色々なことがるけれど、何となく世界は同じぐらいのスピードで気づきを得てるような気がします。
エネルギーの法則は鏡の法則。 自分の中に恐怖があれば、鏡にも映る。 ザワッとする投稿や動画、画像を見たらチャンス、鏡の前に立ってみましょう。 恐怖が映り込んでいたら、それは自分が引きつけたことになる。 自分の中にある恐怖を解消せずに、ポジティブなニュースを探しても、デモに参加しても、鏡には恐怖が映り続けます。 ここ数日、日本の自殺者数が、c19の死亡者数よりも大きことが、ヨーロッパでも話題になっていました。 だから封鎖は百害あって一利なしだと言うわけです。 確かにその通りですが、日本人にとって自殺は以前からあった問題で、確かに今年増えてしまったのは一際ショックですが、根本的な原因である歪みもc19で悪化したとはいえ、問題は以前からありました。 それを言いたくて、英語のツイートにそんなコメントをしてみたり…。 今、いろいろあり過ぎて、聞き心地の良い誰かが紡ぎ出すストーリーに便乗したくなる時ってありません? ポジティブな印をくれるストーリーを紡いでる人に便乗したくなるような…。 私は時々ありますよ。 でも、その度に、「いやいや、この人はこの人のストーリーを紡いでる。信頼しよう。ちゃんと紡ぎ続けてくれることを!そして私は私のストーリーを紡ぎ続けよう」と、思い出すようにしています。 ワクチンだー、偽陽性だー、医療崩壊だー、いろいろ不安を煽る話が多いですから、逆に、例えば大量逮捕だとか、光と闇の戦いで悪がコテンパンに…みたいな話を聞くと、ちょっと気晴らしになることもあるかもしれません。 でも、それでは、彼らが紡いでるストーリーに吸収されている状態。 そのままでは、いつまでたっても自分のストーリーが始まりません。 そんな時は、誰かのポジティブな話に印を見いだした時は、「ありがとう!そのストーリーは任せたよ!」と言って、私たちもそれぞれ、自分のストーリーを紡ぎ続けましょう。
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海王星の巡行に合わせて、アメリカの大統領選挙から、長年行われてきた不正選挙というシステムがどんどん明らかになりつつあります。
今年は土星のあたり年ということで、土星の公転周期に基づく、堅実さを表すエネルギーの特徴「29年間使えないシステムにダメ出しが入る」の最初の突破口がコレな気がしています。 土星のエネルギーは、根本的に見つめ直すことを促します。 私の周りの山羊座さんたちを見ていると、彼らの堅実ぶりが正にこの土星のエネルギーなんです。 彼らはよく「食い扶持に困らない」と言われますが、これはそういう堅実さから来るものです。 もう、この先はこんな不正選挙に基づいた国の運営システムは使えませんよ、新しいシステムを考えて出直しなさいよ、ということですね。 ここでダメ出しが入ったのは、アメリカ大統領選であれば、アメリカという国よりも、アメリカという国を運営する「会社」としてのアメリカです。 アメリカという会社は、ここで変化を余儀なくされているわけです。 しかしこれは対岸の火事ではなく、恐らく地球にあるほぼ全ての〇〇国という会社としての国々は、全て同様か類似したシステムにより運営されてきたのではないでしょうか。 よって、やはり変化を余儀なくされる…と感じます。 トランプさんのアメリカファーストは、もちろんアメリカの国益を第一に考えるということでしょうが、やはりアメリカが最初に…というエネルギー(言霊)も含んでると私は感じてます。 アメリカ(会社)は、地球において人類に大きな影響力がありますから、アメリカから変化が始まれば、ドミノ倒しみたく、それは地球全体に広がっていくのは自然なことだと思いませんか? 日本は偏向報道が激しいのと、高いと言われる日本人の民度から、余りまだ危機感を抱くような事態ではないかもしれませんが…。 最近、イギリスで今年可決された法案の中に、コロナ検査でDNAを採取することが盛り込まれていたことに今更驚いている日本の方々がいらっしゃいました。 確かにドキッとする内容ですが、私からすると「これまでやっていなかったとどうやったら言い切れるんだろう?」でした。 これまでもきっとやっていたんじゃないか…? それを今回「ついでに」合法化して、これまでやってきたデータとあわせちゃぉ…みたいに感じるのです。 というのも、こんな風にコロナに乗じた法案は各国で今、作られ可決されていますよね。 それらは、私たちが日常生活で目にする契約書の中の、※印で書かれている小さいフォントの部分みたく、誰も読まない…ことが前提…、でもサインをしてしまえばサインをした者を縛る効力を発するもの…。 そんな感じでこれまでも行われてきた気がするのです。証拠はありませんが…。 