毎年、公共の交通機関が止まるイギリスは、25日はとても静か…。
24日はギリでブレグジットの合意もあったようだけど、これも来年、2点3点しそう? 近所に週末来てくれるファーマーズマーケットも、水曜日に年内最後の営業で、妙に暖かかった水曜日は、チャリティショップで見つけた70年代のワンピースにデニムジャケット一枚で出かけた私。 そして↑の写真で左手に持ってるのは紫のケール。 抱えてるのはニンジン、手に持ってる袋には林檎や梨がたっぷりと。 ほぼ毎週お世話になっていたので、本当は十分食糧はあったけれど行ったら、お店の人たちも「来てくれてありがとう!」 う〜ん、年の瀬感。 さてさて、クリスマスの日、日本の母と電話で話しました。 一見普通そうでいて、かなり個性派の母は例の如く、「あ!思い出した!聞きたいことあってん!」と叫ぶので、「え、何何??」と私。 「不思議なことやねん!」と母。 まさか宇宙人ネタ?!と期待も膨らんだところで…、「早よ話してよ!」となるのはお約束。 「あのな、昔の絵画とかで、キリストはどうして裸なん?」 面白いでしょ、ウチの母。 面白い大阪のおば(あ)ちゃんだけど、西洋美術が好きで、ロンドンのナショナルギャラリーなら一日中いれる人。 クラシック音楽も昔から好き。 だから↑ウケ狙いの質問じゃないのよ。 きっと、クリスマスーってことで思い出したんだろうね。 そこで私も「なんでかな?」と考えてみた。 母がどの作品を手に取ってこの質問をしてたのか知らないけれど、それこそロンドンのナショナルギャラリーのセインズベリーズウィングにあるような宗教絵画の時代、絵描きは職人だった。 印象派時代のモネやゴッホとは違って…。 修道院や教会、裕福な個人の顧客からコミッションを受けて作ってたわけだから、きっと宗教施設なら、その宗派の意向はもちろん政治的立場も、個人の顧客でも、その辺を理解して描かないとお金を払ってもらえなかったと思う。 母が「ほらほら、赤ちゃんの場合でも、布の上にぽんと赤ちゃんを置いてるやん?なんでやろ?」 「じゃ、お母さんが絵描きやったら、服着せてたと思う?」と私。 母はう〜んと唸ってから「布ぐらい巻いたかも…。」 美大出身でアートの先生をやったことがあるとはいえ、専攻は工芸の染織だった私だけど、多分、色んな見方ができて、今の私が感じたことを答えた。 「生まれる時も死ぬ時も、人間身一つ。それだけ完成度が高い、すべて持って生まれてきてるよってことじゃない?」 それに、同じことがテーマの絵画は、たとえ登場人物がたくさんいても「そこらへんの子たち」と、「キリスト」を見分けやすい構図や描写になってるから、絵を描かせ、後世に残した人たちは、きっとキリストの特別さを強調したかったんじゃない?って。 そこから話はどんどん、ショパンとカナレットや、イギリスのターナーに転がるように逸れていくのも、大阪人あるある。 ふと「今、何時や?」というので、私が「お昼ぐらい…かな。」と答えると、「そうか、今から一日が始まるんやな…」というので、オイオイオイッ、どんな1日や!それ半日やろっ!と突っ込みながら話していたら、欠点の話に。 母がわざとらしく深妙な声音で「私な、もう決めてん。」 何を? 「もう出しゃばらないって決めてん。」 え?そこがお母さんの一番パワーが炸裂するところやん!と私。 私の母は、私や姉なら当然だけど、友人知人相手でも、他人がやろうとしてることを察知して、考えるより早くに「ほな助けよか?!」とか、「こうしたらエエよ!」とか、自分の中に湧き出るインスピレーションを惜しみなく出して助けてくれる。 でも、それが干渉されるようで嫌がられたり、嫉妬されたりすることはあるし、それは仕方無い。 そしてそれが「影口」となって母の耳に届くことがあると、内側で大真面目に反省するタイプ。 言う方も、嫌だと思ってるのは自分の問題で、嫉妬してることだってどこかでわかってるから、母に正面から文句を言えず、陰口になって伝わったんだろうけど、母だけでなく色んな人間関係でよくあること。 だから、私たちって結構自分の特技を欠点だと思い込んでるんだよねぇ。 そう言った私に「いや、ええねん。私は。もうやめるねん。出しゃばりはやめるねん。」と言い続けるので私は思わず笑い出してしまったの。 っていうのもね、それぐらいで「やめられる」ようなことなら、個性でもないし、誰かに迷惑かけることもないから。 「そんな簡単にやめられへんって」と私。 そう言うと母も笑い出してしまった。 そうなのよ。 才能、個性って、生命力そのものだから、やめて!と言われ「はい!やめます!」と言ったところで! 誰かが嫌な気分になったことは残念だけど、殆どの人は喜んでくれるし、何よりも、ある意味才能であることに文句言われても…! 謝りたければ謝れば良いけれど、ついでに自分の良いところを否定しちゃうのはもったいない。 じゃ、どうすれば良いか? 私は笑い飛ばしてしまえば良いと思う。 「そーやねん私、出しゃばりやわ〜。体が勝手に動いてしまうねんやわ〜」てネタにしてしまえば良いと思う。 大阪の人ってそういうの得意で、アクシデントやハプニングに遭っている最中でも、頭のどこかで「これを如何に後で面白おかしく伝えるか」って笑いを取ること考えてるもの。 自分のアクシデントやピンチも、「後々これで如何に笑わせられるか?」が視点の一つとして必ずあるよね?大阪の人? だから、お笑い芸人が知事になってしまったんだろうなぁ。 あの時、家のテレビの前で亡き父が「オイッ、ほんまになってしもたぞ!!えらいこっちゃ!こんなん選んでどーすんねんっ!」て、それでも笑いながら言ってたなぁ…。 反省して、落ち込んでしまうようなタイプの人はぜひ、この大阪メソッドで笑い飛ばしてほしい。 何だろう、これからそういう場面が増えそうな気がするの。 そんな時、周りの人や社会的にはきちんと対応しつつ、自分にだけは↑の大阪メソッドで笑い飛ばせるぐらい、自分のことをよく知ってあげてほしい。 というわけで大阪メソッド、思い出してね。
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Ray of Sunshine
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