色々なことがるけれど、何となく世界は同じぐらいのスピードで気づきを得てるような気がします。
エネルギーの法則は鏡の法則。 自分の中に恐怖があれば、鏡にも映る。 ザワッとする投稿や動画、画像を見たらチャンス、鏡の前に立ってみましょう。 恐怖が映り込んでいたら、それは自分が引きつけたことになる。 自分の中にある恐怖を解消せずに、ポジティブなニュースを探しても、デモに参加しても、鏡には恐怖が映り続けます。 ここ数日、日本の自殺者数が、c19の死亡者数よりも大きことが、ヨーロッパでも話題になっていました。 だから封鎖は百害あって一利なしだと言うわけです。 確かにその通りですが、日本人にとって自殺は以前からあった問題で、確かに今年増えてしまったのは一際ショックですが、根本的な原因である歪みもc19で悪化したとはいえ、問題は以前からありました。 それを言いたくて、英語のツイートにそんなコメントをしてみたり…。 今、いろいろあり過ぎて、聞き心地の良い誰かが紡ぎ出すストーリーに便乗したくなる時ってありません? ポジティブな印をくれるストーリーを紡いでる人に便乗したくなるような…。 私は時々ありますよ。 でも、その度に、「いやいや、この人はこの人のストーリーを紡いでる。信頼しよう。ちゃんと紡ぎ続けてくれることを!そして私は私のストーリーを紡ぎ続けよう」と、思い出すようにしています。 ワクチンだー、偽陽性だー、医療崩壊だー、いろいろ不安を煽る話が多いですから、逆に、例えば大量逮捕だとか、光と闇の戦いで悪がコテンパンに…みたいな話を聞くと、ちょっと気晴らしになることもあるかもしれません。 でも、それでは、彼らが紡いでるストーリーに吸収されている状態。 そのままでは、いつまでたっても自分のストーリーが始まりません。 そんな時は、誰かのポジティブな話に印を見いだした時は、「ありがとう!そのストーリーは任せたよ!」と言って、私たちもそれぞれ、自分のストーリーを紡ぎ続けましょう。
0 Comments
鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?と、魔女が尋ねた時、鏡は生まれたてのお姫さまを映し出しました。
そのせいで、このお姫さまは呪いをかけられ…(以下省略)。 鏡は純粋で嘘がつけません。 それでも物語はハッピーエンド、鏡は純粋だからこそ、鏡なのです。 私たちは現実というものを理解する時、鏡のアナロジーを使ってきました。 この世が鏡であるならば、私たちの感知する「この世界」は、鏡に映し出された私たちそれぞれのエネルギーです。 そして昨今は、鏡の前にたってから、実際に鏡にその姿が現れるまで、ちょっと時間がかかるのがスタンダードとなりました。 つまり、私たちが感知する「世界」は、いつもちょっと前の自分のエネルギーなのです。 ということは、最新情報は今の自分のエネルギー。 そしてもう一つ。 Transurfingにて、Vadim Zealandも言ってますが、「The mirror cannot reflect what isn’t there.」、つまり、「鏡はそこに無いものは映し出せない」(拙訳)んですよねぇ。 ということは、私たちのエネルギーに余計なものがくっついていれば、それも映し出されるだけでなく、私たち自身が、自分のことをよく分かっていなかったら、映し出された世界を感知しきれない…ということでもあるんですよね。 だからこそ、やっぱり、「己を知る」は鉄板です。 己を知る…というのは、自分の本来のエネルギーという感覚を覚えるということ。 己を知るというのを、頭からやると、人間はズルさが出てしまって「こう見られたい」とか、「こうあるべき」というのが出てきて、役に立ちません。 だから、感じるのです。 感じるのは自分のエネルギー。 私はエネルギーヒーリングは、そのためのもの…だと理解してます。 病気を治すとか、悩みが解消するというのは、一人一人が、本来のエネルギーを感じとれるようになるから起こる自然現象…、物理的なことであって、奇跡でもマジックでも無い。 エネルギーヒーラーとして、私はその人のエネルギーを様々なレベルで感知して、「コレはあなたのものじゃないですよね」とか、「ああ、コレコレ、コレがあなたのエネルギーですよ」とかやりながら、ご本人にも「あー、そうでしたそうでした!コレです!」と思い出してもらうのです。 タロットカードに魔術師というカードがあります。 魔術師は、マジシャン…というよりも、アルケミストのことで、アルケミストは錬金術師と訳されます。 錬金術師とは何ぞや?と問うた時、私はそれは決して文字通り卑金属をゴールドに変えられる人…というのではなく、鏡の達人のことを指すと感じます。 鏡の達人とは、思ったことをどんどん具現していく人のことで、それは私たちの遠い祖先、古代人の姿でもあります。 己を知る…、自分自身のエネルギーを感覚としてわかってる人こそ、この魔術師です。 魔術師のカードを見れば、彼が火・水・土・風の四元素を全て使いこなせることが描かれています。 私たちも、自分の本来のエネルギーで生きる時、全てがクリアになり迷いがなくなります。 そんな時、病気も問題も解決されるのは、ある意味、自然なことなのですよね。 しかしどうして人間が考える対策?対応?って、どれもこれも対処療法だけに留まるんだろう?
