5月に入り、これまで、低かろうが、高かろうが、取り敢えず現状維持的に安定していたエネルギーが動き出した気がしませんか?
机や椅子が4本の柱で支えられてるように、4は安定をもたらすエネルギー。 安定には安定の魅力があるけれど、マイナスなのは変化が生まれないこと。 つまり、進化しない、変わり映えしないというところ。 そこにもう一本加わることで、新しいエネルギーが生まれる。 新しいエネルギーに触れる時、必ずしも「ヒャッホー!」という訳ではなく、最初はやっぱり落ち着かなくなるもの。 そんな新しいエネルギーをどれだけポジティブに乗りこなせるか? それが6月に巡ってくるエネルギーのスケールを決める気がします。 うぉ〜、ドキドキしてきた!
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毎年、公共の交通機関が止まるイギリスは、25日はとても静か…。
24日はギリでブレグジットの合意もあったようだけど、これも来年、2点3点しそう? 近所に週末来てくれるファーマーズマーケットも、水曜日に年内最後の営業で、妙に暖かかった水曜日は、チャリティショップで見つけた70年代のワンピースにデニムジャケット一枚で出かけた私。 そして↑の写真で左手に持ってるのは紫のケール。 抱えてるのはニンジン、手に持ってる袋には林檎や梨がたっぷりと。 ほぼ毎週お世話になっていたので、本当は十分食糧はあったけれど行ったら、お店の人たちも「来てくれてありがとう!」 う〜ん、年の瀬感。 さてさて、クリスマスの日、日本の母と電話で話しました。 一見普通そうでいて、かなり個性派の母は例の如く、「あ!思い出した!聞きたいことあってん!」と叫ぶので、「え、何何??」と私。 「不思議なことやねん!」と母。 まさか宇宙人ネタ?!と期待も膨らんだところで…、「早よ話してよ!」となるのはお約束。 「あのな、昔の絵画とかで、キリストはどうして裸なん?」 面白いでしょ、ウチの母。 面白い大阪のおば(あ)ちゃんだけど、西洋美術が好きで、ロンドンのナショナルギャラリーなら一日中いれる人。 クラシック音楽も昔から好き。 だから↑ウケ狙いの質問じゃないのよ。 きっと、クリスマスーってことで思い出したんだろうね。 そこで私も「なんでかな?」と考えてみた。 母がどの作品を手に取ってこの質問をしてたのか知らないけれど、それこそロンドンのナショナルギャラリーのセインズベリーズウィングにあるような宗教絵画の時代、絵描きは職人だった。 印象派時代のモネやゴッホとは違って…。 修道院や教会、裕福な個人の顧客からコミッションを受けて作ってたわけだから、きっと宗教施設なら、その宗派の意向はもちろん政治的立場も、個人の顧客でも、その辺を理解して描かないとお金を払ってもらえなかったと思う。 母が「ほらほら、赤ちゃんの場合でも、布の上にぽんと赤ちゃんを置いてるやん?なんでやろ?」 「じゃ、お母さんが絵描きやったら、服着せてたと思う?」と私。 母はう〜んと唸ってから「布ぐらい巻いたかも…。」 美大出身でアートの先生をやったことがあるとはいえ、専攻は工芸の染織だった私だけど、多分、色んな見方ができて、今の私が感じたことを答えた。 「生まれる時も死ぬ時も、人間身一つ。それだけ完成度が高い、すべて持って生まれてきてるよってことじゃない?」 それに、同じことがテーマの絵画は、たとえ登場人物がたくさんいても「そこらへんの子たち」と、「キリスト」を見分けやすい構図や描写になってるから、絵を描かせ、後世に残した人たちは、きっとキリストの特別さを強調したかったんじゃない?って。 そこから話はどんどん、ショパンとカナレットや、イギリスのターナーに転がるように逸れていくのも、大阪人あるある。 ふと「今、何時や?」というので、私が「お昼ぐらい…かな。」と答えると、「そうか、今から一日が始まるんやな…」というので、オイオイオイッ、どんな1日や!それ半日やろっ!と突っ込みながら話していたら、欠点の話に。 