自分を大切にする、自分を愛する、自愛…といった話の中で、まずは自分のことをよく知るというのがある。
自分のことをよく解ろう、理解しようという行為そのものが自愛だし、自分を大切にすることだから、これは波動も上がるのでお勧め。 私自身まぁったく自分のことを知らなかったなぁと思うもの。 その一つが、自分の繊細で敏感なところ。 …と書くと、まるでか弱い感じだけど、私の場合、か弱くは決してない。 一人でイギリス来ちゃったし、メキシコにもぽんっと行っちゃったし。 私には私なりの強さもある、でも繊細で敏感。 強い人が繊細で敏感だと、それはズバリ「折れ易い」または「壊れ易い」となって出ると思う! 私がそう。 繊細で敏感なところが「硬度」を上げてんのね。 というわけでHSP。 これは、Highly Sensitive Peopleの頭文字を取ったもので、意味は、極めて繊細な人々ということ。 HSPの人は繊細で敏感なのは知っていたけれど、体感も繊細で敏感だというのは知らなかった。 そんな私もHSPで、すごくしんどかったのだけど、そのしんどかった理由が、「自分がHSPなのだと知らなかった」ことにあった。 「そうなのかー」と知ってからも…トレーニングが必要だったけども、「どうして皆は気づかないのだろう?」とか、「どうして私はこんなに色々気になるのだろう?」とかいって、頭をグルグルしていた時代よりはずーっっと楽になった。 だから…、HSPの人ほど、ネガティブな感情のエネルギーや、思念が細胞内に囚われがち。 私はクライアントさんにHSPの繊細で敏感な感覚と、そうじゃない場合の繊細さをこんな風に説明してる。 昔ながらの8ミリで撮られた映画のフィルムや、デジカメ以前のマニュアルカメラのネガを思い出してもらいたい。 例えば、HSPの人とそうじゃない人が、同じシーンを目撃したとする。 その時、二人がそれぞれ見てるものを動画にしたとする。 すると、普通の人が見てたものを動画にした場合は、ネガのコマが例えば50コマだったとするじゃない? HSPの人が見てたものを動画にした場合は、ネガのコマが、例えば80コマ+になるわけよ。 でも、同じシーンを同じ時間だけ目撃してただけ。 事故を目撃しても同じ。 映画を見ても同じ。 日常も同じ。 とにかく、コマ数が増えるわけ。 だから、「そうなのだ」と自覚しておくことで、「どうして周りの人は気づかないのだろう?」問題は解決する。 周りの人たちには、そのコマが見えてない。 HSPの人は生まれた時に「あなたHSPよ〜」と言われたりしないから、自分がよりたくさんの「コマ」を見てるとは自覚してないので、周りも皆、自分と同じだけのコマ数で見てると思ってるから(当然ながら)ついついその体で話しがち。 だからすれ違って、疲弊してグッタリ…自己嫌悪…みたいなパターンになってしまうのだ。 だからHSPじゃない人たちも、別に繊細じゃない訳じゃないの。 彼らも繊細さや敏感さをもちろん持っている。 でも、コマ数が違う。 ただそれだけのこと。 今日は七夕。 さとうみつろうさんが、「短冊に書くのは願いではなく、願いを実現させるためにあなたが取る具体的な行動を短冊に書く日」と言ってたけど面白い。 私はこうしよう。 これからは、常に「自分を大切にできる人の視点」で行動し、「自分を愛せるようになるには?」という視点で発信していく!
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Ray of Sunshine
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