そう、対処療法が悪いわけじゃない。 でも、対処療法は対処療法だって、頭痛がする時に服用する頭痛薬でしかないわけで…。 私はエネルギーワークをする者としては珍しがられるけれど、「頭が痛くてたまらない時は我慢せず、頭痛薬をのんで取り敢えず痛みを抑えてから、そもそも何故頭痛がしたのかを見ていきましょう」というスタンス。 対処療法も使う…けれど、それはバンドエイド的。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 疫病にはワクチン、健康になりたければサプリ、給料の高い仕事に就きたければ資格や学歴…。 全て表面的で、根本的な部分に触れていない。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 最初は皆、封鎖は3週間程度と言われていたので、「それならば」と名乗りでたのでした。 この場合、封鎖に纏わる諸々のニーズは症状で、ボランティアはバンドエイドにあたります。 根本的な原因は、それらの向こう側にありました。 自己検疫期間中の一人暮らしの人の買い物を手伝ったり、持病の薬を届けたり、検査の行き帰りを送り迎えする役から、精神的に不安定になった人たちの電話サポート…。 ある人は、防護服を作るボランティアに参加したと言ってました。 私は、電話サポートをやることにしました。 サポートしてみると、私が担当させて頂いた人々の2/3は金銭的に困窮していることからくる精神的ストレスで、家族と疎遠になり孤立してしまった感じで孤独に苦しむケースは意外と少なかったんですね。 ボランティアを管理するプロジェクトマネージャーたちも、普段は他の業務を行政内でやってたりするんでしょうね、色々スンナリ行かないことももちろんあったり、サポートはしてくれるけれど、一人一人のニーズや性格はユニークで中々難しいところもあるのは当然のこと…。 そんな人々との触れ合いや、既存のシステムを体験してみて感じたのは、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということ。 その問題が個人レベルであれ、法人レベルであれ、行政レベルであれ、国家レベルであれ…。 それが、コロナによる封鎖という極端な状況で、ブォンッと破裂した感じでした。 私が言った、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということは、頑張りが足りない…という意味ではありません。 例えば、移民の手続き中ということで、元から仕事はしてはいけなかったけれど、知り合いのお店でこっそりバイトをさせてもらっていたらしい人がいたのだけど、この人は封鎖により店も閉店してしまい完全に収入の道を閉ざされてしまったと言っていました。 もちろん、イギリスにもチャリティはたくさんあるから、行政のソーシャルワーカーが見つけてきた、この人たちも応募できるチャリティに応募したものの、電話サポートとして最後に電話をした時、「カエコ、私たち家族はどうすれば良いの?」と聞かれ何も言えず…、というか、電話サポート要員は基本的に「話を聞くだけでアドバイスや個人的な視点は言わないでください。」と言われていたものだから、「ごめんね、私よくわからないから何も言えないけれど、担当者にお願いして詳しい人に電話してもらえるように頼んでおくわね。」としか言えなかった。 そんな時、部外者であれば、言いたいことはそれぞれあるだろうけれど、彼らも、彼らの事情があっての選択で、それを処理している行政側も、サポートをしている団体も、それぞれの事情があってのこと。 他にも、一人暮らしの方と話していた時、その人の家にはインターネットが無いから困った…みたいに言われ、私が「お隣さんのネットワークを使わせてもらったら?少しお金を負担すれば嫌がる人はいないわよ」と、ついつい、自分の経験からアドバイスをした私に、その人はピシャリと「あ、彼らとは折り合いが悪いの!」 私も人間関係では苦労してきたタイプだから、偉そうなことは言えないけれど、つまり、問題は既にあったわけか…と。 コロナ前は自分で何とかできていた人はそれなりに、逆にコロナ前は誰かの助けありきで生きていた人たちもそれなりに、それぞれの「根本的な問題」を直視せざるを得なくなったように感じます。 良し悪しの問題ではなく、「困ってしまった…」ということは、それぞれにとってのシステムとして脆弱だったということ…。 一人だからとか、誰かに依存してるから…という問題ではありません。 個人レベルもそうですが、社会レベル、国家レベル、地球レベルでも同じこと。 問題は既にそこにあった。 コロナが何であれ、どういう理由で出てきたのであれ、これは衝撃的でしたよ。 SNSを見ていると、10年前からとか、30年前から、世の中の動きに疑問を抱き、自給自足の生活基盤を作ってきましたという人がたくさんいらっしゃってすごいと思う。 私は10年前も、30年前はもちろん、そんなこと1ミリも感じずに生きてきました。 もちろん、それも何か意味があってのことだから、後悔もしてなければ、不安もないけれど、今年は、去年に私が感じた予感通り土星の喝が入りました。 土星の喝とは、土星の公転周期に因んだ「この先29年間持ちこたえないものは、見直しを余儀なくされる」というもの。 私自身、この先29年持ちこたえないであろうガラクタシステムをスッキリ掃き出すことができました。 そう言い切れることに、今はただただ感謝です。 海王星の巡行に合わせて、アメリカの大統領選挙から、長年行われてきた不正選挙というシステムがどんどん明らかになりつつあります。
