巡り巡って、いつもここに辿り着く。 自分が作り出している感情を知る、これこれ! 先週終えた、(駆け込みで予約が入らない限り)今年ラストのセッションでも、これについて説明したばかり。 アライメントが整ってる時も、乱れてる時も、いつも自分の感情を観察して、自分が感じてる世界を知るって大事やと思う。 自分が感じてる感情は、自分が生きてる世界。 じゃ、どんな世界がいいですかー?っていうのが、ビジョンや世界観だと思うけど、それが無い人なんていないのに、世の中、あたかも「ビジョンが無いからうまくいかない…」という前提が多いと感じる。 『うまく行ってる』と本人に実感があろうがなかろうが、ビジョンが無い人はいない。 私は、ビジョンが無いからうまく行かないのではなく、 自分がどんなビジョンで生きているか理解してないから、本来の(自分の)ビジョンと、生きてる自分が(勝手に)理解したビジョンにズレがあるのが問題だと思ってる。 だからこそ、今自分がING形で作り出してる世界を正確に理解したいと私は思う。 そのキーとなるのが自分の感じてること。 ビジョンについて私は苫米地さんが言う「抽象度を高める」方がよりよい派。 細かく決めたり、ボードを作成するのは向かない派。 私の場合、細かく決めたり、ビジュアル使ってボードを作成しようとすると、どうしても「理想的な現状」バージョンという風に小さくまとまろうとしてしまうから。 それが、本当に「小さくまとまる」ビジョンなのかどうかはどちらでもよく、今、私が「そう感じる(小さくまとまろうとしてる)」と感じれる時点で、実際に体感できる世界はそれよりさらに「小さくまとまった」バージョンになる。 これは、昔ファッションコラムで読んだ「40代の人が年相応に見えたいからといって40代向けの服を着てはダメ。30代向けの服を着てやっと40代に見える」みたいなことと似てる。 個人的に、幾つになっても幾つに見えたってどうだっていいけれど、このロジックはわかる気がする。 私は自分が「うまくいってない」と感じる時に、まず、徹底的に、そう感じるモードで生きてる自分のビジョンをチェックする。 自分のビジョンを俯瞰して、「もっと抽象度を高めよう」ってやっていくと、余計なディテールは取れてく。 だからね、リリースするとかしないとかもね、関係ないなと思うよ。最終的には。 できてようができていまいが、抽象度を高めてく時に取れてくから。 それよりも、「リリースできる」ということを体感できることが大事。 それは「自分が自分の感じてることに100%責任持ちます」というステートメントでもあるから。 なぜなら、「自分にはそれを100%好きなように変容する力がありますからー」、「なんならリリースだってやろうと思えばできるんでー」ってことになるから。 これが本当にEmpoweringな生き方だと思うよ。 こないだから、鰤の煮付け?がSNSでチラついてて、どうしても食べたくなり、作ってみた。
生姜とネギで。 生姜は自家製生姜麹を代用したけど全然大丈夫だった。 若い頃、特に子どもの頃は、鰤の歯応え?が嫌いで、鰤よりも鱈とか秋刀魚、鰯が好きだった私。 料理は得意ではない私だけど、「食べたい!」と思ったらレシピを調べて自分で作ってみるガッツはある。 自分で煮付けちゃう日が来るとは…!
