アイルランドのドロレス・カーヒル教授が始めたフリーダムエアウェイが面白そう。
私も、去年は日本へ帰れず、今も宙ぶらりんのまま…。 訳のわからないテストも受けたくなければ、10日?2週間も自主隔離?なんてしたくないし、マスクをつけて10時間以上も飛行機なんかに乗れない。 コービットレポートがカーヒル教授をフィーチャーしたインタビューで、教授はハッキリと、テストを強要することも、予防接種を義務化することも「違法だ」と言っていた。 https://www.corbettreport.com/freedom-airway-solutionswatch/#outer-wrap “でも、皆知らないから、まずは正しい知識を広めなくてはならない。” 耳が痛いぃぃぃ…。 「検査は必須です」とか言われちゃったら「そうか、しょうがない」と思ってしまうぐらい、感覚が鈍ってしまった私たち…。 カーヒル教授が立ち上げたフリーダムエアウェイというプロジェクトは、自分の権利について正しい知識を広め、飛行機を使って移動する人たちが見せられるように、テストや摂取を強要することが違法である旨を書いた証明書を作成したり、いずれは空港を購入したり、飛行機をチャーターしたり、ホテルも斡旋して、自由な移動を丸ごと提供しよう…というもの。 https://www.freedomairway.com/ 面白い! カーヒル教授は、疫学?かなんかの教授だけども、自分でビジネスをしてるみたいで、経済の感覚も発達してる。 アイルランドは知らないけれど、アメリカも将来医師になりたい人でもメディカルスクールへ行く前に、他の科目で学位を取るものね。 日本みたいに、18歳でそのまま医大なり何なりに行っちゃう方が珍しいのかもしれない。 カーヒル教授の話では、例えばダブリンなんかのホテルも経営不振に陥ったり、倒産に追い込まれ、段々気づき始めているとか。 航空会社や、今回最初から各国の対策に歩調を合わせなかったブラジルみたいな国々ともコンタクトを取ってるんだそう。 アイルランドのバジェットエアライン、ライアンエアのトップは去年「テストも摂取も義務化しない」と言っていた。 何故なら、売上が下がるから。 今も同じように思ってたら良いけど、ヨーロッパでは日に日にビジネスオーナーが我に帰るように「こんなことしてる場合じゃなかった」という方向に向かってるよう。 今週末の土曜日には世界中で#グレートリオープニングというイベントも予定されてるらしく、事業主らに「リオープンしよう」と呼びかけてる団体もあるみたい。 先週か先々週ぐらいに、イタリアのある街でやって大成功を収めたというツイートは見たけど、それを受けてのグローバルなムーブメントだそう。 どうなるのか、私も自分のエリアの様子を見ていよう。 ↑最初の動画で、カーヒル教授が関わってる複数の訴訟についても話してる。 他にもカーヒル教授は、医療機関や航空会社で働く個人の行いにより被害を被ったということで、民間の保険会社から補償を求めるやり方があることなんかも話してて、制限をかける側もそろそろ「上司に言われたことをやっていただけ」と言いのがれができないことに気づき始めてるというような話をしていた。
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情報弱者というのは誰かのことを指す…というよりも、誰でも陥る可能性のある状態を指すと私は思ってて、情報の精度とか、ましてや誰が発信してる情報かとは無縁な気がする。
ある特定のメディアしか見ないという人が情弱に陥り易いのは、偏ってるからで、その特定のメディアが信頼できるかどうかは別問題な気がする。 去年、いよいよメインのメディア媒体から離れて、インディペンデントジャーナリストさんや、個人のYoutuberさんたちに流れた人たちが増えたと思う。 でも、情報の仕入れ先?を変えても、情報との関わり方を改めなければ、相変わらず情弱な状態に陥ったまま…なのよね。 情弱な状態にある人の情報との関わり方って、基本的に振り回されてる状態で、それは感情的に振り回されている、つまり一喜一憂してる感じ。 それは、自分自身の感覚というのが、見事にお留守になってしまってる状態。 前向きなエネルギーを感じさせてくれる情報や発信者に、共感して、ポジティブな気分になるのも良いけれど、何だろう?依存してしまっては、その相手次第、情報次第で、あなたの「ポジティブ」はいつでも変わるという脆弱性を孕むから、いつまでも与えられる刺激に反応させられ続けるという、ある意味奴隷であり続けることに…。 それよりも、自分の感覚を感じれるようになった方が安定するの。 