今年は土星のあたり年ということで、土星の公転周期に基づく、堅実さを表すエネルギーの特徴「29年間使えないシステムにダメ出しが入る」の最初の突破口がコレな気がしています。 土星のエネルギーは、根本的に見つめ直すことを促します。 私の周りの山羊座さんたちを見ていると、彼らの堅実ぶりが正にこの土星のエネルギーなんです。 彼らはよく「食い扶持に困らない」と言われますが、これはそういう堅実さから来るものです。 もう、この先はこんな不正選挙に基づいた国の運営システムは使えませんよ、新しいシステムを考えて出直しなさいよ、ということですね。 ここでダメ出しが入ったのは、アメリカ大統領選であれば、アメリカという国よりも、アメリカという国を運営する「会社」としてのアメリカです。 アメリカという会社は、ここで変化を余儀なくされているわけです。 しかしこれは対岸の火事ではなく、恐らく地球にあるほぼ全ての〇〇国という会社としての国々は、全て同様か類似したシステムにより運営されてきたのではないでしょうか。 よって、やはり変化を余儀なくされる…と感じます。 トランプさんのアメリカファーストは、もちろんアメリカの国益を第一に考えるということでしょうが、やはりアメリカが最初に…というエネルギー(言霊)も含んでると私は感じてます。 アメリカ(会社)は、地球において人類に大きな影響力がありますから、アメリカから変化が始まれば、ドミノ倒しみたく、それは地球全体に広がっていくのは自然なことだと思いませんか? 日本は偏向報道が激しいのと、高いと言われる日本人の民度から、余りまだ危機感を抱くような事態ではないかもしれませんが…。 最近、イギリスで今年可決された法案の中に、コロナ検査でDNAを採取することが盛り込まれていたことに今更驚いている日本の方々がいらっしゃいました。 確かにドキッとする内容ですが、私からすると「これまでやっていなかったとどうやったら言い切れるんだろう?」でした。 これまでもきっとやっていたんじゃないか…? それを今回「ついでに」合法化して、これまでやってきたデータとあわせちゃぉ…みたいに感じるのです。 というのも、こんな風にコロナに乗じた法案は各国で今、作られ可決されていますよね。 それらは、私たちが日常生活で目にする契約書の中の、※印で書かれている小さいフォントの部分みたく、誰も読まない…ことが前提…、でもサインをしてしまえばサインをした者を縛る効力を発するもの…。 そんな感じでこれまでも行われてきた気がするのです。証拠はありませんが…。 それはつまり会社としての国が、正直に国民に、自分たちのオペレーションを話しているでしょうか?といったところです。 日本からご覧になった方もいるかもしれませんが、イギリスでは首相がシリアスな面持ちで特別会見を行い「あなた方は皆、愛する誰かをこのウィルスによって失うことになる」と宣言しました。 私も人々も、皆、コロッと信じました。 私も「もう家族に会えないかも…」と真剣に悩みましたよ。 イギリスに来てから…イギリスの医療システムにより、いつも「会いたい時に会えない」のがお医者さん…というのが常識になったので、首相は「とはいえ、医療体制は整ってるから心配しないように」とも言ってらっしゃいましたが、私は自分でなんとかしろってことね…と頭は超高速で回転し始めていました。 というのも、2009年トリだかブタだか知りませんが、インフルにかかって1ヶ月寝込んだ私は結局、こちらの医療からは診察する規格(体温や症状の電話による問診)から外れると診察を断られ続け、医療のお世話になれなかったというのか、免れた…というべきか、医療の網目からこぼれた経験を持つので、ウィルスがリアルだった今年の初めは「ヤバい、自分でなんとかしなくちゃ…」と感じてました。 いつでも帰れる日本が、次いつ帰れるか日本…と、途端に遠くなった瞬間でした。 そこから私は自分で色々調べるうち、世界中でも皆が調べ始め、それは大きな流れを作り、すぐにウィルス自体が弱毒性であることや、この裏で様々なアジェンダ(プラン)が実行されてきたこともわかりました。 間違ってる、正しいという話ではなく、私の命は他の命と同様、等しく尊いのですが、国を運営する「会社」としての国からすると、それは建前であって運営方針としては成り立たない…というか、そういう運営の仕方だったのがこれまで…なんでしょうね。 そしてこれは昨今、残念ながら、あらゆる国を運営する「会社」としての国からすればスタンダードになってしまってました。 だから最近、大阪からも「トリアージが…」なんていう発言が出てくるのです。 あの一言により、すでに医療に依存している人々の免疫力はどれほど低下したでしょうか? あれにより、純粋に人を助けたくて医療関連に従事している人たちは憤りを感じたのではないでしょうか? 「気安く言わないでくれ!」と感じた関係者の方々はたくさんいらっしゃったと感じます。 それに、一人暮らしのお年寄りはもちろん、持病をお持ちの方、持病を持つ家族を介護する家族…。 リーダーには本来ならば、一番助けを必要としている人々と助ける側の人々を励まし勇気づけることを述べて欲しいところです。 もちろん、口先だけじゃなく…。 そういうリーダーによって民度も磨かれる気がします。 リーダーの言動がマッチしていれば、皆、助けあうのになぁ。 因みに、彼が掲げている対策は、今年前半にイギリスでやったことである印象を受けました。 対策はあくまで対策であって、バンドエイドで、本質には届きません。 私のホームページ内にも書いてます。 私たちは症状や問題が目の前に現れた時、それに対して何とか対処しようとします。 私たちが、症状や問題そのものを対処しようとしている時、用いるメソッドがエネルギーベースだろうと、ホリスティックだろうと、現代医療だろうと同じことを見過ごしています。 その同じこととは、「そもそもどうして自分はこれを問題だと感じるのか?」、「そもそもどうしてこの症状(または疾病)が出たのか?」という視点を見過ごしているのです。 この部分を見過ごしたままでは、問題や症状は、手を替え品を替え、いつまでもあなたの前に現れ続けます。 トリアージというコンセプトが生まれたのは、ずいぶん昔かもしれませんが、思えば、その時から、この宇宙を創った創造主は私たちに問いかけ続けてきたのだと感じます。 トリアージというコンセプトを作る前に、「それが必要となった状況を作り出している原因があるだろう?それを忘れてはいけないよ…。」 これまでは、この方針で、幾らかは引っ張ってこれたかもしれませんが、その運営方針はこれから先の地球では成り立たなくなりますよ、と言われているのが今。 国を運営する「会社」が試みてきたこと、やろうとしていることは、生命のコントロールです。 