母がわざとらしく深妙な声音で「私な、もう決めてん。」 何を? 「もう出しゃばらないって決めてん。」 え?そこがお母さんの一番パワーが炸裂するところやん!と私。 私の母は、私や姉なら当然だけど、友人知人相手でも、他人がやろうとしてることを察知して、考えるより早くに「ほな助けよか?!」とか、「こうしたらエエよ!」とか、自分の中に湧き出るインスピレーションを惜しみなく出して助けてくれる。 でも、それが干渉されるようで嫌がられたり、嫉妬されたりすることはあるし、それは仕方無い。 そしてそれが「影口」となって母の耳に届くことがあると、内側で大真面目に反省するタイプ。 言う方も、嫌だと思ってるのは自分の問題で、嫉妬してることだってどこかでわかってるから、母に正面から文句を言えず、陰口になって伝わったんだろうけど、母だけでなく色んな人間関係でよくあること。 だから、私たちって結構自分の特技を欠点だと思い込んでるんだよねぇ。 そう言った私に「いや、ええねん。私は。もうやめるねん。出しゃばりはやめるねん。」と言い続けるので私は思わず笑い出してしまったの。 っていうのもね、それぐらいで「やめられる」ようなことなら、個性でもないし、誰かに迷惑かけることもないから。 「そんな簡単にやめられへんって」と私。 そう言うと母も笑い出してしまった。 そうなのよ。 才能、個性って、生命力そのものだから、やめて!と言われ「はい!やめます!」と言ったところで! 誰かが嫌な気分になったことは残念だけど、殆どの人は喜んでくれるし、何よりも、ある意味才能であることに文句言われても…! 謝りたければ謝れば良いけれど、ついでに自分の良いところを否定しちゃうのはもったいない。 じゃ、どうすれば良いか? 私は笑い飛ばしてしまえば良いと思う。 「そーやねん私、出しゃばりやわ〜。体が勝手に動いてしまうねんやわ〜」てネタにしてしまえば良いと思う。 大阪の人ってそういうの得意で、アクシデントやハプニングに遭っている最中でも、頭のどこかで「これを如何に後で面白おかしく伝えるか」って笑いを取ること考えてるもの。 自分のアクシデントやピンチも、「後々これで如何に笑わせられるか?」が視点の一つとして必ずあるよね?大阪の人? だから、お笑い芸人が知事になってしまったんだろうなぁ。 あの時、家のテレビの前で亡き父が「オイッ、ほんまになってしもたぞ!!えらいこっちゃ!こんなん選んでどーすんねんっ!」て、それでも笑いながら言ってたなぁ…。 反省して、落ち込んでしまうようなタイプの人はぜひ、この大阪メソッドで笑い飛ばしてほしい。 何だろう、これからそういう場面が増えそうな気がするの。 そんな時、周りの人や社会的にはきちんと対応しつつ、自分にだけは↑の大阪メソッドで笑い飛ばせるぐらい、自分のことをよく知ってあげてほしい。 というわけで大阪メソッド、思い出してね。 「今、そっちロックダウン中?」
これは、イギリスだけじゃなくて、ヨーロッパ圏に暮らす友人らと話す時の、挨拶に含まれているこの頃…。 後、「こっちロックダウン中だから…」とかも。 先日、数回目の封鎖最終日にあったイタリア、トスカーナに暮らす友人と話していた時、イタリアで離婚が増えていると言っていた。 イギリスもきっとそうなんだろうけれど、私の周りにはいないのでわからない…。 要するに、ロックダウンで家の中で暮らす時間が増えた結果、お互いに我慢できない!というわけ。 酷いと思う人もいらっしゃるかもしれないけれど、離婚するならして仕舞えば良いと私は思う。 というのも、コロナ以前から、離婚する要素はあったわけで、たまたま、仕事やレジャーその他のおかげで、その問題と向き合わずに済んでいただけのことだから。 コロナで封鎖にならなかったら、一生、自分の本当の気持ちに気付けなかった可能性はとても高い。 以前も書いたけれど、問題はそこにずっとあったわけ。 どのみち時間の問題だったけれど、コロナと封鎖という極端な状況により、時間が速まったということ。 でも、離婚する…というのは、いわば対処療法で、取り敢えず炎症を治めるための処置。 