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今、我が家にあるBasherの本3冊のどれかに書いてあったことで、確か、「その人を信じるというのは、その人の本来の姿を見続けてあげること」みたいな、そんな意味だった(と思う)。 私はこれがまだまだできなくて、よく混乱しちゃう。 これはもちろん、自分から始まる。 つまり、どんな時も自分の本来の在り方というのを意識できるかということだけど、それは「常にスーパー波動の高い自分」という意味とは限らず、 どんな時も、本来の自分を意識していれば、ズレてる場合も「今はズレてるなぁ」と自覚できる…ってことじゃないかと思う。 それが「自分を信じる」ということにも繋がってくるのかなぁって思うのよ。 自分を信じる、自分の本来の姿を見続ける。 先日、おそらく私にとって今年ラスト参加となるムーブメントメディスンへ行ってきた。 インストラクターの恵さんが、「自分を出し切って踊ろう」という話と共に、「自分の体には100%自分で責任を持って」ということも合わせて言ってて、すごく大事なことを言われてるなぁと思った。 エネルギーワークの世界では、よく好転反応ということを耳にする。 それ自体に良し悪しはなく、それは物理的な現象で起きる時には起きる。 でも、その好転反応からの回復の際の反動が大きければ大きいほど、癖になることがある。 その反動が快感になってしまい、それが「効いてる証」みたいな錯覚に陥る。 そうすると、苦しみ悩むことが正義みたいになっちゃって、そのプロセスにハマり、本来の目的からそれちゃったりするの。 そうなってくると、新型ワクチンを打った人たちの「熱が出たら効いてる証拠だ」とかいうのと変わらないと思うから、医療洗脳って「根深いなぁ」と思うんだけど…。 この本と、「現代洗脳のカラクリ」を読んだ後に、たまたまスピリチュアル的な人たちが集まりやすい某イベントに行ったら、やっぱりねぇ、本にも出てくるラポールを繰り出している70歳ぐらいの男性がいて、イベント終了後、私ともう一人の女性を除いて全員、彼のラポールにハマっていて、「こんなにチョロいの?!」と驚きつつ、私は「じゃ、お先でーす」と一人その場を後にしたということがあった。
後から調べてみると、人の体に触れる施術師のようなことを生業とされているようで、確かに状況が許せばハーレムでもカルトでもやれそうな感じだったけど、こんなにそこらじゅうにあるの?!って改めて驚く。 この男性がやっていたのが、いわゆる「領域展開」みたいなのかな〜って思うけど、「注射は反対するけどイベメクは善」みたいな流れも、ジャニーズやヅカの問題が表面化しても尚、応援し続けられる人というのは、医療カルトや芸能カルトの領域展開にハマっていると思う。 この洗脳や、洗脳により相手に自分の世界観を見せさせる(領域に取り込む)ことをエンティティとか、エナジーバンパイアとか、表現されてると思う時がある。 人によって言葉の定義は微妙に違う場合もあるとはいえ、結局そうなのかな…と思う。 そんな時、私は好きなキャロライン・コリーのワークで聞いた「エンティティを恐れる必要は無いですよ。ダメージを受けてもせいぜい時間を無駄にすることぐらいしかできませんから」って言ってたのを思い出すのよ。 かつて私もそうだったけど、スピリチュアルが好きな人、エネルギーワークが好きな人とか、女性は特に「誰かや何かのせいでネガティブに」なったと主張しやすい。 つまり、先に洗脳をかけてコントロールできてると実感していた状況や相手が、自分の思い通りにならなくなった時に、「あの人はエナジーバンパイアだ」とか、「あの人エンティティついてる!」みたいに言っちゃうんだと思う🤣 今となっては、それもこれも結局は己の被害者意識の強さからくる自作自演で、その人もそこにいない誰かをエネルギーバンパイアに仕立てることで、自分の領域に周りの人を取り込もうとしている。 そんな被害者意識の強い人を、また誰かが自分のビジネスの「領域展開」に取り込もうとしている…リピート♾️。 じゃ、これ以上誰かの「領域」で自分の時間を無駄にしないようにするにはどうすれば良いか? 