私の好きな考古学者(なのかな?)でTVプレゼンター、ニール・オリバーが、彼のポッドキャストで言ってた言葉。
youtu.be/YrPNVR0LJ-E 「(対価として)お金を払ってない時は、自分自身が商品なんだ」というのは、 SNS全般に言えること。 他にも、無料のアプリをダウンロードして、お財布や銀行代わりに使えるプラットフォームもそうじゃない? 無料ワクチンもそう。 どうやって「自分」が商品になっちゃうか? 「データだ」とニール・オリバー。 同じ言葉が日本にもあって。 それが、 タダほど高いものはない! で、要するに、この世に対価を伴わないものは無いのに、 「タダで享受できる」ような錯覚ができてしまってるのが問題なんだろうなぁ。 対価にもいろいろあって、例えばエネルギー丸出しの感情もそう。 「大好き!!!」というエネルギー出すと、その種類じゃなくて、同じ質量で対価を受け取ることになるから、 「好かれる人からは好かれるけど、嫌われる人からは嫌われる」となってきて、 そこんとこが薄い「そこまで好き嫌いはっきりしてません」みたいな人は、 同じ質量の「あなたのこと、好きでも嫌いでもありません」みたいな感じを対価として受け取るわけ。 すると、対価がはっきりしていて、それらがお金という分かりやすい単位でやり取りされているSNS含め、ビジネスは、こちら次第では「ホワイト」なんだなぁと思う。 労働契約もそう。 こちら次第。 こちらが目をしっかり見開いて、対価を見極めた上でコミットするかしないかを決めないと、気がつくと、自分が商品になってしまってる、というわけね。 そしてこれ↓の対価は、鹿せんべえと、若い雄鹿のよだれだった。
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Ray of Sunshine
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