先日ベルリンで、疫病に対する一連の対応に疑問と反対の意を表明する市民らが議事堂前に集まった様子が流れてきました。
私はその動画を見ていたら涙が溢れてきました。 私は、よく泣くタイプなのかもしれませんが、私が泣く時、悲しいからというよりも、人の純粋さを感じた時、感動して泣きます。 私は…と書きましたが、人ってそうだと思います。 悲しいこと「ぐらい」で泣けませんよ、ねえ? でも、そんな時に、普段優しくしてくれている人ならもちろん、赤の他人であっても、その人の純粋な部分を感じる言葉をかけられたり、表情を垣間見たり、仕草を見ると、心が動きます。 それが、そのベルリンデモを見てたら起きました。 市民がガッチリと寄り添い、壁のように立っている前に、一連の武装をしたドイツの警察らが立ち並ぶ様は、壁vsチェーンでした。 市民らは全く平和的で、時折賛美歌?のような歌声も聞こえるぐらい、そこへなんと、警察はウォーターキャノンと呼ばれる、放水を行ったんです。 https://youtu.be/f72IDMqd5HE ↑テレグラフ紙のものですが、動画のリンクを貼っときますね。 今年は暖冬とはいえ、コートは必要な時期、ウォーターキャノンなんてされたら風邪を引いてしまう! ウォーターキャノンが一旦停止した時、全く動こうとしない市民らの壁がそこに残っていました。 そこへ幾度も幾度もウォーターキャノンを続ける制服側。 それを見ていたら涙が溢れてきたのでした。 市民の純粋さを感じながら、やはり文末に書いた私の大団円予感は間違いない…と確信しました。 昨今の状態は、ヨーロッパではよく第二次世界大戦へ突入していった頃と比較されます。 ナチスによる全体主義です。 イギリスはナチスに立ち向かった側でしたが、ドイツはナチスによって無茶苦茶にされた側…。 あのケネディ大統領の甥にあたる、RFケネディJrは、アメリカで子どもを医療被害から守る民間団体を主宰しています。 彼は8月の終わりに、ドイツで開催された大規模集会に参加した際、こんなことを話していました。 「ニュルンベルグ裁判で、ナチスの将校が『しかし一体どうやってドイツ国民を従わせることができたのだ?ドイツ国民は知的で寛大な人々として知られている、そんな彼らをどうやって従わせたのだ?』と聞かれた。それに対して将校は、『それはいとも容易いことだ。彼らに恐怖を与え、それを与え続ければよい。これは共産主義だろうが全体主義だろうが、何に対しても確実で効果がある。』と事もなげに答えました。皆さん、これは議事録に残っている発言です。ぜひ調べてください。」 こちらのリンクは彼のインスタグラム で、同じ内容の話をしている動画です。ごめんなさい、英語のままです。 https://www.instagram.com/tv/CGtCdRJn-IN/?igshid=130s8cdli1oui ドイツ人は2度と、あのようなことにはならないぞ!とどの世代も心底感じているので、政府が少しでも極端な様子を見せる時、一層強く反応します。 世界中のコロナ対策に疑問を持つ医師らによるコロナ対策を検証する民間団体が、早々にドイツで立ち上げられましたし、同じくドイツでは弁護士らが主体となった団体も早々に立ち上げられました。 彼らの一人が言ってましたが、ドイツの軍隊や警察の規範には、次のような下りがあるそうです。 もし、国や権力が民主主義を危機に晒すような言動を見せた時、あなたには「それはおかしい」と声をあげる義務がある…そんな内容でした。 この頃、思い出したのが、プリモ・レヴィのホロコースト体験に書かれていたことでした。 プリモ・レヴィは、「イタリアの化学者・作家。アウシュヴィッツ強制収容所からの生還者であり、この体験を記した『これが人間か(イタリア語版)』で世界的に知られる。」(ウィキペディアより)人です。 本を読むと、収容所に入れられたユダヤ人も、ユダヤ人同士だからといって皆で助け合って…となるとは限らず、更にそこへ管理者らは、より分断が進むような工作を仕掛けていたことがわかります。 例えば、収容棟ごとにリーダーを選ぶとか。 同じ縞々の服を着せられていますが、リーダーを申し出た者は、少しだけ、ルールが楽になるのです。 例えば、スープに肉片が入れてもらえるとか、大きいパンをもらえるとか、お古の靴下をもらえる とか…。 そのために、楽をしたり、文句を言ったりする同胞を密告するわけです。 そんなリーダーは確か、カポという名称がついていたと思います。 ウォーターキャノンのスイッチを押していた人も、自分の番がきたら、自分も市民だったのだ…と気づくのでしょうか? これは、学校でも学級委員を決めるのに似ています。 子どもは純粋ですから、一生懸命委員さんであろうとしますが、実はそれは残酷なことのような気が大人になればなるほどします。 このカポ現象が起きることは予想がつきませんか? なぜか? それは、私たちの中に「カポ」が多少なりとも存在するからなんです。 光と影はセットですから、誰にでもあります。 ただ、今現在の私の中で「カポ」は暴れるほどパワーを持っていないだけ。 皆さんの中の「カポ」はどうでしょうか? この「カポ」が暴れだす人というのは、自分の内なる深淵に、根深い怒りでカバーした、自分自身の魂の深い悲しみに気づいていない人です。 ここには三層あります。 エゴ→根深い怒り→深い悲しみ エゴは、防護膜の役割を果たしてて、何から防護してくれているかというと、自らの怒り、しいては深い悲しみに気づくこと、つまり恐れからそれぞれの個体を守ってます。 そしてエゴは、内在する「カポ」によって強化されるのです。 「カポ」化が進めば進むほど、エゴは強くなって、益々自分の本当の傷に気付けないまま、時間だけが過ぎていくことになります。 また、「カポ」が暴れている人は、想像力も創造力も下がっていきます。 冒頭で紹介した「寒空の中ウォーターキャノンをしたら寒い」ことも、「マスクを着用できない人もいる」ことも、容易に想像がつくことです。 「カポ」が暴れている人たちは、そんな簡単なことすら想像できなくなってしまうのです。 「カポ」が暴れている人たちは、恨みに近い怒りを内なる深淵に抱えていますから、無意識に破壊に傾倒します。 破壊の対象は、自分はもちろん、他人の喜び、安らぎ、愛情、平和…など非物質的なものから、物 質的なものまで様々です。 タイガに暮らすアナスタシアによると、「地球は痛みを感じる。それでも地球は、母が子どもたちを愛するように、人々を愛している。地球は人間のすべての悪意を、地中深く埋めようとする。地球が力を使い果たし、力尽きたときだけ、その悪意は火山の噴火や地震となって爆発する。」のだそうです。 日本人にはよりリアルに伝わりますね。 内在する暴れる「カポ」に気づけない人々の怒りや悲しみを、地球も感じていることを知るには想像力が必要です。 エゴを刺激するには、昔から少々のお金と快楽が使われます。 ナチスの強制収容所では、一欠片のパンや肉片、穴の開いた靴下がお金の代わりでした。 2020年の展開は、生温い夢のような日々では気づくことができなかった、エゴでカバーされてきた、内なる深淵に潜む恨みに近い怒りや、その更に深いところにある魂の悲しみに気づき、それらと決別して、人類は喜びを分かち合うようになる…!というのが、私が今年の初めから感じていることです。 もう、カポ化を促進させる流れが逆流し始めています。 それは左巻きだった渦が右巻きに戻ったような感じです。
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Ray of Sunshine
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