キーワードは、「何が起こっていようと」、「何と言われようと」であって、それは周りの状態や発言によって「常に左右される自分」という弱々しい自分という前提ありきじゃなくて、常に「私はこうだから」と先手を打つように選択し続ける心意気みたいなやつが、有るか無いか…ということ。 如何なる情報も、例えどんなに信頼ができる情報源でも、決めるのは自分…ということを、自分がさっさと決めなければ、情報ソースを変えようと、広げようと、ずーっとずっと情報弱者という状態から抜け出せないままで、それは常に、他人が作り出した状況やシステムの中で「仕方がない」と、どこかで諦めながら生きていくことに変わり無い気がするのよねぇ。 自分の感覚って、肚という部分で感じる感覚。 ハートに問いかける…というのがしっくりくる場合はソレで。 そこで感じようとした時、ザワザワするとか、ド〜ンとするとか、軽いとか、ズッシリのしかかるとか、色んな感じ方があって、人それぞれなので、「ザワザワする時はこういう意味」みたいなルールもないの。 自分でキャッチしなくてはならない。 例えば、ザワザワする時がめっちゃGo!サインの人もいれば、ザワザワする時が注意喚起のシグナルの人もいる。 これは一人一人違うので自分で見極めること。 それをね、全部人任せにしてると、情弱という状態に、いつでも誰でもハマってしまうんじゃないかなぁと私も日々、お気に入りのYoutuberさんたちの動画を楽しませて貰いつつ、自分にリマインド。 私は、好きなYoutuberさんやジャーナリストさんたちには、これからも自分を信じて自由に情報発信を続けて欲しいもの。 情弱という状態に陥り易い人ほど、立場が変われば言論弾圧をしてしまうんだろうな…、つまり言論弾圧してる側も情弱と…というわけね。 やっぱり精神的な自立…、大切ねぇ。 昔、むかーし、イギリスのインターシティレイルで、寝こけていた私が目覚めるとこんなメモが私の手の中にあった。
それは2センチ×7センチぐらいの紙で、そこには「You’re beautiful.」と書かれていた。 それまで「かわいい」ぐらいは、言われたことは無かったことは無かったけれど、「美しい」と言われたことが無かった私には衝撃的だった。 誰が置いてくれたのかわからないけれど、きれいな筆記体で書かれていたそのメモ。 そうか、私はかわいいと言われるに甘んじていてはいけないのね…と思った。 その時、何と無くいつも「妹」として、「かわいく」収まっとけば「得」だったという「思い込み」に縛られて、小さくまとまってた自分に気づいたのかもしれない。 そうか、私「若い女の子」じゃなくて「大人の女性」なんだ!みたいな感覚。 昨今、女性性というエネルギーについてよく語られるけれど、日本はすごく女性性が歪められてしまって、それは例えばファッションや女性向けのプロダクトを観察してると分かりやすい。 精神的に幼く感じる。 女性を精神的に自立させないプログラミングは、女性にはもちろん、男性にも散りばめられていて、いつも日本へ帰るたびに感じる。 女性性というエネルギーは、女性を大切にするとか、女性の社会進出が〜とかいったレベルの話じゃなくて、常にクリエイトし続ける力のことで、女性にも男性にも関係する、命に関わるエネルギーのこと。 それが歪められた女性性。 日本のファッションを見てるとわかりやすいと書いたけど、それはお店で売ってるものだとか、皆が着てるものだとか、トレンドの語られ方とかのことで、メイクも含まれる。 イギリスはかつて、その辺に関してはもっと尖っていた気がするけど、ここ10年、20年で一気に媚びるファッションが浸透してきて、「もういっそのこと、裸で歩かれてはいかがですかー?」みたいな格好の人も見かけるのだけど、仕事柄、一瞬、そんな格好してる人たちの奥深くに、傷つけられた女性性や男性性を垣間見て、痛々しく感じる。 そう、男性も女性と等しく、これに関しては傷つけられてきた。 女性なら乳がんだとか子宮系の病気、男性な前立腺がんみたいに、身体に症状として出る人も多い。 女性性という話になると、フェミニズム的なディベートにも陥りやすいけど、全く違う。 あれも、結局は本当の意味で女性性や男性性といったエネルギーの本質から遠ざけるディバイスとして利用されてる。 20日から始まった水瓶座のシーズン、私と同じ水瓶座の平塚雷鳥の言葉、「元始、女性は実に太陽であった。」を思い出す。 「かわいい」というエネルギーも、子どもを見ているとパワフルだと感じるけれど、女性は美しいというエネルギーで、それは太陽のような、晴れの日のような、そんなパワフルさを持つ。 私はそうありたい。 気がついたら、買い物の仕方が変わっていた。
