情報弱者というのは誰かのことを指す…というよりも、誰でも陥る可能性のある状態を指すと私は思ってて、情報の精度とか、ましてや誰が発信してる情報かとは無縁な気がする。
ある特定のメディアしか見ないという人が情弱に陥り易いのは、偏ってるからで、その特定のメディアが信頼できるかどうかは別問題な気がする。 去年、いよいよメインのメディア媒体から離れて、インディペンデントジャーナリストさんや、個人のYoutuberさんたちに流れた人たちが増えたと思う。 でも、情報の仕入れ先?を変えても、情報との関わり方を改めなければ、相変わらず情弱な状態に陥ったまま…なのよね。 情弱な状態にある人の情報との関わり方って、基本的に振り回されてる状態で、それは感情的に振り回されている、つまり一喜一憂してる感じ。 それは、自分自身の感覚というのが、見事にお留守になってしまってる状態。 前向きなエネルギーを感じさせてくれる情報や発信者に、共感して、ポジティブな気分になるのも良いけれど、何だろう?依存してしまっては、その相手次第、情報次第で、あなたの「ポジティブ」はいつでも変わるという脆弱性を孕むから、いつまでも与えられる刺激に反応させられ続けるという、ある意味奴隷であり続けることに…。 それよりも、自分の感覚を感じれるようになった方が安定するの。 キーワードは、「何が起こっていようと」、「何と言われようと」であって、それは周りの状態や発言によって「常に左右される自分」という弱々しい自分という前提ありきじゃなくて、常に「私はこうだから」と先手を打つように選択し続ける心意気みたいなやつが、有るか無いか…ということ。 如何なる情報も、例えどんなに信頼ができる情報源でも、決めるのは自分…ということを、自分がさっさと決めなければ、情報ソースを変えようと、広げようと、ずーっとずっと情報弱者という状態から抜け出せないままで、それは常に、他人が作り出した状況やシステムの中で「仕方がない」と、どこかで諦めながら生きていくことに変わり無い気がするのよねぇ。 自分の感覚って、肚という部分で感じる感覚。 ハートに問いかける…というのがしっくりくる場合はソレで。 そこで感じようとした時、ザワザワするとか、ド〜ンとするとか、軽いとか、ズッシリのしかかるとか、色んな感じ方があって、人それぞれなので、「ザワザワする時はこういう意味」みたいなルールもないの。 自分でキャッチしなくてはならない。 例えば、ザワザワする時がめっちゃGo!サインの人もいれば、ザワザワする時が注意喚起のシグナルの人もいる。 これは一人一人違うので自分で見極めること。 それをね、全部人任せにしてると、情弱という状態に、いつでも誰でもハマってしまうんじゃないかなぁと私も日々、お気に入りのYoutuberさんたちの動画を楽しませて貰いつつ、自分にリマインド。 私は、好きなYoutuberさんやジャーナリストさんたちには、これからも自分を信じて自由に情報発信を続けて欲しいもの。 情弱という状態に陥り易い人ほど、立場が変われば言論弾圧をしてしまうんだろうな…、つまり言論弾圧してる側も情弱と…というわけね。 やっぱり精神的な自立…、大切ねぇ。
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Ray of Sunshine
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