ある意味戦後な今、遅ればせながら「長崎原爆記」を読んだ。
秋月辰一郎氏は長崎で被爆しながらも、他の被爆者の人たちを、秋月式栄養学=ミネラル栄養学で救った医師。 原爆については、広島、長崎にある記念館にも行ったし、本や映画もたくさん見てきたけれど、渦中で体験した人による「現在進行形」で記された記録に触れたのは初めてかもしれない。 読みつつ、当時の悲惨さとは比較できない部分も多いけれど、どこか似ていて、「ああ、今はやはり戦後なのだなぁ」という気がしてくる。 戦争の形が変わっただけで、本当にたくさんの方々が亡くなっている。 1日でダーッと、走り抜けるように読んだ長崎原爆記。 最後に、付録として加えられた永井隆氏による「ねずみ星を知らず」に、秋月氏の言葉として印象的な部分があった。 (抜粋232ページ3行目〜) 「みみず花を見ず。ねずみ星を見ず」秋月君は冷え茶をぐっと飲み干してからこんな対句を吐いた。 「戦災地に住み慣れては低い戦災者根性に引き下げられて、高く美しきものが見えません。 原子爆弾によって私というものが一面においては高められたことは事実です。しかしその後の戦災者生活によって他面汚されたこともまた否定できません。 この汚れた戦災者根性が、爆心浦上の再建に災いを及ぼしていることも疑いありません。 汚れを気にせず、低きに甘んじている私らに、どうして新しい明るい文化を造り出す力がありましょうか?…」 「口をひらけば戦災者だと叫ぶ、原子爆弾にやられたんだと自慢顔にいう。ーけんかに負けたことが何の自慢になります? 彼も人間、我も同じ人間。知恵と努力が足らなかったから、原子爆弾でやられたのではないですか?」 「世界戦争の終止符となった爆心天という意味で外人は毎日見物にきている。 しかしこの雑草荒るるがままの荒野は私ら浦上人にとって恥でこそあれ、誇りではないのです。(…省略…) 「わきがのわきが知らず。 戦災地にいては戦災者の臭さがわかりません。 私は私の体臭をしるためにしばらく浦上を離れたいのです。 (抜粋終わり) 今は戦後。 戦いは終わり、世界中で誰も打たなくなったワクチンを、まだ打ちたいと希望する人がいる、医療洗脳が深い国、日本。 ライターの中川淳一郎さんが、未だにマスクやワクチンを必要とする人は、第二次世界大戦後にずっとジャングルの奥地で戦争を続けていた横井さんや小野田さんと同じだと言ってたけど、本当にそんな感じかもしれない。 世界では、今回のワクチンの実体がどんどん明らかにされている。 イギリスでは議員のAndrew Bridgenが、人々が接種されたワクチンは、ファイザーが許可を得たワクチンとは異なるモノだったことを告発した。 All英語だけど、英語の字幕がついてる。 x.com/TranslateMom/status/1701015800273047858?s=20 ファイザーによる、22000人群のワクチングループと、22000人群のプラセボグループで試された際の結果を元に、イギリス始め、各国で緊急承認され、実際に一般の人々に接種がされたが、エルサレムにあるヘブル大学に依頼していた検査の結果、これらは実際に打たれたモノと異なることが判明したそうだ。 Bridgen議員はこれを、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulatory Agency、アメリカのFDAに相当)en.wikipedia.org/wiki/Medicines_and_Healthcare_products_Regulatory_Agencyとファイザーによる「おとり商法」だったと言っている。 証拠として、イギリスで一斉に接種が始まった日の翌日、接種後のガイドラインがMHRAにより突如変更されたことをBridgen議員は上げている。 2日目から、「接種後は接種会場で15分の待機」が義務付けられるようになった。その理由として、「アナフィラキシーショックを起こす可能性があるため」とあったが、MHRAは、ファイザーが行った治験報告に、アナフィラキシーショックの可能性については記載がなかったため、これについて知らなかったという。 