苫米地さんの本にも幾つか具体的な護身術が書かれているけど、私は周りを見てて、やっぱり「大きなゴール」がある人というのは、そういうのにひっかかりにくいと思った。 「大きなゴール」は、壮大なゴールとも解釈できるけど、漠然としたという意味での大きなゴールのこと。 これまた苫米地さんの本になるけど、彼のアファメーションの本にあるように、それは「成功」ではなく「人生のゴール」で、それは「理想的な現状」ではないものを指してる。 それがある人というのは、洗脳に引っ張られにくい気がする。 私は水瓶座だからか、一人一人が取り込まれないようにすれば「ええやん!」と思うタイプ。 それにはやっぱり「人生のゴール」を定期的に自分に思い出させてもらって、自分の本来の在り方を意識し続けるのが良いのかもしれない!と思った次第。 草津名物、花豆の塩甘納豆で一服。 不安や恐怖の正体は、実は自分が腹を括れてないということだと思う。 何に対して「腹が括れてない」のかというと、それは自分に対して。 究極、恐れや不安を無くしたいなら、「何があっても死ぬまで生き抜く」って自分と約束することだと思う。 不安や恐怖を感じてる自分(の部分)というのは、「自分」が、もし「恐れたり不安に思っていた状況」になった時に、(恐れを感じてる部分の)「自分」が「自分」と一緒に頑張ってくれるのかコミットが感じられないから、不安だし怖い。 自分の自分に対するコミットメントが意識できてないから、不安や恐怖が出てくる。 じゃ、どうすれば自分にコミットできるか? いろいろな方法があるだろうけど、私は「決めること」が効果的だと思う! 例えば「〇〇になったらどうしよう!?😨」っていう不安があったら、 「もし〇〇になったら、こうすればいいやん!」ってざっくり決めるということ。 でもきっと再び、そこに被せるように不安な自分が「でも上手くいかないかもしれんやん!そしたらどうするん?!😱」って煽ってくる。 そしたら、「その場合はこうしたらええよ!」と再び決める。 これを奈落の底までたどり着くまでやる。(=カウンターパンチが出てこないところまでやる) こうやって不安な自分に、「自分」は「どこまでも一緒に行くでぇぇ〜!!!🔥」と応えてあげるの。 この時、「本当にできるかどうか?」は考えなくて良い。 なぜなら、その不安も恐れも結局は妄想でしかない現状ないわけだから。 そうやって、不安な自分と一緒に(妄想の)ボトムまでいけば、ある種諦めにも似た心境で、その不安や恐怖を手放すしかなくなる。 ポイントは「ざっくり決める」こと。 なぜなら、ここではまず「決める」ことが重要だから。 自分に対してコミットできてない状態だと洗脳されやすいんだろうなぁって思う。
だって、自分にコミットできるかどうか決めてないって時は、「誰か」に何とかしてもらおうってナチュラルに思ってるだろうから、ありとあらゆる「お誘い」がきてしまいそう。 つい最近、苫米地英人さんの「現代洗脳のカラクリ」を読んで、私自身「うわー!私めちゃくちゃ洗脳されやすいかもー」と思ったけど、やっぱり自分にコミットし始めてからすぐに幻滅して「な〜んだ」って(洗脳が解けるように)なるようになってきた🤣 恐れや不安もそうだけど、焦りというのも誰かの洗脳だよね。 最近、レプリコンに対する懸念を書いてるけれど、これについて読んだり、考えたりした時に、恐れや不安が出てくる人は、 「あー!私、まだ自分にコミットしっかりできてないんだな」 と理解して、不安がる自分と「もうカウンターパンチが出ないです」っていうところまで問答してみて。 レプリコンというのがあって、それが承認されて…というのは事実なので、それを知った上で「自分は何があっても死ぬまで生きる」っていうのを選択しておく。 そうすると知らないうちに、自分の奥にある本質(生命力)が導いてくれる。 なぜなら、それが生命の本質だから。 で、これをたっくさんの、本当にたっくさんの人たちがそれぞれやったら、現実はどんどん変わっていくと思う。 しかし、それは今の私たちには想像できない現実で、良くも悪くも、安全にも危険にもなれる。 だからこそ、私も自分にコミットしながら、しっかり勉強し続けようって思ってるよ。 |
Ray of Sunshine
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