去年までは、買い物は私にとって得意な活動の一つで、ナマモノであれ、何であれ、買いたいものがあればどこで何を買えば良いかすごく自信があったし、不慣れな買い物ならきちんと調べて、お店にも見に行って…とか何とかしていた。 けれど、去年はロックダウンになったり、ウイグル人問題についても知ったので、私は自分の買い物の仕方について考え直すことに。 例えば去年、一昨年の暮れに処分したスニーカーの代わりを探していたのだけど、これが難しかった。 スニーカーはほぼ、あの国で作られている。 今、私みたいに、選ぶ人が増えてきてるし、学校が閉鎖されたりで売れ残ってる感があるスニーカー。 Ethical、倫理的に安全?なスニーカーブランドってまだまだ少ないし、私の場合、サイズ問題が…。 だから子ども用も作ってるメーカーでないと…。 そりゃ、ちょっとエクササイズができるぐらいがいいけれど…あまり運動が得意そうに見えるデザインはちょっと敷居が高いなぁ…とかやってたら、去年は一年間「うんうん」唸るだけで買いそびれてしまい、結局ロクな運動もしないままだったなぁ。(言い訳) 他にも、去年はパソコンも壊れてしまった。 私はずっとリンゴちゃんユーザー。 今、SNS界隈でジャイアンみたいに振る舞うようになったリンゴちゃんから、そのまま新しく買い換えるのも嫌…と思って、結局タブレットを使ってる内に、「これだけでも良いかも?」みたいになってる。 食料品だって地元のスーパーに貢献したいけれど、誰の意向なのか意地悪なお知らせがスーパーからもメールで届くように。 イギリスではマスク装着が義務付けられてるけれど、何らかの理由で着けることができない場合は免除されることが政府が運営するウェブサイトにも書かれている。 一応、「免除カード」もあるけれど、そのサイトにははっきりと「誰にも『マスクを着けない理由』を問いただす権利は無く、誰にも『マスクを着けない理由』を説明する義務は無い」と書かれているのに、「マスク着用は義務です。マスク無しでは入れません」とかメールで送ってきたりするだけでなく、実際に免除カードをスーパーで見せた人たちが中に入れてもらえなかったという書き込みも少なくは無い。 何なの、このジャイアンぶりは。 そっちがその気ならこっちだって選ぶわよぉ〜ぐらいの気持ちで、私はスーパーへ行くのをやめた。 食料品もなるべく小さいお店や市場から買ったり、不本意だけどオンラインでも注文したりしてる今。 市場でもカード決済が可能な昨今、ある市場で私が卵を買うところは「現金のみ」と潔くて応援しちゃう。 そんな訳で、写真のコインパースが去年から再び大活躍してる。 これはフィンランドブランドのLumi。 大分前のことになるけれど、フィンランド人の友だちのところへ遊びに行った時にプレゼントに頂いたもの。 Lumiは雪を意味するんだって。 Luminousみたいに、光とか、照らし出すという意味も含まれてそう。 このがま口を取り出すと、皆、悶絶する。 「小さくて可愛い財布ねぇ!」 一度、日本の神社で神主さんからも「可愛らしいお財布ですねぇ」としみじみ言われた時はびっくりした。 この財布を、近所の郵便局で手紙を出す時に取り出したら、カウンターのパーティションの向こうで顎マスクのスタッフに「キミ、時代を逆流してるねぇ」とクスクス笑われた。 皆、そろそろこの騒動にまつわるアレコレに飽きてきてるんだなぁと感じるんだけど…。 上司からの指示なのか何なのか知らないけど、本来なら仲間な筈の、私たちみたいな普通の消費者に意地悪を続けてると、これが終わった時、誰もそんなお店から買いたいと思わない気がするんだけどなぁ…。 素晴らしい。
14日に天王星が順行に戻り、今、全ての惑星が順行なんだって。 天王星は、土星と合わせて水瓶座の守護星で、テクノロジー、先見性、革命、改革といったキーワードを持つ。 私はここのところずっと根拠の無いウキウキ感があって、相変わらずロックダウン真っ最中の街…というか国にいるのに、何か大きな流れができてきてる感がどんどん大きくなってきて、ウキウキしてる。 最初から最後まで、ガスライティングだったトランプさんの弾劾…というか、出馬から当選、在任期間全てがそうだった。 メディアの報道はプログラミング。 それよりもこっちの及川さんの動画を見たら、この弾劾そのものがいかに馬鹿げているかがよく分かる。 https://youtu.be/zr9VSrG8zpI こちらで及川さんは、弾劾のクレームが物理的に不可能なことを説明してくれている。 https://youtu.be/qnmV6AGBIAE 今、私たちはあらゆる劇場を見せられながら、自分自身が感じてることを選択してる最中なんだと思う。 何を選択するかはそれぞれが決める。 最終的には個人の問題。 ハリボテの弾劾プロセスも、それに関わる報道も残る。 