炎症を治める処置が始まったら、今度は事の本質に意識を向けてあげる時。 それは、自分の本当の気持ちを聞いてあげようという至ってシンプルなことのような気がする。 イタリアに暮らす友人によると、イタリアはとても不景気が深刻で、そんな中、キャッシュレス化が急速に進んでて皆、文句を言ってるそうだ。 場所にようるだろうけれど、小さい店舗では「キャッシュで払ってくれるならちょっと安くするよ」と言われることが普通にあるらしいのね。 その意味がすぐ分からなかった私に友人が「そうすれば、売り上げを計上しなくていいから」とメリットを教えてくれた。 キャッシュレス化が進めばそれができなくなる。 友人の周りには、リテールや飲食店で働いてたり、経営している人が多いみたいで、皆文句を言ってると…。 これも…ね? ここ数十年?イタリアはずっと不景気が酷くなってきてたわけで、彼女の街の飲食店では正社員を雇わず、3ヶ月ごとに首にして、皆他のレストランで働いたら出戻り…みたいな雇用形態が常態化していたビジネスも多かったと聞くと、日本の正規、非正規雇用問題と実質変わらない本質が見えてこないだろうか? そもそも、どうしてビジネスオーナーは、計上しない方法や、雇用しなくて済む方法を選ぶようになったのか?とかを見て行かないと、規則を厳しくしていっても、ついてこれなくなるか、それを掻い潜る裏技を思いつくか…だと感じるんだけどなぁ。 だから、こんな人類救済プランの話が出てくるのも偶然じゃないんだろうね。 私も今年の初めに調べてみたんだけど、GesaraとNesaraという経済救済プランについて、聞いたことがある人もいるかもしれない。 もう全部は覚えていないけど、とにかく全ての借金がゼロになり、所得税は撤廃、テスラのフリーエネルギー始め、あらゆるテクノロジーが開示される、そんな夢のような、経済のみならず、地球救済プランだった。 家も賃貸で車も持たない私は借金がないので、個人的にテクノロジーの開示の一部、フリーエネルギーとメドベッドと言われる医療技術の公開に興味があった。 どちらにせよ、これらはこのGesaraとかの一部じゃなくても、このタイムライン上で起きていくことだと感じてる。 でね、それらを「デマだ」という人と、「どっちでも良いけど、楽しみー」という人と、「お願い!それがなきゃしんどすぎる!」という人、いろいろいる。 恐らく、経済的にゆとりがあったり、まだ今回のダメージが届いてない場合は、「は?甘えるんじゃない!」と感じるかもしれないし、ゆとりまでなくても、何とか回ってる場合なら、「あったら良いなぁ」、ダメージが一早く響いた場合は今すぐに何かの救済を必要としているし…。 イギリスだけでも実に、 1,500,000だけの職業が既に失われたそうだから、地球規模でいくとものすごい数になる。 色々なことを感じるのも人それぞれだけど、私は、窮地に陥ったことが少ない場合と、陥っても助けてもらった感覚が薄い場合、人間は想像力が乏しくなると感じてる。 ベルリンのデモとホロコーストサバイバーのプリモ・レヴィの本に書かれてたことを書いたこちらのポストにも同じようなことを書いた。 困ってる人のことが想像できなくなって、果ては自殺まで自己責任だと言ってしまうようになると、私はもう十分、ロボット化が進んでると感じる。 これから先、エヌ・ダブリュー・オーとは違った、何らかの救済プランはできていくだろうけど、それらはあくまで炎症を抑えるための対処療法だから、私たちは皆、それぞれの事の本質に目を向けていくことになるんじゃないかなぁ…と私は感じてるんだけどね。 人にはそれぞれタイミングがあるから、「さぁ!さぁ!」とは言わないけれど、あなたが壁にぶつかった時、あなたの炎症(壁)にも正体(事の本質)があることを思い出してくれたら、世界の終わりでないことも思い出せるんじゃないだろうか。 |
Ray of Sunshine
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