近見たSNSのポストで、どこかの神社の写真と共に、「ここへ行った翌日、仕事が5件きました」と投稿されていました。 その人を知っているので、それは本当のことなんだと思うのですが、私は、そういう思考のルートが危ういなぁというか、あのパワースポットブームの密かな落とし穴だったように思うわけです。 例えば、本人が知らないで、氣の良い場所へ行き、細胞レベルで共鳴してきて、流れが良くなることなんて、日常茶飯事なわけですよ。 そこへ理由をつけてしまうと、なかった契約が発生するんです。 それは、水が有料になってしまった現在と似てて、どこの会社かは言いませんが、その会社のトップは「水をタダで飲もうなんて!!」といった主旨の発言をしていたとか。 氣は、そこにあるのもので、誰でもアクセスできるのです。 特に、神社なんて、人が行って念を込める場所ですから、そんなに氣が巡ってる場所はないのです。 「ここへ行った翌日、仕事が5件きました」という思考のルートを脳内に作っちゃうと、それは契約になってしまう。 このポストをされていた方は、パワフルな方なので、おそらく、その場へ行って「よしっ!」 とばかりに、気持ちを切り替えたり、スイッチを入れられてるのだろうと思います。 それなら良いのです。 今一度、そういう場所では、契約していないか、自問してみるのも良いと思います。 誰か、または何かと契約していないか? 氣はあなたを縛りません。 でも、契約は互いを縛るためのもの。 どこかで、支払わされることがないように。 代表的なのが、光と影。
影があるのは光のおかげで、光の明るさが認識できるのは、影のおかげ。 それの便利さがわかるのも、不便を知るからであり、 表は裏なくしては存在できず、その逆もまた然り、 とすれば、「それ、あなたが引き寄せてるのよ」みたいなのって、見方を変えるとどうなる? 「それ」が強烈であればあるほど、セットの何かも、強烈になってきているはず。 だから、「それ」を忌み嫌って消そう、リリースしようとすれば、セットの何かも失われ(多様に認知され)る。 でも、それは困るから、またその「何か」を欲すると、セットで「それ」もやってくるという感じ、かな。 セットだからこそ、存在できる。 とすれば、ヒーリングは何をすれば良い? どういう状態が、ヒーリングなんだろう? さ、週末はアトリエに行く日! 受験でもなく、成績つくわけでもなく、ただ楽しむだけ。 |
Ray of Sunshine
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