今、たくさんの人たちが傷ついた良心を抱えて、プロジェクトヴェリタスのジェームズ・オキーフさんみたいな人たちのところへ、証拠と共に協力を申し出てる。 プロジェクトヴェリタスは、調査報道をしている非営利団体で、やましいところがある政治家や企業のトップらはめちゃくちゃ恐れてるんじゃないだろうか。 その一つは不正選挙の決定的な証拠だったから、実際に報酬を受け取り不正を働いた女性も逮捕された。 トランプさんも、オバマゲートの文書を開示するみたいだし。 こうやって一人一人が意識を変えることを選択する機会が結果生まれることが、天王星の革命、革新のエネルギー。 このムーブメントというか流れは、反転させられていたものがクルンッと元に戻っていく作用そのもので、これはヒーリングそのもの。 この大きな流れを止めようとか、逆らおうとしているのが、例えば言論弾圧だとか、あの弾劾裁判のイニシアチブ。 ガスライティングは、「心理的虐待の一種であり、被害者に些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法」(ウィキより) 子どもの時から私たちはガスライティングに晒されて生きてきてる。 親も、その親も、そのまた親も…。 「本当の問題は?」と本質を見させないようにする、思考の癖をつけられてきた。 結果、本来なら信頼関係が一番厚い間柄、自分自身に対しても、やんわりとした不信感が生まれ始め、その歪みはどんどん大きくなってしまったのが現代。 私たち人類は皆、このガスライティングで「I‘m not good enough」(低い自尊心、劣等感、罪悪感)をプログラミングされてきた。 低い自尊心も、劣等感も自分への不信感。 ヒーリングしてると、必ず出てくるこの「I‘m not good enough」に気付いてない人ほど、例えばトランプさんを見るとザワザワ反応しちゃうのは、トランプさんが一欠片の劣等感も持ち合わせてないから。 だから、「偉そう」に映る仕組み(システム)がマインドにできてしまってる。 それに自覚の無い人がトランプさんに触れると、尊大だとか、謙虚さに欠けるとか、感じるように仕込まれてるの。 劣等感があると、誰とでも、何とでも、被害者又は加害者の関係に陥るようになってる。 だから今、一人一人が、低い自尊心や劣等感を乗り越えられるタイミングでもあるなぁと私は感じてる。 この大きな流れは、20日もアメリカも超えて、どんどん大きくなりながら、一人一人が自ら選択するのを促していく。 いいね、いいね。 「ちゃんとできない時こそ、寄り添ってあげてください。」
これだけ聞くと、小学校の個人懇談で担任の先生が、テストで悪い点ばかり取ってくると悩む保護者に言いそうな言葉に聞こえる。 実はこれ、私がよく聞かれることへの答えなのよ。 例えば自分がネガティブな思考やパターンを手放せない時にフラストレーションを感じてることがある。 「わかってるけど、できない。なぜだろう?」って聞かれる。 そう言う時、大抵の場合が無意識に自分自身にキッツーい態度を取ってる。 セッションではリアルにそれが伝わるので、「こんな風に言ってませんか?」とその人の言ってることを私が言うと、ワッと泣いちゃう人もいる。 なぜならそれは、いつも自分がお父さんやお母さんから言われてきた言葉だから。 ネガティブな思考がループする時もある。 そんな時こそ「そうか、そうか、大丈夫、今日は銀河一ネガティブになっても良い!私が許す!」とか何とか、自分にぴったりくる方法で寄り添ってみて、と言うのが私の案。 私はこういう性格なので、そうやって「銀河一ネガティブ」をやってると、可笑しくなってきて「私、今、銀河で一番ネガティブやって…。おもしろ過ぎ…」となる。 もちろん、個性に応じてしっとりとやるのが良い人もいるでしょう。 好きにやったら良いの。 とにかく、「それで良いよ〜」って言ってあげること。 だって、いつも言われたかったのはその一言じゃなかったですかー?って話だから。 そうやってネガティブ思考をダブルで鉤括弧に入れる。 それは例えば、「胸が張り裂けそう」な時。 寄り添えてない時は胸が張り裂けそうで苦しいのだけど、↑ダブル鉤括弧だと「私は『胸が張り裂けそうなぐらい苦しい。』それだけ傷ついてるのかぁ…」になる。 そうやっていく内に、どんどんネガティブ思考を引き起こすトリッガー(刺激)が減っていくの。 「そっか、ネガティブだったのは『私』じゃなくて、私の思考だったのか。」 これが、シフトするということ。 そしたらいつの間にか、根拠なく適当にご機嫌な自分が見つかりやすくなる。 そしたらそのうち、根拠なく適当にご機嫌なことが周りにも見つかり始める。 トランプさんの、テキサスでの演説中継を見ていたら、突然中継がカットされた気がしたのだけど?