これは神の領域で、肉体を持つ人間にコントロールできるものではないからです。 人間にできることは、それを祝福して満喫することなのです。 DNA採取の話に戻りますが、今回のウィルスも、空から撒かれているものも、電磁波にしても、私たちを瞬殺しないように、生かさず殺さずの手応えとなるよう、どうやって調整しているのでしょう? しかし個人差もありますから、人一倍苦しむ人も出てきます。 そんな時、私たちの細胞は時空を超えて過去の私たちの細胞に、ある種の必要な変異を呼びかける気がします。 それは頂いた生命を生きるために不可欠な変異…。 生命は生きるためにあります。 生きるために必要な変化を生み出す力を内包しています。 これは不確定要素です。 不確定要素はコントロールできないからこそ、不確定要素です。 尽く、限界がある肉体を持つ私たち人間は、そろそろこの、コントロールできない不確定要素を受け入れ祝福するタイミングにあるのではないでしょうか。 以前も書きましたが、人間はここぞという時に、恐ろしいほどの純粋さを発揮できる存在です。
三層からなるエゴと私の大団円予感先日ベルリンで、疫病に対する一連の対応に疑問と反対の意を表明する市民らが議事堂前に集まった様子が流れてきました。...www.kaekonakagawa.com それを去年の暮れからハッキリと感じながら、あの大団円予感を書きました。 今、嘘によるまやかしの時代が終わりを迎えています。 でも、何千年と嘘を吐き続けてきた者たちは、何とか自分たちの時代を終わらせないために、持ちネタを総動員して誘導をしかけてきます。 そんな彼らにとって今はラストスパート…なのかもしれませんが、何のことはない、私たちは何千年と、こうして誘導、操作されてきたのです。 そこから解放するのは自分次第です。 解放して頂くんじゃありません…、それは奴隷思考の癖です。 顕在意識レベルではなかったですが、どこかの意識レベルで、私たち人類も、誘導され、操作され、奴隷になることを選択してきたわけです。 どんなレベルであれ、自ら選択したことを、変える=選び直すことができるのも自分です。 選び直す新たに選択するためにも、知るべきは、その嘘が命に関わる嘘であったことと、誘導そのものについてです。 例えば、豊かというコンセプト。 エネルギーワークが盛んになると、エネルギーワークの原理をよく知り、それを使ってきた嘘つきたちは、私たちがエネルギーワークの真理に辿り着いてしまわないように…というのは、自分たちが作り出した搾取システムに繋げ止めておくために、こんな言葉を仕込んできました。 それは、豊かさ。 人間は本来、豊かに生きるべきだ…というわけです。 最もらしいですが、本当はこうです。 人間は生まれつき恵まれている、これが本当です。 恵み…は、豊かさと似てるけれど、違います。 豊かさって、「たくさん」とか「増える」なんですが、恵みは、「ちょうど」与えられたもので尽きることが無い…から、増やす必要もなく、そこには「減る」だとか、「無くなる」という不安も無いわけです。 恵みは「与えられた」ものですから、何かや誰かを犠牲にすることはないけれど、豊かさはどうでしょう? 私も一時期惑わされましたが、「豊かさにアクセスするワーク」とかは、豊かにしてくれるかもしれないけれど、やっぱりどこかで何かや誰かの犠牲の上にしか成り立たないような気がします。 誰かや何かを犠牲にするやり方は、どこか、いつか、破綻します。 私はこれまでに2回、ネットワークビジネスに誘われたことがありました。 やる人ややりたい人は自由ですが、私はどうしても↑の中で言うところの豊かさな気がして納得ができず、いつもお断りしてきました。 ただ、ネットワークビジネスの殆どは、商品のクオリティが良いと思います。 だから、私も出会ったんですが、システムが…ねぇ。 おすすめしてくださる方は皆、「これは他のネットワークビジネスとは違って、営利目的ではない」とか、「これは数あるネットワークビジネスの中でも、%が非常に良心的である」とか言われますが、私は素直なので「それなら話だけでも聞きましょう!」と前向きにお話しを聞くわけですが…。 聞き終わると、いつもの「う〜ん、これって永久に参加者が自分の『下』に子としてついてくれる誰かを探すことになるのかー」ってなるんです。 私にとっては、その「誰か」は犠牲…なので、参加しません。 幾度となく「それはあなたにブロックがあるから!」と言われてきましたが、過去のブログに一度書いたんですが、お金のブロックという視点こそ、嘘つきたちのプログラミング…、そこにいる間は嘘によるまやかしシステムの奴隷なんですよ。 だから私、豊かさって、どこか嘘がついて回るので疲れます。 今年、はっきりと潮目が変わったのを感じましたが、もう嘘を突き通せない時代に入ってます。 これまでは騙せた、騙されたかもしれないけれど、もう、これ以上は騙し続けられない、騙され続けられない時代。 だから、ビジネスの形態も、変わっていくと感じています。 嘘によるまやかしのシステムは、「もっと」が基本です。 「もっと」は意味のない競争を作り、仲間同士での競争は、私たちの魂を疲弊させます。 それよりも、元々そこにあった「恵み」に気づき、それぞれに合った足るを知る生き方を模索していくことが、真の意味で自由への近道なのかもしれません。 もちろん、その足るを知る生き方は、誰かや何かを犠牲にしないもの…です。 数日前にラップトップが壊れてしまったのですが、修理も出来ないほどのご老体だったので修理の予定もなければ、新しくパソコン買わなきゃっ!もありません。 タブレットとスマホだけで私の仕事はできますし、パソコンと違って立ち上げ時間が皆無なので、すご〜くスッキリです。 実は他にも、様々な日用品がちょうどこのタイミングで壊れてきてるんですが、買い替える必要があるものだけ、長く使えそうなものに変えて、後は処分しています。 うわ…!これは大きく流れが変わっている証(ING形で現在進行形)…。 ワクワクしてます。 以前、「逆さまにすることで悪魔的なエネルギーが生まれる」と書きましたが、私たちが暮らしてきたこの世界、長らく、恐らく数千年に渡り、逆さま化が施されてきました。