それはつまり会社としての国が、正直に国民に、自分たちのオペレーションを話しているでしょうか?といったところです。 日本からご覧になった方もいるかもしれませんが、イギリスでは首相がシリアスな面持ちで特別会見を行い「あなた方は皆、愛する誰かをこのウィルスによって失うことになる」と宣言しました。 私も人々も、皆、コロッと信じました。 私も「もう家族に会えないかも…」と真剣に悩みましたよ。 イギリスに来てから…イギリスの医療システムにより、いつも「会いたい時に会えない」のがお医者さん…というのが常識になったので、首相は「とはいえ、医療体制は整ってるから心配しないように」とも言ってらっしゃいましたが、私は自分でなんとかしろってことね…と頭は超高速で回転し始めていました。 というのも、2009年トリだかブタだか知りませんが、インフルにかかって1ヶ月寝込んだ私は結局、こちらの医療からは診察する規格(体温や症状の電話による問診)から外れると診察を断られ続け、医療のお世話になれなかったというのか、免れた…というべきか、医療の網目からこぼれた経験を持つので、ウィルスがリアルだった今年の初めは「ヤバい、自分でなんとかしなくちゃ…」と感じてました。 いつでも帰れる日本が、次いつ帰れるか日本…と、途端に遠くなった瞬間でした。 そこから私は自分で色々調べるうち、世界中でも皆が調べ始め、それは大きな流れを作り、すぐにウィルス自体が弱毒性であることや、この裏で様々なアジェンダ(プラン)が実行されてきたこともわかりました。 間違ってる、正しいという話ではなく、私の命は他の命と同様、等しく尊いのですが、国を運営する「会社」としての国からすると、それは建前であって運営方針としては成り立たない…というか、そういう運営の仕方だったのがこれまで…なんでしょうね。 そしてこれは昨今、残念ながら、あらゆる国を運営する「会社」としての国からすればスタンダードになってしまってました。 だから最近、大阪からも「トリアージが…」なんていう発言が出てくるのです。 あの一言により、すでに医療に依存している人々の免疫力はどれほど低下したでしょうか? あれにより、純粋に人を助けたくて医療関連に従事している人たちは憤りを感じたのではないでしょうか? 「気安く言わないでくれ!」と感じた関係者の方々はたくさんいらっしゃったと感じます。 それに、一人暮らしのお年寄りはもちろん、持病をお持ちの方、持病を持つ家族を介護する家族…。 リーダーには本来ならば、一番助けを必要としている人々と助ける側の人々を励まし勇気づけることを述べて欲しいところです。 もちろん、口先だけじゃなく…。 そういうリーダーによって民度も磨かれる気がします。 リーダーの言動がマッチしていれば、皆、助けあうのになぁ。 因みに、彼が掲げている対策は、今年前半にイギリスでやったことである印象を受けました。 対策はあくまで対策であって、バンドエイドで、本質には届きません。 私のホームページ内にも書いてます。 私たちは症状や問題が目の前に現れた時、それに対して何とか対処しようとします。 私たちが、症状や問題そのものを対処しようとしている時、用いるメソッドがエネルギーベースだろうと、ホリスティックだろうと、現代医療だろうと同じことを見過ごしています。 その同じこととは、「そもそもどうして自分はこれを問題だと感じるのか?」、「そもそもどうしてこの症状(または疾病)が出たのか?」という視点を見過ごしているのです。 この部分を見過ごしたままでは、問題や症状は、手を替え品を替え、いつまでもあなたの前に現れ続けます。 トリアージというコンセプトが生まれたのは、ずいぶん昔かもしれませんが、思えば、その時から、この宇宙を創った創造主は私たちに問いかけ続けてきたのだと感じます。 トリアージというコンセプトを作る前に、「それが必要となった状況を作り出している原因があるだろう?それを忘れてはいけないよ…。」 これまでは、この方針で、幾らかは引っ張ってこれたかもしれませんが、その運営方針はこれから先の地球では成り立たなくなりますよ、と言われているのが今。 国を運営する「会社」が試みてきたこと、やろうとしていることは、生命のコントロールです。 これは神の領域で、肉体を持つ人間にコントロールできるものではないからです。 人間にできることは、それを祝福して満喫することなのです。 DNA採取の話に戻りますが、今回のウィルスも、空から撒かれているものも、電磁波にしても、私たちを瞬殺しないように、生かさず殺さずの手応えとなるよう、どうやって調整しているのでしょう? しかし個人差もありますから、人一倍苦しむ人も出てきます。 そんな時、私たちの細胞は時空を超えて過去の私たちの細胞に、ある種の必要な変異を呼びかける気がします。 