私たちは、「皆、同じ世界を体験している」と思いがちだけど、実はひとりひとり異なる世界の中にいて、それぞれの世界が少しずつ重なりあって、全体で「現実」を作り出してる。
ある意味、輪郭はピントがあってない写真のようにファジーで、丸も「何となく丸」という感じ。 くっきりとした丸に見えるのは、あくまで自分だけということ。 これは同じ家に暮らしてようが、同じ街、同じ国、同じ時に生きていようが同じ。 では、それぞれが生きる世界(現実)という空間は、何によってできているかというと、それはそれぞれの思い込みによって作られてる。 良い思い込みであれば良いけれど、お察しの通り、人間は長らく、良くない思い込みの方をたくさん作り出してきたから、それらが制限となって、それぞれの世界に「行き止まり」を作り出した。 自分が作り出したネガティブな思い込みは呪いみたいなもんで、自分が自分にかける呪いほど効果が高く、解きにくいものはない。 それに比べたら、他人やエンティティがかけてくる呪い(制限)なんて、全然比べものにならない…というか、それらは「こちら」がアクセプトしなければ効力をなさない。 つまり、かけられた呪いも、要するに「自分が許可した呪い」ということ! *写真は、ポーランドのマヨネーズが美味しかった!並びにあるポーリッシュの食料品店が良いの。愛想は良いし、値段も良心的だし、品揃えも良い。それにしても、マヨネーズって各国微妙に味が違うでしょ?あれが正に↑「ファジー」な感じよ。違うけど、どれもやっぱり「マヨネーズだね」みたいな。
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トランプさんの、テキサスでの演説中継を見ていたら、突然中継がカットされた気がしたのだけど?
??? これはトランプさんがテキサスへ行く前に答えていたインタビュー。↓ https://www.youtube.com/watch?v=OpPZptLpGAo そこでハッキリと、「(メディアのやったことは国中から)大きな怒りを買った。」そして「いかなる場合も暴力は回避されるべきだ。」と述べていた。 やっぱりトランプさんはスピリチュアルな人物で、エネルギーの物理現象をよく分かってる人だなぁと感じる。 インタビューでもよく、今回みたいに「怒りが蔓延してる」みたいな表現をするものね。 英語でスピリチュアルというと、日本のソレとは違って、例えば、神さまとか、大いなる存在とか、呼び方はそれぞれが決めてくれれば良いけれど、目に見えない存在を畏れる人のことを指していると思う。 トランプさんは固定概念やジャッジメントをどんどん壊してくれるけど、ポリシーがあるでしょ? それは、誰も見てないからって盗んだり殺したりしないのと同じ感じ。 例えば、アメリカの下院議長なんか見てるとガツガツしており、「あ、この人は何でもありな人なんだな」ということが滲み出てる。 まるで底無し沼のよう。 この人と絶対、救命ボートに乗り合わせたくないわ…。 トランプさんはもっと品があるよね。 スピリチュアリティがある(トランプさん)、無い(例のお婆さん)…みたいな感じ? トランプさんがラリーをしてた頃、アーミッシュのコミュニティも応援してるというのが話題になっていたよね。 私はアーミッシュの人たちとも仕事で話させてもらったことがある。 ステレオタイプな先入観から緊張していた私に「きみはどこの人?」と一家の長老みたいな人が聞いてくれて、私が日本人ですというと、「日本か、よく知ってるよ」と言って、私に色々話してくれた。 めちゃくちゃ大柄で長身なのに、エネルギーが平和的だから、私は威圧感を全く感じなかったもの。 楽しかったなぁ。 宗教や文化だけじゃなく、国境も超えて色んなコミュニティの人たちを繋げることができたトランプさん。 やっぱり彼のスピリチュアリティに共鳴したんだと思う。 ずっと「これはスピリチュアル戦争だ」とアメリカやイギリスのトランプさん支持者が言ってたのだけど、最終的には一人一人、個人の中で起きてる変化そのものがそうなんだと思う。 今、大統領選を巡り、様々な情報や憶測が飛び交っているけれど、未だに不正が「あった」OR「なかった」という議論は論点がズレてると思うのよね。