逆さまが悪?!と混乱されたかもしれませんが、人間としてやるべきこととやるべきでないことの境界が曖昧にして人間を惑わせるだけでなく、良いものを悪いものにしたり、悪いものを良いものと、真実を逆さまに教えてきたことは、命に関わる嘘をついてきたことになります。 例えば、世界に蔓延している思い込みナンバーワン、「私は愛されていない」も、逆さま封じがかけられているからです。 人間が育つ過程で、そう思い込むようなレールが敷かれていました。 例えば教育にはそういう落とし穴がいっぱい作られてしまったと感じます。 たくさん素晴らしい先生たち、子どものためにと通わせる親、一生懸命頑張る子どもたち…、そんな私たちの純粋さが逆手に取られてしまった…。 生きづらい世の中になってしまったのです。 自殺は自己責任とか言う人もいれば、社会福祉を受けざるを得ない立場の人へのプレッシャーも相当あります。 本当なら、生まれた時から全てを与えられているので、年々生きやすくなっていくはずなのです。 こんな風に逆さまになってしまった世界において、本当のところを感じるには、再び逆さまにひっくり返さねばなりません。 今年の半ばから、マスコミによる報道だけでなく、SNS越しに流れてくる情報は、無駄に恐怖を煽ろうとする魂胆が見え見えのものが増えてきました。 私は最初から、こちらにも書きましたが、大団円となる予感がずっとありました。 もはや、悪どい魂胆がまかり通る地球ではなくなったと、ずっと感じていましたが、私の勘違いなのか?!それとも向こうが焦っているのか、バカにしているのか…何なのか? 自分に問いかけてみました。 すると、しばらくして突然ふっとこんなことを思ったのです。 …ところで、ハイヤーコンシャスネスからの答えは、こんな風に、ある時ふっと訪れます。 あたかも、自分の考えかのように…。 今回の私の問いかけに対するハイヤーコンシャスネスからのレスポンスはこうでした。 「これはあなたたちのことではないよ。これは全て、悪に魂を売ってしまった人々に改心するチャンスを与えるために起きているよ。」 おお…、納得。 私は、ここのところ、特にここ1ヶ月の動きを見ながら「おかしい…。簡単過ぎる…。これは何か裏があるのでは?!」と唸ってました。 例えば、不正選挙ひとつとっても、疾病の検査にしても、開発されたワクチンの治験者の暴露にしても…、簡単過ぎませんか? まるで用意されていたみたいに出てくる証拠…。 映画なんかに出てくる悪党なら、絶対気取られないように完璧にやるんじゃないかと思いませんか? 不正選挙ってこれ、一国の、しかも大国の大統領を決める選挙ですよ? そんな中、「これはオトリ捜査だったのではないか?」という意見もありましたが、囮捜査にしても、キミら悪党きれいに囮り作戦にハマり過ぎや!!ってツッコミたくなるほど…。 中枢の関係者らは、魂を売り飛ばしたわけですから、反省しても牢獄行きでしょうけれど、今、改心するチャンスを与えられているのは、下々の人たちです。 勘違いしていたり、純粋さを利用されてしまってたり、心の深淵で燻っていた負の感情に火をつけられて、知らない間に黒い流れに飲み込まれていたような、そんな人たちが気づけるように、ラストスパートで今、色々起きてる…、その方がしっくりきます。 よく、光と闇の戦いと言われますが、これは一人一人が自分としっかり向き合って、人間としてやるべきこと、すべきでないことをしっかり認識できてますか?ってことだと感じます。 そして鏡の法則。 これはよく知られている特徴ですが、よく忘れてしまう特徴でもあります。 目の前に広がる光景というのは、少し前の自分のエネルギーなのです。 目の前に広がる現実は、ちょっと古い情報なのです。 つまり、「これが欲しい!」と意図してから、それが現実のものとなるまでに、時間がかかるわけです。 この時、「自分はこんなにも生まれ変わった気分なのに、どうして現実は前のままなんだろう?」と、ガックリしてしまう人もいますが…、実はその時見ている「現実」は、生まれ変わる前のエネルギーが映し出したものなんです。 だから私たちは、ひたすら「私が欲しいのはこっち!!」と選択し続けるだけ…。 逆に、目の前に広がる「現実」に拘りすぎると、それが新たな意図となり、それが現実である世界にたどり着いてしまうわけです。 ここでいう拘る、というのはどういうことかというと、恐れたり、怒ったりすることです。 要するに、負の感情を量産することが、拘るということです。 いや〜な、臭ってきそうな「現実」が視界に飛び込んできても、「は?!バッカじゃないの!そんなことまかり通るわけないやん、ちゃんちゃらおかしいし!ハーッハッハ!」でおしまい。 そして引き続き、自分が欲しいものを選び続けましょう。 今の自分のエネルギーが最先端なのです。 長らく使っていたラップトップが、とうとう壊れてました。
このモデルでこの長期間使ってたのか!と言っても良いぐらい、本当に長らく使ってました。 私は基本的に電化製品運が良く、大体全ての電化製品は、恐らくメーカーの思惑以上に長持ちするタイプなのです。 それは、私が物に話しかけるからかもしれません。 何だろう?物にも一つ一つ、キャラクターを感じるわけです。 このラップトップもそうで、これはおじいさんキャラでした。 もちろん、新品の頃はおじいさんというより、40代ぐらいでしたけど…。 私の世界では、物のキャラクターも加齢するんですが、電化製品は動物みたく、加齢スピードが速めです。 今年はさすがに疲れてきたらしく、マルチタスクがどんどん厳しくなっていたものの…、今はまだ欲しいラップトップに出会っていないので、そのまま使っていました。 そんなある夕方、凍りついたのち、復帰できなくなりました。 あれこれ復旧のために試しながらも、どこかで「あ〜、このパソコンにもずいぶんお世話になったよね〜」と、あんなことあったなぁ、こんなことあったなぁ…とか、思い出モードに入っていた私。 ラップトップとはいえ、ほぼデスクトップとして使っていたので、普段はタブレットで、そっちの方はまだまだ新しいので、呑気にしていたのです。 物が壊れる時は、エネルギーが変わる時で、特に電化製品や、毎日使っているものは、その影響が著しく現れます。 