いろいろ、目まぐるしく展開していく今、大切な、Awareness、気づき。
これは、観察することであり、それは、自分自身の思考さえ観察するというスタンスです。 最近、ずっと言われていた、DNAに逆転写される可能性が実証されました。 youtu.be/MXvPpA0wC-U 逆転写が、実際、可能だということが分かりましたが、それが実際に人体に起きた時、それが実際に(人体に)どんな影響を及ぼしていくのかについては、私たちはこれから知ることになります。 打たなかった人は、だから打たなかったのです。 打たない人からすれば、これは明快な選択でもありました。 カナダのダニエル・ナガセ医師の見解を聞くと、考えられるシナリオは決して明るくはないかもしれませんが、 www.nicovideo.jp/watch/sm40086177 私個人としては、人体には解き明かされていないことが多いこと、個体差もあること、エネルギーワークの可能性、その他いろいろなことを考慮すると、それぞれの個体に何が起こるのかは様々なんじゃないかと感じています。 だから、打ってしまった人で後悔している場合も、気を落とさず、パニックにならず、情報を追っていきましょう。 ウクライナのことでも、事実を把握できず、惑わされてる人も多いように感じます。 偏向報道に加担して、行動を起こすのは、炎症(戦争、いざこざ)を、より炎上させてしまうだけです。 私も、何が起きているのは、本当のことは分かりません。 というか、何が起きるのかは、私たちの選択にかかっていますから、憶測には乗らず、現状を把握しながら、自分自身に、常に問いかけてます。 「これは、私のどんなエネルギーが表面化したもの?」 例えば、イギリスでロックダウンが起きた時、私は自分に「この現象は、私の中のどんなエネルギーが作ってる?」 今回の紛争も、情報は情報として整理して受け止め、観察を続けつつ、「私の中のどんなエネルギーがこの紛争を作ってる?」と問いかけてきました。 今回、私の内から響いてきた答えは、決して根暗で、お先真っ暗な答えではなかったことだけをお伝えしますね。 情報は情報として受け止めると書きましたが、戦争反対…はもちろんですが、この問題に関しては、せめて、Ukraine on fireという2016年に公開された、アメリカのオリバー・ストーン監督によるドキュメンタリーぐらいは見てから語ると良いのではないかと思います。 www.youtube.com/watch?v=IC4nynI3uKQ 情報を流す側の思惑も感じながら、あくまで自分を自分の道を歩き続けるガッツを、ロックダウン下のロンドンで学びました。 また、この紛争をここまでメインに据えているのは、P社から、同社が75年は封印したかった文書が、裁判の結果、公開されたからだとも言われていることを最後に書いておきますね。 最後の最後は、有機大豆のがんもどき💓
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誰かを助ける時、誰かが助けを必要としていて、助けたい時も含め、
相手から、クリエイトする力を奪わないように助けることは、とても大事だと思うこの頃。 それは、「かわいそう」だという目線じゃなしに、 その人の、その人すら忘れてしまったような、クリエイトする力を見つめながら、 その人が、自分自身の力でクリエイトし始めるよう、導いていくことが助けになります。 ジャッジすることなくサポートするって、そういうことじゃないかと思います。 それが他者に向かって表現できるようになる前に、まず、自分に対して、ジャッジすることなくサポートできなければ、他者に対してできるわけがありませんよね。 じゃ、自分を、ジャッジすることなくサポートするってどういう感じか?というと、 それは、何が起きても、自分の感情にフォーカスして、自分が感じてる感情を「そうか、嫌なんだねぇ」みたいに認めて、 それから「じゃ、どうしたい?」と、新しい選択肢を模索すること。 嫌な気分になってる自分に、「いつも同じことばっかり繰り返してバッカじゃないの!」とか、「自業自得か〜」っていう自虐ワードは、全く役に立たないわけです。 そして、クリエイトする力は経済的なマニフェステーションと密接にリンクしています。 