昔、むかーし、イギリスのインターシティレイルで、寝こけていた私が目覚めるとこんなメモが私の手の中にあった。
それは2センチ×7センチぐらいの紙で、そこには「You’re beautiful.」と書かれていた。 それまで「かわいい」ぐらいは、言われたことは無かったことは無かったけれど、「美しい」と言われたことが無かった私には衝撃的だった。 誰が置いてくれたのかわからないけれど、きれいな筆記体で書かれていたそのメモ。 そうか、私はかわいいと言われるに甘んじていてはいけないのね…と思った。 その時、何と無くいつも「妹」として、「かわいく」収まっとけば「得」だったという「思い込み」に縛られて、小さくまとまってた自分に気づいたのかもしれない。 そうか、私「若い女の子」じゃなくて「大人の女性」なんだ!みたいな感覚。 昨今、女性性というエネルギーについてよく語られるけれど、日本はすごく女性性が歪められてしまって、それは例えばファッションや女性向けのプロダクトを観察してると分かりやすい。 精神的に幼く感じる。 女性を精神的に自立させないプログラミングは、女性にはもちろん、男性にも散りばめられていて、いつも日本へ帰るたびに感じる。 女性性というエネルギーは、女性を大切にするとか、女性の社会進出が〜とかいったレベルの話じゃなくて、常にクリエイトし続ける力のことで、女性にも男性にも関係する、命に関わるエネルギーのこと。 それが歪められた女性性。 日本のファッションを見てるとわかりやすいと書いたけど、それはお店で売ってるものだとか、皆が着てるものだとか、トレンドの語られ方とかのことで、メイクも含まれる。 イギリスはかつて、その辺に関してはもっと尖っていた気がするけど、ここ10年、20年で一気に媚びるファッションが浸透してきて、「もういっそのこと、裸で歩かれてはいかがですかー?」みたいな格好の人も見かけるのだけど、仕事柄、一瞬、そんな格好してる人たちの奥深くに、傷つけられた女性性や男性性を垣間見て、痛々しく感じる。 そう、男性も女性と等しく、これに関しては傷つけられてきた。 女性なら乳がんだとか子宮系の病気、男性な前立腺がんみたいに、身体に症状として出る人も多い。 女性性という話になると、フェミニズム的なディベートにも陥りやすいけど、全く違う。 あれも、結局は本当の意味で女性性や男性性といったエネルギーの本質から遠ざけるディバイスとして利用されてる。 20日から始まった水瓶座のシーズン、私と同じ水瓶座の平塚雷鳥の言葉、「元始、女性は実に太陽であった。」を思い出す。 「かわいい」というエネルギーも、子どもを見ているとパワフルだと感じるけれど、女性は美しいというエネルギーで、それは太陽のような、晴れの日のような、そんなパワフルさを持つ。 私はそうありたい。
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Ray of Sunshine
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