??? これはトランプさんがテキサスへ行く前に答えていたインタビュー。↓ https://www.youtube.com/watch?v=OpPZptLpGAo そこでハッキリと、「(メディアのやったことは国中から)大きな怒りを買った。」そして「いかなる場合も暴力は回避されるべきだ。」と述べていた。 やっぱりトランプさんはスピリチュアルな人物で、エネルギーの物理現象をよく分かってる人だなぁと感じる。 インタビューでもよく、今回みたいに「怒りが蔓延してる」みたいな表現をするものね。 英語でスピリチュアルというと、日本のソレとは違って、例えば、神さまとか、大いなる存在とか、呼び方はそれぞれが決めてくれれば良いけれど、目に見えない存在を畏れる人のことを指していると思う。 トランプさんは固定概念やジャッジメントをどんどん壊してくれるけど、ポリシーがあるでしょ? それは、誰も見てないからって盗んだり殺したりしないのと同じ感じ。 例えば、アメリカの下院議長なんか見てるとガツガツしており、「あ、この人は何でもありな人なんだな」ということが滲み出てる。 まるで底無し沼のよう。 この人と絶対、救命ボートに乗り合わせたくないわ…。 トランプさんはもっと品があるよね。 スピリチュアリティがある(トランプさん)、無い(例のお婆さん)…みたいな感じ? トランプさんがラリーをしてた頃、アーミッシュのコミュニティも応援してるというのが話題になっていたよね。 私はアーミッシュの人たちとも仕事で話させてもらったことがある。 ステレオタイプな先入観から緊張していた私に「きみはどこの人?」と一家の長老みたいな人が聞いてくれて、私が日本人ですというと、「日本か、よく知ってるよ」と言って、私に色々話してくれた。 めちゃくちゃ大柄で長身なのに、エネルギーが平和的だから、私は威圧感を全く感じなかったもの。 楽しかったなぁ。 宗教や文化だけじゃなく、国境も超えて色んなコミュニティの人たちを繋げることができたトランプさん。 やっぱり彼のスピリチュアリティに共鳴したんだと思う。 ずっと「これはスピリチュアル戦争だ」とアメリカやイギリスのトランプさん支持者が言ってたのだけど、最終的には一人一人、個人の中で起きてる変化そのものがそうなんだと思う。 昔よく、嘘ついたら針千本の〜ますと言っていたけれど、今でも言うのかしら。
ちょっと前、6歳になる甥っ子と電話で話した時、「最近泣いたこと」を教えてくれた。 私がどうして泣いたの?と聞くと、「友だちに嘘をつかれたから、ボク哀しくてウェーンって泣いちゃったんだ」と答えた甥っ子。 美しい。 甥っ子にはそのまま大きくなってね…と思う。 でも甥っ子は「勘違いしないでよ」と言わんばかりにこうも付け加えた。 「でもボクは弱虫じゃないんだよ。ケンカだって強いんだ。」 そんなことはわかってる。 「いやいや、それよりも嘘をつかれて涙を流せる君の純粋さが、実は腕力よりも強いんだよ」と伝えた。 大人になると、嘘は、誰かに対して嘘をつく・つかれるというよりも、自分に対してつくようになる。 それは我慢する・諦めるという形で出てくるようになる。 言いたいことを我慢する。 やりたいことを諦める。 結果、裏切られた気持ちや、悲しみが募り、それらを怒りで隠すようになり、自分でも気づけないぐらい深くて遠いところへ押しやってしまう。 これまでの文明は、そんな生き方がメインストリームで、そうじゃない生き方、在り方がオルタナティブだった気がする。 でも、去年辺りから急激に全体のエネルギーが変わってきて、というのは皆の意識が変わってきて、自分に嘘をつけなくなってきた。 それは色んな意味で、「もう待った無し」というか、「ええかっこ」してられなくなってきてるから。 ロックダウン3回目のイギリス、ロンドンは医療崩壊とか、日本のニュースやネット界隈で見たけれど、あまり騒がないでほしいし、ロンドンを使って日本をこれ以上、自粛以上ロックダウン未満に追い込まないでほしい。 ロンドンのデータも、ディベートがされていて、実態と異なるのでは?と分析する専門家もたくさんいる。 というのも、私自身ロンドンのど真ん中ではないけど、テムズ川の南東エリアに住んでいて、シュールな日々だった去年も、今も、人々の暮らしは続いてると知ってるから。 ロンドンの現市長は、ロンドナーからもイギリスの有権者からも見放されていて、次回の市長選に出馬すると言ってる人々も、私が知ってるだけでも3人いる。 