クリエイトする力が弱っている人は、経済的にもマニフェステーションする力が弱いです。 そんな状態にある人は、自分を信じていませんから、全てをコントロールしようと躍起になっちゃいます。 ↑これ、おかしいでしょ? 自分のことを信じてない、つまり、自信無いのに、全てをコントロールできる・しなくちゃって思ってるところ。 自信が無い人ほど、マイクロマネッジしたがるわけです。 ディテールは全て、Distractions(気を逸らせるもの)で、俯瞰して、大局を見つめることが大事だと、私が感じたトム・キャンベルの話はこちらから。 creativeenergyhealing.hatenablog.com/entry/2021/12/08/113333 自分を信じることができたら、細かく「願いを叶えるノート」にあれこれ書かなくても、「自分なんだから、自分にとって最善の現実を創ってるに決まってるわなぁ〜」と、リラックスできるわけです。 自分を信じる力が弱い人は、親が過干渉だったから。 過干渉というのは、過保護という現れ方だけじゃなく、親の生き様、親の嗜好、親の人間関係の築き方…諸々が、子どもにめちゃくちゃ影響を与えてしまった場合も、私は過干渉と捉えます。 子どもの時に、自分をひとりの人間として捉えるチャンスを明確に持てなかったら、自分を認識する力が弱まるため、自分を信じる力も弱まるんだと思います。 これ、日本の教育環境あるある、ですよねぇ〜。 その呪縛から解き放たれ、己のクリエイトする力を強めたい人は、今から、全神経を自分が感じていることにフォーカスしながら生きてみてください。 自分が常に、何をどう感じているか? これが、あなたを導く羅針盤です。 後1週間ちょっとで引っ越します。 本当は、↓こんな環境に暮らしたいと思っているのですが、サイマティックス的に、私はまだまだ大都市に必要なエネルギーのようです。 ま、いっか〜!! 今から5、6年前は、私もそうだったけど、幸せであることへの意欲が低下している人を多く見ます。
そんな人は、えてして受け取り下手になってます。 幸せであろうとする意欲が低下しているのも、状態を表しているのであって、本質ではありません。 状態と本質についてはこちらをどうぞ。 https://www.kaekonakagawa.com/125021252512464/3347146 TakerとGiverについても、おすすめです。 https://www.kaekonakagawa.com/125021252512464/takergivercreator 幸せであろうとする意欲が乏しい時、私たちは不機嫌であることが多いです。 顔で笑ってても、腹でムカムカ、イライラしてる感じ。 満たされない思いがいっぱいで、やればやるほど、損するような、そんな感じなのに、 良いことが転がり込んでも、100%カラッと喜べず、罪悪感が顔を出す…。 なぜか?! 欲しい、満たされたい、そんな思いでいっぱいなのに、「受け取れない」。 ちょっと言葉にクロースアップしてみましょう。 幸せであることへの意欲の低下は、英語なら、Willingess to be happyかなぁと思います。 直訳すると「喜んで幸せで在ろう(とする)」みたいな感じで、こう訳すとニュアンスが伝わりやすいと思う。 これは、幸せで在る(状態を表す)ためなら、なんでもする、つまり手段を選ばない…というわけではなくて、 幸せで在るために「できることは」なんでも「喜んで」やる…そんな感じ。 この二つの要素、できること&喜んで、これを知らないとドツボにハマって、不機嫌になってしまいます。 「できること」という要素を欠くと、死に物狂いという、必死な周波数が生まれ、それが人を不幸にするので、不機嫌になってしまうんです。 大体「喜んで」と「死に物狂いで」って、両立は無理…でしょう? そういうことです。 アファメーションというか、スタート地点で、「できることは」なんでも「喜んで」やります!と、自分にプログラミングしておく感じです。 間違っても、「なんでも」「喜んで」やります…なんてプログラミングしないように! |
Ray of Sunshine
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