それは頂いた生命を生きるために不可欠な変異…。 生命は生きるためにあります。 生きるために必要な変化を生み出す力を内包しています。 これは不確定要素です。 不確定要素はコントロールできないからこそ、不確定要素です。 尽く、限界がある肉体を持つ私たち人間は、そろそろこの、コントロールできない不確定要素を受け入れ祝福するタイミングにあるのではないでしょうか。 小さい頃の私は、ご先祖さまがもっと身近だったなぁと思い出すのです。 特に信心深い家庭に育ったというわけでもなく、ただ、子ども心に感じてた安心感は、いたるところにあった温かいエネルギーのことだなと、大人になってからエネルギーを学んだ私は、ハッとさせられました。 私の父の実家は、男四人兄弟に末っ子の妹という構成で、男兄弟間のライバル意識が半端なく、喧嘩が絶えなかったけれど、祖父母が健在の頃はお正月には必ず、皆が嫁と子どもらを連れて挨拶に集まっていました。 その集まり方はオーガニックで、皆がポロポロと集まり、やがて全員揃う…、別に祖母とも「今年のお正月はいつ来る?」なんて打ち合わせはしておらず、皆がそこへ集まってきていたのです。 ところがこの祖母は生前、モーレツな嫁いびりと依怙贔屓をする人だったので、派閥を作ってしまいがちだったため、嫁にとっては修行タイムであり、息子らにとっては喧嘩タイムでありました。 そんな祖母ですが、今思い出すと、彼女は伝統やしきたりを大切にしていたことが伝わってきます。 私の記憶の中ではずっとほぼ寝たきりだった祖父が、私が小学校に上がるかと言う頃に亡くなってからは集まることも年々減りました。 それと前後して、兄弟らの人生も歯車が狂い始め…、今は父方の親戚とはほぼ縁が切れてしまいました。 いとこも総勢10人ほどいたけれど、全く会うこともなくなりました。 「だって、別に仲が良いわけでもないんだから、わざわざ集まる理由がないでしょ?」そんな感じ。 こういうのって、一瞬日本っぽいって感じられるかもしれませんが、実は欧米でもよくある話で、欧米ではクリスマスがそれに相当します。 パートナーの実家の集まりに毎年手料理を持参して参加していた友人も、去年のクリスマス後「会ってもどうせいがみ合うだけだから、来年から行かないことにした」と宣言しました。 ところが、その数日後、パートナーのお母様が亡くなられたのだそう。 クリスマスの日に骨折したことから入院、話を聞いていると、私には彼女(友人のパートナーのお母様)の生命力はどんどん弱っていったように感じられました。 さて、今年になって、私は以前よりも、この生命力というエネルギーに意識を向けるようになりました。 ある時ふっと閃いたのです。 実はこの嫌々集まっていたお正月(欧米ならクリスマス)は、綿々と受け継がれてきた生命力を繋げる働きがあったんじゃないかって、感じるようになりました。 家族仲が良好であれば無論楽しいでしょうが、私の父の実家や友人のパートナーのケースのように、ストレスの方が強いというケースも決して珍しくはありません。 しかしながら、何であれ、物質主義的観点から物事を見つめるのと、エネルギー的観点から物事を見つめるのは全然見える景色が違います。 物質主義的観点で楽しいか、楽しく無いかとは関係のないレベルで、今、私たちを生かしてくれている命というエネルギーをリニューアルする働きがあったのではないかって。 ご先祖様から綿々と受け継がれてきた生命の繋がりを、笑ってようが、いがみ合ってようが、改めて強化されていたのが、年に一度作られていたあの空間だった気がするんです。 この、生命の繋がりは正に命綱みたく、今も私たちを守ってくれている気がします。 生命は、動物でも植物でも同じですが、一つでは生存率はグッと下がります。 中でも人間の場合それが顕著で、家族というコミュニティが各個体の生存率を支えてきました。 家族という繋がりは命綱ですが、ここずっと、数千年規模で、これを壊す試みがずっと人類になされてきました。 「だって、別に仲が良いわけでもないんだから、わざわざ集まる理由がないでしょ?」 「わざわざ嫌な思いする必要もないし…」 嫌な思いをしてまで実家に帰らなくて良いのですが、心のどこかに、この命綱によって、そんな自分も守られてきたのだということを少し置いておくだけで、生まれる前から綿々と続く、私たちを生かしてくれている生命の繋がり(命綱)を改めて感じることができます。 何度も書いていますが、私たち人間にとって感じることができない=存在していないに等しい…なので、感じることができるようになると生命力はより一層輝きます。 そしてそこから、感謝が自然に生まれる…、そんな感じがするんですよね。 |
Ray of Sunshine
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