私にとって不正も含めて嘘というのは常に、朝と夜の違いを「これは朝だ!」とか「いやいや、これは夜でしょう!」と論議しなくても分かるように明らかな、ある意味、物理現象みたいなもの。 宇宙の…というのが「広すぎ…」と感じるなら、この世の…でも良いけれど、これはエネルギーのシンプルな法則ともいうべき現象なんだよね。 だから私にとって論点は「気になる?」または「気にならない?」 嘘に対する耐性が論点なのよ、これは。 私は嘘に対する耐性が低く、それがしんどかったの。 というのも、この世界は嘘が散りばめられてるから。 直そうとしたけれど直せるもんじゃないので、私は、恐らくたくさんの人たち同様、長らく無関心を装って生きようとしてきたんだと思う。。 今、大統領選を巡って、メディアが発信しない様々な情報を発信している人たちや、彼らの発信する情報を追いかけている人たちの多くも、嘘に対する耐性が尽く低い人たちなんだと感じる。 私は個人的に、今、人類を分離している基準は、嘘に対する耐性の違いだと思ってるってて、インテリか?無知か?でもなく、英語が話せる?話せない?でもなく、右か?左か?でもなく、嘘が気にならないか?気になるか?の違い。 私は割と幼い頃から、自分という存在が、家族や友人も含めた周りの人たちと違うことが気になっていたんだけど、小さかった頃はどうしてそう感じるのか分からなかったし、考えようともしなかったのよ。 そんな感覚も2、3歳ぐらいまでは、自分は特別というポジティブな解釈ができてたけれど、小学生にもなる頃にはその特別さが損だと感じるように変わっていき、20歳にもなる頃には低い自尊心とか罪悪感に変わってました。 当時はわからなかったけど、これまでの地球って嘘がOK…というか、そこら中に嘘がばらまかれていたのよね。 だから「ここ」は、嘘が気になる私としては混乱する空間だった。 明らかに嘘なのに、身近な人たちの反応を見る限り…、OK?みたいな。 例えば、正義感が強いだとか、頭でっかちだとか、清濁合わせのむ器を…とか、色々アドバイスをこれまで受けたけれど、私にとっては普通の感覚で、頭は柔軟だし、めちゃくちゃ寛大なんだけど、それらが築かれてる土台が違うのよ。 私のは、嘘が嘘として明らか…という土台で、「まぁまぁ、そんな白黒付けなくても…」みたいな曖昧さは無いの。 ここでよく勘違いされるけれど、何が嘘で何が真実かを決めてるのは私では無いの。 これは宇宙のエネルギーの性質の現れ。 宇宙のエネルギーによって、朝が明らかに朝で、夜が明らかに夜で、熊は明らかに熊で、狼は狼であるように、嘘も真実も存在し始めた瞬間から嘘は嘘のままで、真実も真実のまま。 だから、例えば最高裁の判事とか、法の権力者が嘘を「真実」または、真実を「嘘」と判定したところで、私にとったら「で?」なのよ。 相変わらず、嘘は嘘のまま、真実は真実のままあり続けてるから。 論点は、「で?あなたは気になるの?それとも知らん顔するの?」なんだよ。 「あなたは自分が何を感じてるのか、知っていますか?」ということ。 嘘に対する耐性が低かった私は幼い頃から、理由も分からず混乱してしまったのよねぇ。 だからいつも、心のどこかに密やかな孤独感を持ってる。 孤独を表す英語にAloneとLonelyというのがあるんだけど、私の抱える密やかな孤独感って、Aloneなのよね。 違いは、Lonelyって個体として一人ってことで、例えば親が「子どもが巣立って寂しい」とか、「恋人がいないから寂しい」とか、そういう感じ。 Aloneは、家族や友人に囲まれてても感じる感覚。 Lonelinessは癒せるけれど、Alonenessはねぇ…本質がLonelinessと違うからある意味癒せないんだな。 コレクティブコンシャスネスが変われば自然に解消するような感じ。 嘘が嘘として、真実が真実として存在することを、私たちがそのまま感知して機能する世界には、私の抱える密やかな孤独感は存在しにくいと思う。 