今、大統領選を巡り、様々な情報や憶測が飛び交っているけれど、未だに不正が「あった」OR「なかった」という議論は論点がズレてると思うのよね。
私にとって不正も含めて嘘というのは常に、朝と夜の違いを「これは朝だ!」とか「いやいや、これは夜でしょう!」と論議しなくても分かるように明らかな、ある意味、物理現象みたいなもの。 宇宙の…というのが「広すぎ…」と感じるなら、この世の…でも良いけれど、これはエネルギーのシンプルな法則ともいうべき現象なんだよね。 だから私にとって論点は「気になる?」または「気にならない?」 嘘に対する耐性が論点なのよ、これは。 私は嘘に対する耐性が低く、それがしんどかったの。 というのも、この世界は嘘が散りばめられてるから。 直そうとしたけれど直せるもんじゃないので、私は、恐らくたくさんの人たち同様、長らく無関心を装って生きようとしてきたんだと思う。。 今、大統領選を巡って、メディアが発信しない様々な情報を発信している人たちや、彼らの発信する情報を追いかけている人たちの多くも、嘘に対する耐性が尽く低い人たちなんだと感じる。 私は個人的に、今、人類を分離している基準は、嘘に対する耐性の違いだと思ってるってて、インテリか?無知か?でもなく、英語が話せる?話せない?でもなく、右か?左か?でもなく、嘘が気にならないか?気になるか?の違い。 私は割と幼い頃から、自分という存在が、家族や友人も含めた周りの人たちと違うことが気になっていたんだけど、小さかった頃はどうしてそう感じるのか分からなかったし、考えようともしなかったのよ。 そんな感覚も2、3歳ぐらいまでは、自分は特別というポジティブな解釈ができてたけれど、小学生にもなる頃にはその特別さが損だと感じるように変わっていき、20歳にもなる頃には低い自尊心とか罪悪感に変わってました。 当時はわからなかったけど、これまでの地球って嘘がOK…というか、そこら中に嘘がばらまかれていたのよね。 だから「ここ」は、嘘が気になる私としては混乱する空間だった。 明らかに嘘なのに、身近な人たちの反応を見る限り…、OK?みたいな。 例えば、正義感が強いだとか、頭でっかちだとか、清濁合わせのむ器を…とか、色々アドバイスをこれまで受けたけれど、私にとっては普通の感覚で、頭は柔軟だし、めちゃくちゃ寛大なんだけど、それらが築かれてる土台が違うのよ。 私のは、嘘が嘘として明らか…という土台で、「まぁまぁ、そんな白黒付けなくても…」みたいな曖昧さは無いの。 ここでよく勘違いされるけれど、何が嘘で何が真実かを決めてるのは私では無いの。 これは宇宙のエネルギーの性質の現れ。 宇宙のエネルギーによって、朝が明らかに朝で、夜が明らかに夜で、熊は明らかに熊で、狼は狼であるように、嘘も真実も存在し始めた瞬間から嘘は嘘のままで、真実も真実のまま。 だから、例えば最高裁の判事とか、法の権力者が嘘を「真実」または、真実を「嘘」と判定したところで、私にとったら「で?」なのよ。 相変わらず、嘘は嘘のまま、真実は真実のままあり続けてるから。 論点は、「で?あなたは気になるの?それとも知らん顔するの?」なんだよ。 「あなたは自分が何を感じてるのか、知っていますか?」ということ。 嘘に対する耐性が低かった私は幼い頃から、理由も分からず混乱してしまったのよねぇ。 だからいつも、心のどこかに密やかな孤独感を持ってる。 孤独を表す英語にAloneとLonelyというのがあるんだけど、私の抱える密やかな孤独感って、Aloneなのよね。 違いは、Lonelyって個体として一人ってことで、例えば親が「子どもが巣立って寂しい」とか、「恋人がいないから寂しい」とか、そういう感じ。 Aloneは、家族や友人に囲まれてても感じる感覚。 Lonelinessは癒せるけれど、Alonenessはねぇ…本質がLonelinessと違うからある意味癒せないんだな。 コレクティブコンシャスネスが変われば自然に解消するような感じ。 嘘が嘘として、真実が真実として存在することを、私たちがそのまま感知して機能する世界には、私の抱える密やかな孤独感は存在しにくいと思う。 今年は、所謂肩書付きのコメンテーターというよりも、個人として時には顔出しで発信してらっしゃる方々や、それらの発信にアクセスしている方々のエネルギーに触れることができて良かった。 というのも、やっぱり同じように嘘に対する耐性が低い人たちで、中には私と同じような密やかな孤独感を知ってる人たちもいらっしゃるだろうから。 しかし、これは私が水瓶座だからかもしれないけれど、寂しいんじゃないから、それらの人々とグループ活動をしたいわけじゃないの。 LonelyとAloneの違い、嘘の耐性の違いを、どちらが上で、どちらが下という視点なく、フラットに理解して〜っていうだけのこと。 例えば、小麦粉アレルギーの人が米粉パンを食べるのを「え?何で?治したら?」なぁんて、誰も挑まないでしょ? または「え?アレルギーなん?!私も私も!じゃ、一緒にご飯しよか!」ってなっても良いけど、そこは別な話よね。 そうそう、そんな感じ。 上も下もない、横に奥にと広がる、個が個と繋がって広がるネットワークがこれからのエネルギーとマッチしてる。 これからは、組織に属していようといまいと、自分のスタンダードを意識できてるかどうか、それに対して勇気を持てるかどうか、そんなことが大切になってくると感じてる。 嘘と真実は、人間が決めることではなくて、もう明らかなことなの。 それに対して「あなたはどう反応しますか?」と問われてる。 問われているのはあくまで「あなた」自身の感覚、なんだね。 ただ、それだけのこと。
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Ray of Sunshine
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