それぞれのビジョンや主張はさておき、共通しているのは皆、ロンドンを愛するロンドンっ子ばかりということ。 私はレジデントなので選挙権は持っていないからイギリスの選挙にそこまで関心も持ったことはなかったけれど、これまでの市長選はとは違う、政治家じゃない人たちも名乗りをあげてるのは興味深いと思った。 そう!今の市長にはロンドンに対する愛が感じられない! だから皆、「ロンドンをこんなにしおってからに!!」という思いから出馬する感じがする。 TalkRadioというインディペンデントラジオ局があって、そこのホストの女性がロンドンのシティの写真をアップして「美しいロンドンをこんな惨めな姿にしたことを絶対に忘れない💢」というコメントをしていた。 大金を投入して作られたナイチンゲール病院もとっくの昔にほぼ使われないまま解体されたようだし…となってくると、報道と実態にアンバランスさを感じてしまうね。 「殆ど使われなかった」と報道された時も、非難轟々だったけど、「取り越し苦労で終わって良かったね」と、すぐに方針を変えて色々再開すれば良かったのに…しつこい。 主要ニュースアウトレットの報道や、御用セレブ、学者らのコメントばかり見てると、ディストピアチックだけど、一歩外へ出れば、やっぱり人々の生活は続いてるし、食糧難でも、トイレットペーパー難でもない。 もちろん、何事も起きていないわけじゃないけれど、健康面で余裕がない場合、ご本人が一番よく分かってるから、周りがごちゃごちゃ指南するところじゃない。 それよりも痛々しいのは、私の住むエリアには個人経営のお店が色々あったのだけど、例えば近所にずっとあった家族経営の、今時珍しかった旅行会社は潰れてしまった。 自分で予約して行きたいところへパッと行けちゃう人が増える一方で、やっぱりこういう個人経営の旅行会社で旅行の計画をする方が良い人たちや、会社の出張の手配を一括して委託してたりもするから重宝されていたはず。 でも去年の夏には「我々もCovidの被害者となりました」という張り紙が出てた。 Casualityという言葉を使っていたのが痛々しかった。 週末は、西イングランドで、海岸のベンチに座ってた女性が逮捕されてしまったらしいけど、ここからは、警察だろうと、政治家だろうと、一般人だろうと、これまで何度も使われてきたレトリックにハマらないように意識しなくちゃならないなぁと感じた。 このレトリックは何かというと、私たちの奥深くに沈んでる怒りとか悲しみの感情を刺激して、本質から逸れた思考や行動を取らせる誘導、プログラミングのこと。 かつて、ナチスがユダヤ人を強制収容所に連行した時、それぞれのバラックを管理するため、囚人からリーダーを募った。 リーダーとなって身内を監視し、適切でない者を告発すれば、少しだけ待遇が良くなるの。 良くなるといっても、ホロコーストサバイバーのジョン・レヴィの本によれば、穴のあいた靴下を貰えるとか、カビの生えたパンを半分貰えるとか、そんなの。 それでも、裸足で木靴を履いて雪の中強制労働させられていた囚人にとって、穴があいてようがウールの靴下は生存率がアップするから…と、リーダーになる者は結構いたらしい。 そうやって身内からリーダーが出れば、囚人に甘くなるのではないか?と思うなら甘い。 リーダーはリーダーで、通報もしなければ「仕事をやってない」疑いをかけられるのではないか、というループにハマってるから。 そうやって身内に監視させる方が、実は一番醜い結果になると、人類を分断して支配し続けたい存在たちはよく分かってるのね。 だから、たまに↑みたいな警察の横暴ぶりが流れてくる度に、私はこの話を思い出すの。 ほんの一握りの警察官が、その人たちの中にある怒りや悲しみが刺激されて、逸脱した判断を取り行動してしまう。 そんな人たちを引き寄せる一般人も、例え何もしていなくても、それぞれの中で静かに潜んでいた怒りや悲しみが、そういう警察官を引き寄せて、有り得ない行動を取らせてしまう。 スコットランドでも、警察官が一般家庭にやってきて「ここに大勢の人たちが出入りしていると通報があったので家宅捜査をさせてもらう!」と言って、戸口で抵抗する両親を(恐らく13歳ぐらいの)長女がスマホで撮影した動画も見た。 押し問答の末、警察官二人はドアを押し破り、長女は張り倒されヒステリックな悲鳴が聞こえた。 一家全員が連行されたと書かれていたけれど、いつの時代もやりきれないのは子どもたち。 これは起きるべきじゃなかったし、すごく悲しい事件だけれど、その場にいた、それぞれ大人たちの中に潜む怒りがお互いに引き合ったからでもある。 ナチスが戦争に負けて、収容所で働いてた人たちも裁判にかけられたのだけど、「私は命令に従っただけだ」と答えたけど…そうはいかないのよ。 最後は個人の問題になる。 それはやっぱり、意識してようとしてまいと、常に選択しながら私たちはそれぞれ、個々の現実を創っているから…ということなんだろうね。 ソーシャルメディアの言論統制が猛スピードで激しさを増している。