今年は、所謂肩書付きのコメンテーターというよりも、個人として時には顔出しで発信してらっしゃる方々や、それらの発信にアクセスしている方々のエネルギーに触れることができて良かった。 というのも、やっぱり同じように嘘に対する耐性が低い人たちで、中には私と同じような密やかな孤独感を知ってる人たちもいらっしゃるだろうから。 しかし、これは私が水瓶座だからかもしれないけれど、寂しいんじゃないから、それらの人々とグループ活動をしたいわけじゃないの。 LonelyとAloneの違い、嘘の耐性の違いを、どちらが上で、どちらが下という視点なく、フラットに理解して〜っていうだけのこと。 例えば、小麦粉アレルギーの人が米粉パンを食べるのを「え?何で?治したら?」なぁんて、誰も挑まないでしょ? または「え?アレルギーなん?!私も私も!じゃ、一緒にご飯しよか!」ってなっても良いけど、そこは別な話よね。 そうそう、そんな感じ。 上も下もない、横に奥にと広がる、個が個と繋がって広がるネットワークがこれからのエネルギーとマッチしてる。 これからは、組織に属していようといまいと、自分のスタンダードを意識できてるかどうか、それに対して勇気を持てるかどうか、そんなことが大切になってくると感じてる。 嘘と真実は、人間が決めることではなくて、もう明らかなことなの。 それに対して「あなたはどう反応しますか?」と問われてる。 問われているのはあくまで「あなた」自身の感覚、なんだね。 ただ、それだけのこと。 現在、イギリスに暮らす私のスマホには、複数のエリアの時計が登録されてる。
時計の計算は昔から苦手で、小学生の算数のカリキュラムで時計の計算が始まった時、鬼の形相の母と、教材であったプラスティックの時計を間に格闘した、嫌〜な思い出がある。 きっとあれは、母にもトラウマになってるはず…。 もちろん、時計の計算は克服したけれど、6歳の頃の私には全然有意義じゃなかったのよね! 「それができなくても、困らへんやん」ぐらいの。 それだけ。 そして今、スマホには凡ゆる都市の時間帯を掲示できる。 当時の私は知ってたのかも…、なぁんて。 おかげさまで、私は異なるタイムゾーンでのミーティングに遅れない! そして、いろんなタイムゾーンが増えるのは楽しくもある。 まだ行ったことが無いエリアもたくさん。 私は、人間って旅をするように作られてると思ってる。 美食グルメショッピングの旅とかじゃなくて、旅をしながら、その土地に暮らす人々と交流しながら、文化や言葉を学び、世界は広いのだ、皆で一緒に地球に暮らしてるのだという一体感を感じるために。 私は、学生の頃に訪れたモンゴルで、遊牧民の同じ年ぐらいの女の子たちと、大地に枝で数字とか形を書きながらコミュニケーションしたのを覚えてる。 すごくシンプルな内容しか話してないけれど、お互いに嬉しかった。 通じたのかどうかも分からないけれど、繋がれたのが嬉しかった。 友だちになれた。 姉は学生時代に中東を女友達と二人で旅したのだが、その時にヨルダンだったか、イスラエルだったか、どこだったかの砂漠の公共の交通のないところで、必要に迫られてヒッチハイクをしたのだそう。 その時にたまたま拾ってくれたファミリーが家に二人を招いてくれ、綻びたキュロットを履いていた姉に「女の子がそんな破れた服なんて着るもんじゃない」と、手縫いで綻びを繕ってくれたのだそう。 自分の家族みたいに、自分の娘じゃないけど、娘みたいに接する。 嬉しいよね。 これが旅の醍醐味。 地球で、異なる文化や言語を持つ人々と平和に仲良く豊かに暮らすという感覚は立体的で、正に丸い地球が象徴するエネルギー。 差別や侵略は平面的な思考であり、稚拙な嗜好で、それは平面な地球のエネルギー。 言葉も、文化も、考えも、千差万別だけど、根っこにある愛はひとつ。 だからこそ、分かり合える感覚、繋がれる感覚が喜びになる。 今はいろいろ面倒な制限があるけれど、私たちは決して旅をやめることはないだろう。 しかしどうして人間が考える対策?対応?って、どれもこれも対処療法だけに留まるんだろう?