このパソコンは、日々、私のエネルギーを一番受けていた物でした。 このパソコンを買った当時の私は、何と2%の世界に生きていました。 フルの世界を100%とすれば、2%なんて殆どスリットみたいな細さ…。 あの頃の私はずっとそこにと生息していたようなものでした。 当時の私は、仕事を辞めたくて、自分の家族もしんどくて、世界が私に意地悪しているような感覚で生きており、息も浅くなっていたことを思い出しました。 私はタイピングが割と速いのですが、当時、怒りながらも、その怒りに自分で気づかないまま、猛烈な勢いで書類等を作っていたことを、今更ながら思い出しました。 このラップトップと出会ってから間も無くヒーリングと出会ったのですが、そもそも、私がどうして、自分は世界から嫌われている…、なんていう思い込みを作ってしまったのだろうと紐解いて行くと、小学校に入学した頃の経験が蘇ったのでした。 それは実はずーっと、引っかかってたことでした。 私は幼稚園またはそれより幼かった頃は、「どこへ行っても可愛がられるじぶん」という世界に生きていたのですが、小学校に上がって早々に、年上の学年の男の子に「オマエ、あっちへ行けよ!」って言われたんですね。 その時に、マイワールドに亀裂が…。 その時、たまたま学校に用事で来ていた母がガーンとなっていた私に「あんたのこと嫌いっていう子もそりゃいるわ。でも、だから何なん?」とスッパリ。 大人になってから気づきましたが、私の母は答えを教えてくれる人なんです。 とても現実的なタイプなので、自分にも誰かにも、無駄に遠回りさせることを極端に嫌います。 段取りクイーンで、万が一、途中で想定外の要素が飛び込んできても、うまく纏められる人です。 そんな彼女ですから、相手が子どもでも、答えが明らかな場合は、わざわざ考えさせるよりも答えをパッとくれるタイプ。 そして、子どもにとって、特に子どもが小さい時は、親のいうことは正しい、間違ってるを超えて、答えそのものじゃないですか? 私にとってもそれは同じだったから、「え!!!!そうなのか!」と必死で受け入れようとしたのですが…、当時の自分は男子児童の言動にめちゃくちゃ動揺していたのと、ヒューマニスト水瓶座の私には、そんな「あ、そうよね」とスンナリ飲み込めませんでした。 そんなわけで母の言葉は、脳に「これが答えらしいぞ!」と、インプットされましたが、潜在意識にも「私のこと嫌いな人がいる」がこっそりインプットされました。 そのこっそりインプットされた情報は、小学生生活が終わる頃には、「〇〇ができないから、私は愛されない」になってました。 これが潜在意識の特徴でもあります。 潜在意識に取り込まれたデータはクラスターを作り、関連データをどんどんつなげて行くのです。 この「〇〇ができないから、私は愛されない」は、その後私がヒーリングを始めるまで、私について回り、そこかしこで「ヌッ」と主張してきました。 私は美大に通っていたのですが、美大在籍中の講評会ではいつも、教授らにこき下ろされる度、「才能がないから、嫌われている…。」、その後渡ったイギリスで、自分の作品をショップやギャラリーに置いてもらうために(ネット社会前の話です)中へ入り、カウンターやデスクの向こうにいる人たちに声をかけるのが恐ろしかった…! 友人に「え?怖い?わかるけどさ…、言われても『NO』でしょ?それぐらい良いじゃないの」と言われ、散々背中を押させてたなぁ…。 2012年頃にヒーリングと出会って、小学生の、男子児童にあっちへいけと言われたポイントに戻った時、ふと%を出してみることにしました。 当時のクラスは大体の人数から考えて、その中で私が受け入れられなかった1名…(もっといたかもしれませんが、取り敢えず…)ということは…、100%中、2%ぐらいの割合が私を「受け付けられない」と感じるってことだわ…と気がつきました。 2%? 100人中2人ってこと?! その時に、「ああ、私がしんどい時って、その2%の中にネジこもうとしてる時だ…!」って気づいたんですね。 2%の、私を受け付けられない人たちに、「お願い!そんなこと言わないでさ、良いじゃない、私のこと受け入れてよ」って頑張っていた時、しんどかったわけです。 潜在意識の特性から、これは2%モードで生きてるか、98%モードで生きてるか、どちらか…という風に出てきます。 One or the other. 98%の私と合う仲間がいる世界にフォーカスできてる時は楽しいけれど、2%の私を避けたい人たちしかいない世界にフォーカスしてしまうとしんどい…ということなんです。 どうですか?面白いと思いません? 「私、面白〜!」と大笑いできた時、かつて母が提示してくれた答えが時差を経て実感できたのでした。 この気づきは、7年以上経った今も、私を支えてくれてます。 あなたは今、何%にフォーカスしてますか? 先日ベルリンで、疫病に対する一連の対応に疑問と反対の意を表明する市民らが議事堂前に集まった様子が流れてきました。
私はその動画を見ていたら涙が溢れてきました。 私は、よく泣くタイプなのかもしれませんが、私が泣く時、悲しいからというよりも、人の純粋さを感じた時、感動して泣きます。 私は…と書きましたが、人ってそうだと思います。 悲しいこと「ぐらい」で泣けませんよ、ねえ? でも、そんな時に、普段優しくしてくれている人ならもちろん、赤の他人であっても、その人の純粋な部分を感じる言葉をかけられたり、表情を垣間見たり、仕草を見ると、心が動きます。 それが、そのベルリンデモを見てたら起きました。 市民がガッチリと寄り添い、壁のように立っている前に、一連の武装をしたドイツの警察らが立ち並ぶ様は、壁vsチェーンでした。 市民らは全く平和的で、時折賛美歌?のような歌声も聞こえるぐらい、そこへなんと、警察はウォーターキャノンと呼ばれる、放水を行ったんです。 https://youtu.be/f72IDMqd5HE ↑テレグラフ紙のものですが、動画のリンクを貼っときますね。 今年は暖冬とはいえ、コートは必要な時期、ウォーターキャノンなんてされたら風邪を引いてしまう! ウォーターキャノンが一旦停止した時、全く動こうとしない市民らの壁がそこに残っていました。 