あれよあれよという間に、ソーシャルメディアの嫌う人たちのアカウントがどんどん削除または、永久凍結されていくのをリアルタイムで目の当たりにした。 現職の大統領のアカウントを凍結する権利が民間企業にあるのかしら。 恐らく多くの人たちは「あ、そうなの?ま、私、ツイッターなんて使わないし」と、自分には関係のない政治的な出来事のように感じてる気がする。 私が当事者意識に欠けると指摘すると、大抵「じゃ、どうすればいいのよ」と不機嫌そうに言うの。 私が「別に何かをしろって言ってるんじゃなくて、知ることが大事。あなたはあなたのやりたいことをやればいい」とか言うと、「はぁ?」と言われる。 知ることがとても大切だってわからないのかしら。 私は現実をいろんな方向から見て、感じて、知ることは、私たちの意識に影響を与え、それがその人の、一人一人の選択に影響を与えると思ってる。 何を選択するかは個人の自由。 すると「え?選択?そんな面倒臭いこと知らんし。しんどいわ」みたいな反応もあるけれど、それもその人がしている選択なの。 Be the Master of your own reality、自分の現実は自分が創っている、つまり自分の体験は自分が作ってる。 マスター=自分 マスターは、どんどん新しく自分で自分のルールを決め、それをベースに選択をし続ける存在。 常に「誰か」の選択の犠牲になる存在ではない。 以前も書いたけれど、そんな時、自分とする約束(アグリーメント)を決めておくとブレない。 そんな風に、意識してようがしてまいが、自分が常に選択していることにより、私たちそれぞれの体験(現実)は創られていく。 選択していないつもりでも、選択してる。 ベストな選択をしてるつもりでも、実は干渉され、誘導されてるから、自分とのアグリーメントが無いと混乱しやすい。 また、私もかつてそうだったけど、政治的になりたくないって感じてる人も多くて、例えば、不正だとか贈収賄だとかも、「必要悪」ぐらいに捉えてて、「しょうがない」と諦めてる。 でも、この世に生きてる限り、たとえどんなに人里離れたところで、オフグリッドで、自分でファームやって自給自足で生活していたとしても、存在するだけで、私たちは皆ポリティカルな存在なんだと思うよ。 昔、美大にいた頃、私の好きな作家の一人、インカ・ショニベアにチュートリアルをしてもらえた。 その時に私が自分の作品はポリティックス(政治的なこと)とは、繋げたくないって言ったのよ。 そしたら、インカに「What do you mean? Everything is political nowadays! Even a question like “What would you like to eat?”」言われた。 「意味がわからないよ。昨今は全てが政治的だ。『何食べたい?』なんていう質問でさえも。」 何でそんな話になったのかは思い出せないけど、この会話だけは記憶に残ってる。 とか言いながら、当時の私は、論文のためにソビエト時代に政府お抱えプロパガンダアーティストだった、イリヤ・カバコフをリサーチしてたなぁ…。 面白いことに…。 彼のスケッチで、クローゼットの中に暮らす男性っていうのがあって、シンプルなシャツを着た男性(本人)で確かローゼンタールという名前だった。 クローゼットの中は、窮屈なカプセルホテルみたいな感じで、ろうそくの灯りの下、何かを描いてる。 その感じが、当時私が感じていた「窮屈さ」と共鳴したんだろうね。 イリヤ・カバコフはその後、アメリカに亡命したのだけど。 その頃は、エネルギーワークとかヒーリングとか全く知らない頃。 自分の現実、自分がどう体験するかを私自身が決めているなんて思いもよらなかった頃。 与えられる刺激にそのまま反応して、あっちこっちに引っ張り回されていた頃。 自分が常に選択し続けていることも知らなかった頃。 反応させられることが、生きることだった頃。 「ここ」じゃなければ「あそこ」へ行けば良いと思ってた頃。 今の私は、あの頃よりもたくさんのことを知ってる。 自分とする約束、自分とのアグリーメント↓ぜひ。 https://www.kaekonakagawa.com/12502125251246412300299832162921147122891245612493125231246212540124342486312376124241235812301/3269675 毎日いろいろあるけれど、生きていることを忘れないようにしないとね。