Bridgen議員によると、ワクチン接種でアナフィラキシーを起こす理由はたった一つで、endotoxinが含まれる時のみだという。 *エンドトキシンとは、「エンドトキシンはパイロジェンの一種で、大腸菌のようなグラム陰性菌の外側の細胞壁の成分である」とネット情報。 つまり、世界中で接種を希望した人々がインフォームドコンセントで接種したワクチンは、ファイザーが認可を得るために治験で使用したものと、同じモノではない、又は同じスタンダードに基づいて作られていなかったことが、ヘブル大学に依頼していた検査で判明したのだという。 Bridgen議員によれば、「これにより、誰も正しくインフォームドコンセントを与えられていなかったのだということです。人々が接種されたのは、全く未治験のワクチンだったのです」と言ってる。 Bridgen議員は政治家なので、政治的、法的な観点から今回の問題に取り組んでいるけど、日本の村上康文博士や、荒川央博士は、科学的な観点から今回の問題に取り組んでいる。 荒川先生のブログはとても参考になるのでぜひご一読を。 note.com/hiroshi_arakawa/all ジャーナリスト山路徹さんによる、村上康文博士のインタビュー。 www.dailymotion.com/toruyamaji 泉大津市の南出市長さんのメッセージ。 youtu.be/ZH5lZQf1uaI?feature=shared アメリカでは、昔からワクチン問題に取り組んできたRFK Jr.がとても人気だし、世界的にも、日本でも考える人が増えてきたと思う。 私もそんなひとりで、これまで何となく意識はあったものの、ここまで酷いとは思っても見なかった。 蓋をあけてみれば、自然療法を日々の暮らしに取り入れてる人はいっぱいいて、そんな情報はあらゆるところに溢れてる。 その気になればワークショップにだって参加できる。 少しでも考えるきっかけになれば良いなと思いつつ、松のワークショップにも参加するよ。 もう秋分。 これは先週末行った山梨で撮った富士山。 夜明け1時間前が一番マジカルだと思った。
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最近、ツイッターのTLで、普段そんなこと言わない人でも、倦怠感があると「シェディングかな?」みたいなことを言ってるのをみるようになった。
シェディングだけじゃない。 ケムトレイルだってある。 9月からはまたXBB?新しい接種キャンペーンも始まるし、自己増幅型の実験だって始まってるし…逃れるのは難しい。 けれど、仕方がないとあきらめたくもない! イベルメクチンや松の効果もあるだろうけど、それらはあくまで対処療法。 なんらかの理由で手に入らない時のことも考えると、依存してしまうのはちょっと気になるから、体質改善できればと思った。 そして、身一つでできるエネルギーワークで、シェディングの影響を受けることにOKを出してる自分のエネルギーを(試しに)クリアリングしていくことにした。 やり始めた頃、5月は、シェディングの影響をもろに受けてしまった4月の症状が治り始めた頃。 治り始めた理由は、5月から在宅ワークにシフトしたことが大きいと思ってる。 でも、そうやって避けることで症状が緩和するということは、シェディングが紛れも無い事実であり、かつ、そうやって避け続けるわけにもいかない現実を物語っていた。 そこで私は「シェディングの影響を受けることに許可をしてしまった私のエネルギーは?」というテーマでエネルギーワークをしてみた。 同時に、体力もつけようと、栄養価の高いものを食品で摂るようにもして、2ヶ月ぐらい経った頃。 気づけば、シェディングの影響を受けなくなっていた。 思えば、私の中に「自分は被る」という前提があった。 シェディング、ケムトレイル、香害…なんでもいいけれど、こういったものの影響を受けやすい人には共通して、「自分は被る」という前提があり、それに対して「しょうがない」という諦めもある気がする。 私の彼はシェディングの影響をほぼ受けない人だけど、彼には「自分は被る」という前提がおそらくほぼゼロ。 少しはあるかもしれないけれど、ほぼゼロ。 