ソーシャルメディアの言論統制が猛スピードで激しさを増している。
あれよあれよという間に、ソーシャルメディアの嫌う人たちのアカウントがどんどん削除または、永久凍結されていくのをリアルタイムで目の当たりにした。 現職の大統領のアカウントを凍結する権利が民間企業にあるのかしら。 恐らく多くの人たちは「あ、そうなの?ま、私、ツイッターなんて使わないし」と、自分には関係のない政治的な出来事のように感じてる気がする。 私が当事者意識に欠けると指摘すると、大抵「じゃ、どうすればいいのよ」と不機嫌そうに言うの。 私が「別に何かをしろって言ってるんじゃなくて、知ることが大事。あなたはあなたのやりたいことをやればいい」とか言うと、「はぁ?」と言われる。 知ることがとても大切だってわからないのかしら。 私は現実をいろんな方向から見て、感じて、知ることは、私たちの意識に影響を与え、それがその人の、一人一人の選択に影響を与えると思ってる。 何を選択するかは個人の自由。 すると「え?選択?そんな面倒臭いこと知らんし。しんどいわ」みたいな反応もあるけれど、それもその人がしている選択なの。 Be the Master of your own reality、自分の現実は自分が創っている、つまり自分の体験は自分が作ってる。 マスター=自分 マスターは、どんどん新しく自分で自分のルールを決め、それをベースに選択をし続ける存在。 常に「誰か」の選択の犠牲になる存在ではない。 以前も書いたけれど、そんな時、自分とする約束(アグリーメント)を決めておくとブレない。 そんな風に、意識してようがしてまいが、自分が常に選択していることにより、私たちそれぞれの体験(現実)は創られていく。 選択していないつもりでも、選択してる。 ベストな選択をしてるつもりでも、実は干渉され、誘導されてるから、自分とのアグリーメントが無いと混乱しやすい。 また、私もかつてそうだったけど、政治的になりたくないって感じてる人も多くて、例えば、不正だとか贈収賄だとかも、「必要悪」ぐらいに捉えてて、「しょうがない」と諦めてる。 でも、この世に生きてる限り、たとえどんなに人里離れたところで、オフグリッドで、自分でファームやって自給自足で生活していたとしても、存在するだけで、私たちは皆ポリティカルな存在なんだと思うよ。 昔、美大にいた頃、私の好きな作家の一人、インカ・ショニベアにチュートリアルをしてもらえた。 その時に私が自分の作品はポリティックス(政治的なこと)とは、繋げたくないって言ったのよ。 そしたら、インカに「What do you mean? Everything is political nowadays! Even a question like “What would you like to eat?”」言われた。 「意味がわからないよ。昨今は全てが政治的だ。『何食べたい?』なんていう質問でさえも。」 何でそんな話になったのかは思い出せないけど、この会話だけは記憶に残ってる。 とか言いながら、当時の私は、論文のためにソビエト時代に政府お抱えプロパガンダアーティストだった、イリヤ・カバコフをリサーチしてたなぁ…。 面白いことに…。 彼のスケッチで、クローゼットの中に暮らす男性っていうのがあって、シンプルなシャツを着た男性(本人)で確かローゼンタールという名前だった。 クローゼットの中は、窮屈なカプセルホテルみたいな感じで、ろうそくの灯りの下、何かを描いてる。 その感じが、当時私が感じていた「窮屈さ」と共鳴したんだろうね。 イリヤ・カバコフはその後、アメリカに亡命したのだけど。 その頃は、エネルギーワークとかヒーリングとか全く知らない頃。 自分の現実、自分がどう体験するかを私自身が決めているなんて思いもよらなかった頃。 与えられる刺激にそのまま反応して、あっちこっちに引っ張り回されていた頃。 自分が常に選択し続けていることも知らなかった頃。 反応させられることが、生きることだった頃。 「ここ」じゃなければ「あそこ」へ行けば良いと思ってた頃。 今の私は、あの頃よりもたくさんのことを知ってる。 自分とする約束、自分とのアグリーメント↓ぜひ。 https://www.kaekonakagawa.com/12502125251246412300299832162921147122891245612493125231246212540124342486312376124241235812301/3269675
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Ray of Sunshine
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