私は去年送っておいた確定申告が返ってきて、めちゃくちゃスッキリ。 やれやれ…。 10歳の頃、まさか自分が「確定申告を終えてルンルンになる」なんて予想もしてなかったなぁ。 国税局からのレターを片手に鼻歌を歌いながら、フラットの片づけをしていると久しぶりにJohn McDonaldっていう人が書いたMessage of a masterっていう薄っぺらい本に目が止まった。 日本語にも訳されてて、邦題はマスターの教え。 私は最初にこの本を知った時、まず「マスターって何?!!」 マスターって何のこと?!って思った。 あなたは、マスターって聞くと何を思い浮かべる? いろいろあるけれど、「自分のことじゃないわ、それ」じゃない? 自分じゃない他の「誰か」、立派な人だとか、偉い人だとか、お金持ちの人だとか、そんな感じじゃない? 『失敗続きの起業家に、長年の友人から電話がかかってきた。彼は、人生を思い通りにできる「マスター」と呼ばれる人物に出会ってから、運命が変わったという。すがるような思いで「マスター」のもとを訪れた起業家。そこで学んだ、富と知恵と成功を手に入れる法則とは?70年以上にわたって世界中で読み継がれている、成功哲学の古典。』 1929年に出版されたから古典なのよね。 数年前、イギリスで探した時は古本しか買えなかったのに、今は新刊も出ているから、ニーズが高まってるのかも。 私はずっとこの「マスター」というのが自分と重ならず、グッと来なかった。 私は共感力が高いので、↑こういうの、すっごく大切。 言霊が作動しないというか、内容が入ってこない。 この違和感、当時はよくわからないまま、読み終えた。 ただ、マスターって何やねん…、みたいな。 英語でもよく、Be the master of your own realityみたいな言い方をするの。 これは、「自分の現実の主になりなさい」みたいな意味で、要するに、自分の現実は自分でクリエイトしているということを自覚しなさいってこと。 例えば、現状を憂いてる人がいたとする。 この人は、「現状を憂いてる」時点で既にアウトなのよ。 憂いてる=自分が現実をクリエイトしてる自覚が無い、つま「マスターは他にいる」という概念を持ってるってことだから。 そのままの状態で、アファメーションとかやっても中途半端に…。 でもまず「マスター」という実感が無いことには、言霊も発動しない。 そんな時は、自分が「マスター」としてしっくりくるまで、自分が自分の現実を作ってることをアクセプトすること。 良いことも、悪いことも。 アクセプトする、というのは、そういう視点で見てみるという感じ。 自分の現実とは、自分がどんな風に「(自分の)世界」を体験してるかということ。 つまり、自分が(自分の)現実を、どんな風に体験するかを自分で決めるのが、マスターということ! これを忘れてしまうと、共依存の関係に陥ってしまい、相手の出方次第で感情の振り子が揺れまくるServant(僕、下僕、奴隷)になってしまう。 あの、薄っぺらいマスターの教えを読んでから、少々の時差を経て、私も自分が「マスター」だということがしっくり来始めてることに気がついた。 マスターって、日本語だと主人、主、師匠、親方…、いろいろあるけれど、マスターの上には他の人間は誰もいないのよね。 トップ。 最高責任者。 だから、この自覚があればあるほど、誰かや何かのせいで「気分を害する」ということがなくなるのよねぇ。 そうすると、良いことが起こり始める。 あ、既に起きていた良いことにも、気付けるようになる…、かな。 |
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April 2021
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