そう、対処療法が悪いわけじゃない。 でも、対処療法は対処療法だって、頭痛がする時に服用する頭痛薬でしかないわけで…。 私はエネルギーワークをする者としては珍しがられるけれど、「頭が痛くてたまらない時は我慢せず、頭痛薬をのんで取り敢えず痛みを抑えてから、そもそも何故頭痛がしたのかを見ていきましょう」というスタンス。 対処療法も使う…けれど、それはバンドエイド的。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 疫病にはワクチン、健康になりたければサプリ、給料の高い仕事に就きたければ資格や学歴…。 全て表面的で、根本的な部分に触れていない。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 最初は皆、封鎖は3週間程度と言われていたので、「それならば」と名乗りでたのでした。 この場合、封鎖に纏わる諸々のニーズは症状で、ボランティアはバンドエイドにあたります。 根本的な原因は、それらの向こう側にありました。 自己検疫期間中の一人暮らしの人の買い物を手伝ったり、持病の薬を届けたり、検査の行き帰りを送り迎えする役から、精神的に不安定になった人たちの電話サポート…。 ある人は、防護服を作るボランティアに参加したと言ってました。 私は、電話サポートをやることにしました。 サポートしてみると、私が担当させて頂いた人々の2/3は金銭的に困窮していることからくる精神的ストレスで、家族と疎遠になり孤立してしまった感じで孤独に苦しむケースは意外と少なかったんですね。 ボランティアを管理するプロジェクトマネージャーたちも、普段は他の業務を行政内でやってたりするんでしょうね、色々スンナリ行かないことももちろんあったり、サポートはしてくれるけれど、一人一人のニーズや性格はユニークで中々難しいところもあるのは当然のこと…。 そんな人々との触れ合いや、既存のシステムを体験してみて感じたのは、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということ。 その問題が個人レベルであれ、法人レベルであれ、行政レベルであれ、国家レベルであれ…。 それが、コロナによる封鎖という極端な状況で、ブォンッと破裂した感じでした。 私が言った、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということは、頑張りが足りない…という意味ではありません。 例えば、移民の手続き中ということで、元から仕事はしてはいけなかったけれど、知り合いのお店でこっそりバイトをさせてもらっていたらしい人がいたのだけど、この人は封鎖により店も閉店してしまい完全に収入の道を閉ざされてしまったと言っていました。 もちろん、イギリスにもチャリティはたくさんあるから、行政のソーシャルワーカーが見つけてきた、この人たちも応募できるチャリティに応募したものの、電話サポートとして最後に電話をした時、「カエコ、私たち家族はどうすれば良いの?」と聞かれ何も言えず…、というか、電話サポート要員は基本的に「話を聞くだけでアドバイスや個人的な視点は言わないでください。」と言われていたものだから、「ごめんね、私よくわからないから何も言えないけれど、担当者にお願いして詳しい人に電話してもらえるように頼んでおくわね。」としか言えなかった。 そんな時、部外者であれば、言いたいことはそれぞれあるだろうけれど、彼らも、彼らの事情があっての選択で、それを処理している行政側も、サポートをしている団体も、それぞれの事情があってのこと。 他にも、一人暮らしの方と話していた時、その人の家にはインターネットが無いから困った…みたいに言われ、私が「お隣さんのネットワークを使わせてもらったら?少しお金を負担すれば嫌がる人はいないわよ」と、ついつい、自分の経験からアドバイスをした私に、その人はピシャリと「あ、彼らとは折り合いが悪いの!」 私も人間関係では苦労してきたタイプだから、偉そうなことは言えないけれど、つまり、問題は既にあったわけか…と。 コロナ前は自分で何とかできていた人はそれなりに、逆にコロナ前は誰かの助けありきで生きていた人たちもそれなりに、それぞれの「根本的な問題」を直視せざるを得なくなったように感じます。 良し悪しの問題ではなく、「困ってしまった…」ということは、それぞれにとってのシステムとして脆弱だったということ…。 