この「自分は被る」という前提だけど、これがある人は、相手に傍若無人な振る舞いを許してしまいやすかったりする。 理由は、優しさなんだけど、その根底にあるのは弱さ。 その弱さには、どんな意味があるのか? 優しさの根底にあるものが、自分を犠牲にしてしまうような弱さではなく、自分も犠牲にせず、周りにも分けられる強さを持ったものになると良いなぁ!とシンプルに私は思ったの。 優しさはそのままに、根底にある弱さと向き合って、それを強さに変えていくことで、少しずつ強くなっていく。 これは私のバージョンだけどトライしてみて! 他にも、自分でいろいろ工夫できる人は、いろいろやってみて、自分にとって効果のある方法を採用してほしい。 影響を受け続けなくて良いんだよー! ほぼ人生初の花火大会に連れてってもらいました。 彼といろいろ相談して、やはり我が家から自転車で行くのが良いだろうと! 彼はレンタルサイクルなんだけど、我が家の近所では、他の人たちも同じことを考えたのか、空きがほぼゼロ! で、行きは充電切れのしかなく、彼はそれで坂道をものともせず、登っては降りを繰り返しながら、荒川まで一緒にサイクリングしたのでした。 花火はもちろん素晴らしかった! でもその行き帰りのサイクリングも私は楽しかったんだなー。 2009年からエネルギーワークしてきて、身に染みてることは、「その問題、あなたが100%所有しない限り、変えることは不可能」という話。
つまり「〇〇のせい」にしてる限り、それを変えることは不可能ということ。 だって、私たちに他人を変えることは不可能だから。 「でも私、悪くない」という話もあるかもしれないけど、裁判所に行くイメージで「〇〇のせい」にする・しないという話をしてるのではなく、 あくまで、「自分が自分の体験する世界を作っている」という、私が私の世界の創造主であるという、自分がクリエイター(創造主)なんですよ、という意味で、100%所有しなくちゃ始まらないという話なのだ。 でも、そこへいきなり行くわけにはいかない。 なぜなら、「被害者になってしまった自分」に気づく必要があるから。 創造主なのに被害者になっている自分に気づく。 というわけで、私はここのところ、アダルトチルドレン考察をしてきた。 それはプロセス的に、私がいかにして「創造主」としてではなく、「被害者」として生きてしまってるか?に気づくプロセス。 アダルトチルドレンというのは被害者だから、そこでは親が加害者となる。 でも、その親もアダルトチルドレンであり、今度はその親が加害者…という風に、マトリョーシカみたいに、それは永遠に続く構造だ。 だから、いつまでも癒されないし、変わることはない。 でも、このプロセスへ行くことはとても大事で、そこへいって、ある程度の「時間」が経つと(整理されると)、今度は別のフェーズが始まるからだ。 それが、ここで浄化と呼ぶ部分。 そんなタイミングで、津留晃一さんのデータに出会った。 今までも、何度か、私の世界に入ってきたけど、興味が持てなかった情報。 でも今回はすごい入ってきた! 津留さんが言う「あなたは記憶という過去に反応している」というの、正にぴったり。 私にできない事など無いのだ、制限など無いのだ、限界など無いのだ、全ての現実を作り出しているのは自分なのだ。誰でも、素晴らしい現実を自らの手で生み出すことができるのだ。誰の手を借りることもなく、誰かを傷つけることもなく。 そしてこの無限の力は、誰かには備わっているが誰かには無いという性質のものではありません。全ての人に、平等に、初めから、備わっている力なのです。 その事に気付く旅、その事を思い出す旅、それが人生です。 (「現実の創造者」から) これに「そんなことないもんないもん、うぇーん」状態が、被害者の立ち位置に甘んじる時。 そこに飽きたら、物足りなくなったら、自然と足は次のステップへ向かう。 だからこそ、親はじめ、家族や友人、パートナー、同僚、上司、近所の人や名も知らない人たちっていうのは、「ありがたい」存在なんだなぁと思う。 だって、そんな「私の茶番」を一緒にやってくれるんだからさ。 ちょっと長いけど、そんな風に思い出す文章。 どんな時、人に優しくできなかったか思い出してみて下さい。