いきなり、大阪弁から。
正直、大阪ローカルなのか、関西弁なのか、ちょっと分からないけれど、私たち大阪人の口癖にこんなのがある。 「ちゃうねん…」(違うんです) 大阪の人が、「ちゃうねん」という時、否定していることは滅多に無く、殆どが「接続詞」のような感じで使われる。(と私は認識してるよ。) でも、「ちゃうねん」自体はNOなので、そこには否定のエネルギーが生まれる。 否定のエネルギーは、争い、二極化のエネルギーを生む。 それらはやがて、私たちの心に分断を招く…のよね。 知らないうちに…。 しかも、自分の使ってる言葉で。 これは何も、大阪弁や関西弁に限ったことではなく、各地の話し言葉の中に必ず存在している。 身近な人で、やたら「ちゃうねん」を言ってしまう人がいるので、ある時、こんな提案をしてみた。 「その『ちゃうねん』を、『せやねん』に変えてみてはどうだろうか?」 「ちゃうねん」(違うんです) 「せやねん」(そうなんです) その人に、直近の文章を例にとって、「ほら、今さっきの話で、『ちゃうねん』って言ったところを『せやねん』に変えても、全然、話のリズムを損なわへんと思わへん?いや寧ろ、会話の中にハーモニーが生まれるやんか〜。ええわぁ〜」と。 その人は、一瞬黙って考え、すぐに「言われてみれば…。」と納得していた。 これは大阪弁だけど、前述の通り、大阪弁に限ったことではないの。 こうやって、口癖のようにNOを唱えてませんか〜?って話。 言靈。 日々、自分が口から紡ぎ出す言葉も、頭の中で紡ぐ思考という言葉も、自分と喧嘩するように「ちゃうねん」によって紡がれていないか、チェックしてみなくてはならない。 無意識に、呼吸をするように、自ら紡ぎ出す「ちゃうねん」(NO)は、あなたの全細胞に「ちゃうねん」とプログラミングしているんだから。 それは自分自身と常に喧嘩しているような状態を作り、自分自身の分離を招く。 分離している個人ほど脆いものはなくて、それは生命力とも繋がってる。 また、分離している個人ほどコントロールし易い。 これまでの世界は、分離、分離、分離と、分離を促すシステムによって作られていたけれど、これからは、分離していたものがUNITE(結合、団結、合わさる)していく。 合わさっていくんだけど、これまでの「集団行動」みたいな、眉間にシワが寄っちゃうようなエネルギーの団結の仕方じゃなくて、個の輝きを保ちながらの団結。 それがこれからの時代、水瓶座(風)のエネルギーの時代の流れ。 暑苦しいとか、野暮ったいエネルギーとは無縁なのが、水瓶座のエネルギーですから。 固定化されていた価値観や視点も、バラエティ豊かになっていく中、「型にはまる」生き方は廃れていく。 自分自身との分離は、この「型にはまろう」とする、または「型にはめようとする」プレッシャーの産物。 旧世界は、支配者が用意した「型」に、どれだけ上手に「はまることができたか」で、生きやすさが決まっていた。 これからの世界は、その「型」が無くなり、一人一人が原型となる。 その原型に、それぞれが逆らわない生き方が、タイトルの「自分に逆らわない生き方」だ。 よく「Path of least resistance」(抵抗が最も少ないルートを選べ)と、旧世界のスピリチュアリストたちは言っていたけれど、私は正直よく分からなかったのよ。 何に対して抵抗が少ないのかが分からなかったの。 今ならハッキリ言える。 「自分という原型」に対して、なのよね。 というわけで、「ちゃうねん」から「せやねん」に、あなたも変えて行ってね。 そしてちょっと想像してみて。 あなたが、全身、細胞レベルで「せやねん」になる時、あなたは世界をどんな風に感じるだろうかって。
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Ray of Sunshine
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