そこへ幾度も幾度もウォーターキャノンを続ける制服側。 それを見ていたら涙が溢れてきたのでした。 市民の純粋さを感じながら、やはり文末に書いた私の大団円予感は間違いない…と確信しました。 昨今の状態は、ヨーロッパではよく第二次世界大戦へ突入していった頃と比較されます。 ナチスによる全体主義です。 イギリスはナチスに立ち向かった側でしたが、ドイツはナチスによって無茶苦茶にされた側…。 あのケネディ大統領の甥にあたる、RFケネディJrは、アメリカで子どもを医療被害から守る民間団体を主宰しています。 彼は8月の終わりに、ドイツで開催された大規模集会に参加した際、こんなことを話していました。 「ニュルンベルグ裁判で、ナチスの将校が『しかし一体どうやってドイツ国民を従わせることができたのだ?ドイツ国民は知的で寛大な人々として知られている、そんな彼らをどうやって従わせたのだ?』と聞かれた。それに対して将校は、『それはいとも容易いことだ。彼らに恐怖を与え、それを与え続ければよい。これは共産主義だろうが全体主義だろうが、何に対しても確実で効果がある。』と事もなげに答えました。皆さん、これは議事録に残っている発言です。ぜひ調べてください。」 こちらのリンクは彼のインスタグラム で、同じ内容の話をしている動画です。ごめんなさい、英語のままです。 https://www.instagram.com/tv/CGtCdRJn-IN/?igshid=130s8cdli1oui ドイツ人は2度と、あのようなことにはならないぞ!とどの世代も心底感じているので、政府が少しでも極端な様子を見せる時、一層強く反応します。 世界中のコロナ対策に疑問を持つ医師らによるコロナ対策を検証する民間団体が、早々にドイツで立ち上げられましたし、同じくドイツでは弁護士らが主体となった団体も早々に立ち上げられました。 彼らの一人が言ってましたが、ドイツの軍隊や警察の規範には、次のような下りがあるそうです。 もし、国や権力が民主主義を危機に晒すような言動を見せた時、あなたには「それはおかしい」と声をあげる義務がある…そんな内容でした。 この頃、思い出したのが、プリモ・レヴィのホロコースト体験に書かれていたことでした。 プリモ・レヴィは、「イタリアの化学者・作家。アウシュヴィッツ強制収容所からの生還者であり、この体験を記した『これが人間か(イタリア語版)』で世界的に知られる。」(ウィキペディアより)人です。 本を読むと、収容所に入れられたユダヤ人も、ユダヤ人同士だからといって皆で助け合って…となるとは限らず、更にそこへ管理者らは、より分断が進むような工作を仕掛けていたことがわかります。 例えば、収容棟ごとにリーダーを選ぶとか。 同じ縞々の服を着せられていますが、リーダーを申し出た者は、少しだけ、ルールが楽になるのです。 例えば、スープに肉片が入れてもらえるとか、大きいパンをもらえるとか、お古の靴下をもらえる とか…。 そのために、楽をしたり、文句を言ったりする同胞を密告するわけです。 そんなリーダーは確か、カポという名称がついていたと思います。 ウォーターキャノンのスイッチを押していた人も、自分の番がきたら、自分も市民だったのだ…と気づくのでしょうか? これは、学校でも学級委員を決めるのに似ています。 子どもは純粋ですから、一生懸命委員さんであろうとしますが、実はそれは残酷なことのような気が大人になればなるほどします。 このカポ現象が起きることは予想がつきませんか? なぜか? それは、私たちの中に「カポ」が多少なりとも存在するからなんです。 光と影はセットですから、誰にでもあります。 ただ、今現在の私の中で「カポ」は暴れるほどパワーを持っていないだけ。 皆さんの中の「カポ」はどうでしょうか? この「カポ」が暴れだす人というのは、自分の内なる深淵に、根深い怒りでカバーした、自分自身の魂の深い悲しみに気づいていない人です。 ここには三層あります。 エゴ→根深い怒り→深い悲しみ エゴは、防護膜の役割を果たしてて、何から防護してくれているかというと、自らの怒り、しいては深い悲しみに気づくこと、つまり恐れからそれぞれの個体を守ってます。 そしてエゴは、内在する「カポ」によって強化されるのです。 「カポ」化が進めば進むほど、エゴは強くなって、益々自分の本当の傷に気付けないまま、時間だけが過ぎていくことになります。 また、「カポ」が暴れている人は、想像力も創造力も下がっていきます。 冒頭で紹介した「寒空の中ウォーターキャノンをしたら寒い」ことも、「マスクを着用できない人もいる」ことも、容易に想像がつくことです。 「カポ」が暴れている人たちは、そんな簡単なことすら想像できなくなってしまうのです。 「カポ」が暴れている人たちは、恨みに近い怒りを内なる深淵に抱えていますから、無意識に破壊に傾倒します。 破壊の対象は、自分はもちろん、他人の喜び、安らぎ、愛情、平和…など非物質的なものから、物 質的なものまで様々です。 タイガに暮らすアナスタシアによると、「地球は痛みを感じる。それでも地球は、母が子どもたちを愛するように、人々を愛している。地球は人間のすべての悪意を、地中深く埋めようとする。地球が力を使い果たし、力尽きたときだけ、その悪意は火山の噴火や地震となって爆発する。」のだそうです。 日本人にはよりリアルに伝わりますね。 内在する暴れる「カポ」に気づけない人々の怒りや悲しみを、地球も感じていることを知るには想像力が必要です。 エゴを刺激するには、昔から少々のお金と快楽が使われます。 ナチスの強制収容所では、一欠片のパンや肉片、穴の開いた靴下がお金の代わりでした。 2020年の展開は、生温い夢のような日々では気づくことができなかった、エゴでカバーされてきた、内なる深淵に潜む恨みに近い怒りや、その更に深いところにある魂の悲しみに気づき、それらと決別して、人類は喜びを分かち合うようになる…!というのが、私が今年の初めから感じていることです。 もう、カポ化を促進させる流れが逆流し始めています。 それは左巻きだった渦が右巻きに戻ったような感じです。 苦しい時は、自分の本当の力が出せていないから苦しいのだと気づいたら、すごく楽になりません?