人に意地悪な思いがわいてきたのは決まって自分が傷ついていた時、イライラしていた時であったはずです。ですから大切なことは、あなたが傷つかないようにすることです。気分のいいときは、誰でも人に優しくなるものです。では自分が傷つかないようにするにはどうすればいいのでしょうか。あなたはこれまで他人の言葉や態度によって傷ついた記憶があるので、自分が傷つくのは他人のせいであると勘違いしていますが、実は他人の態度を契機として、あなたの内面にある否定的価値観が表面意識に上がってくることによって、あなたは傷つきます。あなたを傷つけ続けているのは、あなたの抱いた否定的価値観です。他人の態度があなたの手放すべき考え方を教えてくれているわけです。 「このくらいしてくれて当たり前」、「このくらい出来るのが常識」と思っていると、してくれない相手を咎めます。出来ない相手に苛立ちます。あなたの「あの人は冷たい」という思いがあなたの心にトゲを刺します。あなたをイライラさせる張本人は、この「してくれて当たり前」、「出来るのが常識」という考え方にあります。すべきであるといった断定的考え方があなたの心を傷つけます。どうか勇気を奮って、「そんなの当たり前、誰でもそう思っているのだから」という考え方を全て手放して下さい。あなたの思っているみんなも間違っているかもしれないのですから。 自分ひとりだけ非常識なことをするのを恐れないで下さい。誰かがやり始める必要があるのです。これまで使い古されてきた常識という固定的価値観を、白紙に戻すことによってのみ、この社会は変わり始めます。この社会を変えるのに弁舌を持って他人を動かそうとしても変わりません。社会はあなたの反映なのですから。あなたひとりがその意識を変えることによって、あなたの見える宇宙全てが変わってしまいます。地球を変えるのに、あなたひとりの意識の変容で事足りるのです。他人の抱いている固定観念を変えようと努力する必要はないのです。 (「恐れ」より) で、私の場合、創造主としてではなく、被害者として生きてしまってる時、シェディングの影響をモロに受ける気がする。 シェディングと呼ばれる現象はあるけど、それに影響を、どんな影響をどれだけどんなスピードで受けるかには個人差がある。 先日、自転車に乗っていたら、向こうから80代ぐらいのおじいさんが、ゼーゼー言いながらマラソンしてきた。 「すごいなぁ」と思ってすれ違いざま、あの、独特の咳がゴホゴホでてきたので「あ!」と気づいた。 自転車だから、すれ違うのなんて一瞬だけど、咳はすれ違い終わったら止まった。 同じ日に、今度はやはり80代前後の女性が、自転車から降りてスマホで誰かと話してるのが見えた。 私の自転車が近づくにつれ、その女性の顔が見えてきて、「ちょっと赤いな」と思ったら、目が突然、アンモニアみたいな化学物質にさらされたかのように痛くなり、しかもその女性側だけ、すれ違い終わったらまた治った。 科学的に証明はできないけど、彼らから何か出ていたと思われる。 でも以前のように、私はその影響下に長らく留まることはなかったし、翌日も全然すっきりしてた。 もちろん、体内で目に見えない何かが起きてる可能性もあるけれど、今のところ普通だ。 周りで、シェディングの被害を被っている人を観察していると、既に何らかの理由で医療に不信感を持ってた人が多い。 そんな人たちだからこそ、私も含め、接種しないことを選択したわけだけど、そういう人は、自分の中に「被害者」的スタンスを持ち続けてるのかもしれないと思った。 過去に薬害にあってたり、医療の犠牲になってたり…そんな人は、家庭や職場で、何かとチャレンジングな状況にあったり、経験したりしてる場合も多い。 逆に、私の彼始め非接種でも「被害者意識」を微塵も持たないような人たちは、全く影響を受けてないか、ごく僅かな気がする。 もちろん、科学的な調査をしたわけじゃないから「知らんけど」だけど。 あくまでも私の主観だけだけど、この「被害者意識」はやっぱり強力なエネルギーだと思った。 リリースするが勝ち。 |
Ray of Sunshine
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