一人だからとか、誰かに依存してるから…という問題ではありません。 個人レベルもそうですが、社会レベル、国家レベル、地球レベルでも同じこと。 問題は既にそこにあった。 コロナが何であれ、どういう理由で出てきたのであれ、これは衝撃的でしたよ。 SNSを見ていると、10年前からとか、30年前から、世の中の動きに疑問を抱き、自給自足の生活基盤を作ってきましたという人がたくさんいらっしゃってすごいと思う。 私は10年前も、30年前はもちろん、そんなこと1ミリも感じずに生きてきました。 もちろん、それも何か意味があってのことだから、後悔もしてなければ、不安もないけれど、今年は、去年に私が感じた予感通り土星の喝が入りました。 土星の喝とは、土星の公転周期に因んだ「この先29年間持ちこたえないものは、見直しを余儀なくされる」というもの。 私自身、この先29年持ちこたえないであろうガラクタシステムをスッキリ掃き出すことができました。 そう言い切れることに、今はただただ感謝です。 以前、「逆さまにすることで悪魔的なエネルギーが生まれる」と書きましたが、私たちが暮らしてきたこの世界、長らく、恐らく数千年に渡り、逆さま化が施されてきました。
逆さまが悪?!と混乱されたかもしれませんが、人間としてやるべきこととやるべきでないことの境界が曖昧にして人間を惑わせるだけでなく、良いものを悪いものにしたり、悪いものを良いものと、真実を逆さまに教えてきたことは、命に関わる嘘をついてきたことになります。 例えば、世界に蔓延している思い込みナンバーワン、「私は愛されていない」も、逆さま封じがかけられているからです。 人間が育つ過程で、そう思い込むようなレールが敷かれていました。 例えば教育にはそういう落とし穴がいっぱい作られてしまったと感じます。 たくさん素晴らしい先生たち、子どものためにと通わせる親、一生懸命頑張る子どもたち…、そんな私たちの純粋さが逆手に取られてしまった…。 生きづらい世の中になってしまったのです。 自殺は自己責任とか言う人もいれば、社会福祉を受けざるを得ない立場の人へのプレッシャーも相当あります。 本当なら、生まれた時から全てを与えられているので、年々生きやすくなっていくはずなのです。 こんな風に逆さまになってしまった世界において、本当のところを感じるには、再び逆さまにひっくり返さねばなりません。 今年の半ばから、マスコミによる報道だけでなく、SNS越しに流れてくる情報は、無駄に恐怖を煽ろうとする魂胆が見え見えのものが増えてきました。 私は最初から、こちらにも書きましたが、大団円となる予感がずっとありました。 もはや、悪どい魂胆がまかり通る地球ではなくなったと、ずっと感じていましたが、私の勘違いなのか?!それとも向こうが焦っているのか、バカにしているのか…何なのか? 自分に問いかけてみました。 すると、しばらくして突然ふっとこんなことを思ったのです。 …ところで、ハイヤーコンシャスネスからの答えは、こんな風に、ある時ふっと訪れます。 あたかも、自分の考えかのように…。 今回の私の問いかけに対するハイヤーコンシャスネスからのレスポンスはこうでした。 「これはあなたたちのことではないよ。これは全て、悪に魂を売ってしまった人々に改心するチャンスを与えるために起きているよ。」 おお…、納得。 私は、ここのところ、特にここ1ヶ月の動きを見ながら「おかしい…。簡単過ぎる…。これは何か裏があるのでは?!」と唸ってました。 例えば、不正選挙ひとつとっても、疾病の検査にしても、開発されたワクチンの治験者の暴露にしても…、簡単過ぎませんか? まるで用意されていたみたいに出てくる証拠…。 映画なんかに出てくる悪党なら、絶対気取られないように完璧にやるんじゃないかと思いませんか? 不正選挙ってこれ、一国の、しかも大国の大統領を決める選挙ですよ? そんな中、「これはオトリ捜査だったのではないか?」という意見もありましたが、囮捜査にしても、キミら悪党きれいに囮り作戦にハマり過ぎや!!ってツッコミたくなるほど…。 中枢の関係者らは、魂を売り飛ばしたわけですから、反省しても牢獄行きでしょうけれど、今、改心するチャンスを与えられているのは、下々の人たちです。 勘違いしていたり、純粋さを利用されてしまってたり、心の深淵で燻っていた負の感情に火をつけられて、知らない間に黒い流れに飲み込まれていたような、そんな人たちが気づけるように、ラストスパートで今、色々起きてる…、その方がしっくりきます。 