理由が何であっても、苦しい時って、自分の思い込みや信念と呼ばれるものによって縛られてて、それらに気づけていない時。 何故だぁ〜?!何故だぁ〜!?何故なのだぁ〜!?って。 そしていつも言っている通り、思い込みや信念は、脳のプログラミングによるものです。 それによって、自ら作り出してしまったもの…で、普段は、エゴにより厚く包装されています。 脳のプログラミングは動画でたくさん話してますので、興味のある方はライブラリーよりご覧ください。 苦しい時は、そのエゴの包装が取れかけてる時だから、チャーンス!なのですが、中々気づけない人がいます。 例えば、苦しい時はまず、自分が苦しんでることに気づいてあげましょう。 は?とか言わないように、なぜなら、必死でもがいて、頑張ってる人ほど、自分が苦しんでることに気づいていないものなんです。 上手くいかないなぁとか、腹たつなぁとかは感じてても、自分が苦しいと感じているという思考には、中々たどり着けないのです。 次に、自分が苦しみながら、その苦しさを通して自分自身と一生懸命向き合おうとしていることに気づいてください。 そうなんです。 私たちはいつも自分自身と向き合おうと一生懸命なんですよ。 特に苦しい時ほど…。 でも、自分が自分自身と向き合おうとしてるという視点を持ってないから、周りにも苛々、自分にも苛々、環境にも苛々してしまう。 何故なら、そういう時、人は周りや環境を変えようとしてしまうからです。 他人や環境を変えることは不可能ではないかもしれませんが、大変だし、やり出したらずっとやらなきゃだめになることだけは確かです。 そして益々しんどくなってしまう…というループにハマる。 分かり易いのが人間関係で苦しんでる時です。 例えば、親との関係において苦しんでる場合、親に感謝できない、愛せない、そんな自分を責めてるのですが、同時に親も責めて、また喧嘩になり益々気分が悪くなり、そして自己嫌悪ループにハマる…。 そんな時、「せっかく親ときちんと向き合おうと思ったのに…。」ってなっちゃいません? それは親を変えようとしているからなんです。 実は、自分は親との関係を通して自分自身と向き合おうとしてるというのに! だから苦しく感じるんです。 内側では、あなたのコンシャスネスは、あなた自身(自分自身)と向き合おうとしてるところへ、表側のあなたは、外にあるもの(相手や環境)と一生懸命向き合おうとしている…。 これ、噛み合ってませんよね。 あなたのハイヤーコンシャスネスと繋がれると、いろんなことがスムーズに動き始めます。 ![]() 小さい頃の私は、ご先祖さまがもっと身近だったなぁと思い出すのです。 特に信心深い家庭に育ったというわけでもなく、ただ、子ども心に感じてた安心感は、いたるところにあった温かいエネルギーのことだなと、大人になってからエネルギーを学んだ私は、ハッとさせられました。 私の父の実家は、男四人兄弟に末っ子の妹という構成で、男兄弟間のライバル意識が半端なく、喧嘩が絶えなかったけれど、祖父母が健在の頃はお正月には必ず、皆が嫁と子どもらを連れて挨拶に集まっていました。 その集まり方はオーガニックで、皆がポロポロと集まり、やがて全員揃う…、別に祖母とも「今年のお正月はいつ来る?」なんて打ち合わせはしておらず、皆がそこへ集まってきていたのです。 ところがこの祖母は生前、モーレツな嫁いびりと依怙贔屓をする人だったので、派閥を作ってしまいがちだったため、嫁にとっては修行タイムであり、息子らにとっては喧嘩タイムでありました。 そんな祖母ですが、今思い出すと、彼女は伝統やしきたりを大切にしていたことが伝わってきます。 私の記憶の中ではずっとほぼ寝たきりだった祖父が、私が小学校に上がるかと言う頃に亡くなってからは集まることも年々減りました。 それと前後して、兄弟らの人生も歯車が狂い始め…、今は父方の親戚とはほぼ縁が切れてしまいました。 いとこも総勢10人ほどいたけれど、全く会うこともなくなりました。 「だって、別に仲が良いわけでもないんだから、わざわざ集まる理由がないでしょ?」そんな感じ。 こういうのって、一瞬日本っぽいって感じられるかもしれませんが、実は欧米でもよくある話で、欧米ではクリスマスがそれに相当します。 パートナーの実家の集まりに毎年手料理を持参して参加していた友人も、去年のクリスマス後「会ってもどうせいがみ合うだけだから、来年から行かないことにした」と宣言しました。 ところが、その数日後、パートナーのお母様が亡くなられたのだそう。 クリスマスの日に骨折したことから入院、話を聞いていると、私には彼女(友人のパートナーのお母様)の生命力はどんどん弱っていったように感じられました。 さて、今年になって、私は以前よりも、この生命力というエネルギーに意識を向けるようになりました。 ある時ふっと閃いたのです。 実はこの嫌々集まっていたお正月(欧米ならクリスマス)は、綿々と受け継がれてきた生命力を繋げる働きがあったんじゃないかって、感じるようになりました。 家族仲が良好であれば無論楽しいでしょうが、私の父の実家や友人のパートナーのケースのように、ストレスの方が強いというケースも決して珍しくはありません。 しかしながら、何であれ、物質主義的観点から物事を見つめるのと、エネルギー的観点から物事を見つめるのは全然見える景色が違います。 物質主義的観点で楽しいか、楽しく無いかとは関係のないレベルで、今、私たちを生かしてくれている命というエネルギーをリニューアルする働きがあったのではないかって。 ご先祖様から綿々と受け継がれてきた生命の繋がりを、笑ってようが、いがみ合ってようが、改めて強化されていたのが、年に一度作られていたあの空間だった気がするんです。 この、生命の繋がりは正に命綱みたく、今も私たちを守ってくれている気がします。 生命は、動物でも植物でも同じですが、一つでは生存率はグッと下がります。 中でも人間の場合それが顕著で、家族というコミュニティが各個体の生存率を支えてきました。 家族という繋がりは命綱ですが、ここずっと、数千年規模で、これを壊す試みがずっと人類になされてきました。 「だって、別に仲が良いわけでもないんだから、わざわざ集まる理由がないでしょ?」 「わざわざ嫌な思いする必要もないし…」 嫌な思いをしてまで実家に帰らなくて良いのですが、心のどこかに、この命綱によって、そんな自分も守られてきたのだということを少し置いておくだけで、生まれる前から綿々と続く、私たちを生かしてくれている生命の繋がり(命綱)を改めて感じることができます。 何度も書いていますが、私たち人間にとって感じることができない=存在していないに等しい…なので、感じることができるようになると生命力はより一層輝きます。 そしてそこから、感謝が自然に生まれる…、そんな感じがするんですよね。 |
AuthorKaeko Archives
February 2021
Categories
All
|
This is an ancient Japanese letter pronounced as "o".
Its energy, the message is to improve our ability to heal ourselves, which is the basis of my healing work. これは日本の古代文字で、「を」と発音します。 私たちが本来持っている癒す力を高めるというメッセージが込められています。 これは私のヒーリングワークの基本です。 |
About
|