よく、光と闇の戦いと言われますが、これは一人一人が自分としっかり向き合って、人間としてやるべきこと、すべきでないことをしっかり認識できてますか?ってことだと感じます。 そして鏡の法則。 これはよく知られている特徴ですが、よく忘れてしまう特徴でもあります。 目の前に広がる光景というのは、少し前の自分のエネルギーなのです。 目の前に広がる現実は、ちょっと古い情報なのです。 つまり、「これが欲しい!」と意図してから、それが現実のものとなるまでに、時間がかかるわけです。 この時、「自分はこんなにも生まれ変わった気分なのに、どうして現実は前のままなんだろう?」と、ガックリしてしまう人もいますが…、実はその時見ている「現実」は、生まれ変わる前のエネルギーが映し出したものなんです。 だから私たちは、ひたすら「私が欲しいのはこっち!!」と選択し続けるだけ…。 逆に、目の前に広がる「現実」に拘りすぎると、それが新たな意図となり、それが現実である世界にたどり着いてしまうわけです。 ここでいう拘る、というのはどういうことかというと、恐れたり、怒ったりすることです。 要するに、負の感情を量産することが、拘るということです。 いや〜な、臭ってきそうな「現実」が視界に飛び込んできても、「は?!バッカじゃないの!そんなことまかり通るわけないやん、ちゃんちゃらおかしいし!ハーッハッハ!」でおしまい。 そして引き続き、自分が欲しいものを選び続けましょう。 今の自分のエネルギーが最先端なのです。 ![]() 古代の人々の文字や宇宙の言語は、現代の人々の文字の使い方とは全く違っていました。(こちらの続きです。) だからこそ、読もうとすれば読めず、理解しようとすれば理解できないのです。 現代の人々からすれば「一つの文字」のように見えても、実は分厚い本一冊分の情報を内包しているような感じです。 そんな宇宙の言語システムとでも言うのか、文字のシステムでは、受け取る側のエネルギーによって、どれだけ受け取れるかの情報量が異なります。 情報というエネルギーは、繊細な…、手術の時に使われる麻酔薬のようで、多すぎても危険、少なすぎても危険なのです。 これが現代で言うところのセキュリティのような役割を果たしていた気がします。 というのも、それぞれが受け取れるだけしか受け取れないからです。 古代の人々は、情報をそうやって保管し、また遺していたような気がします。 つまり、情報を受け取る資格が求められたわけです。 資格といっても、現代でいうところの「資格」のエネルギーとは異なるエネルギーの資格。 それは、家柄で決まるもので無ければ、テストの点数で決まるような資格でもなく、ましてや所有する財産のボリュームでもないし、年齢や性別、人種で決まるような「物質主義」的な資格ではありませんでした。 自分自身の内側、コンシャスネスとどれだけ繋がっているかで、受け取れる情報の内容に差が出た気がします。 コンシャスネスはユニバーサル、生命力と同じように私たちを、この世界を創っている源のエネルギーと繋げるエネルギー。 それは宇宙の、生命力のメッセージってことかぁ…。 どれだけ感じ取れるか。 それがいつ頃からか、いちいち事細かく説明するのが文字の役割のようになり、人々は感じとることをしなくなった気がします。 それは物質主義的な文化の到来と共に加速して、益々、頭から生きる文化が栄えたんでしょうね。 ヒーリングも同じで、その時の個体の状態に応じた癒しや気づきが訪れるので、全てはやっぱり最善なのだなあ…。 |
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February 2021
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This is an ancient Japanese letter pronounced as "o".
Its energy, the message is to improve our ability to heal ourselves, which is the basis of my healing work. これは日本の古代文字で、「を」と発音します。 私たちが本来持っている癒す力を高めるというメッセージが込められています。 これは私のヒーリングワークの基本です。 |
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