最近絵を描くのが超楽しい。 よく先生から「のびのびと描けてますね」と褒めていただくのだけど、多分、私は絵を描く時、子どもの頃に夢中で工作してた時みたいなエネルギーでやってるんだと思う。 あれこれ心配してなくて、かといって失敗してもいいやんとすら思ってないという、理想的な状態かも。 今週末は、アトリエへ行く前に、前からとても行きたかったMioさん(twitter.com/musique_sympa)という方のクレイクリームファンデーション講座へ行ってきた! これ、めっちゃ行きたかったやつ!
私、あまりメイクしないし、コスメも詳しく無いけど、ファンデーションというやつに、いつも困ってる。 どれが良いのか?つけなあかんのか?どんな色がいいのか?などなど、悩みはつきん。 やっぱりちょっとでも化学物質が少ないやつを…って思うけど、それが作れるなら最高かも!って思ってた。 行ってよかった! で、今回いろいろなクレイを知ったのだけど、改めてクレイのパワーを知った。 クレイといえば、Dr.キャリー・マデイさんが、ナノ粒子除去にベントナイトクレイを勧めていたので使ってるぐらい。 Mioさんのツイッター(x)アカウントをみると伝わるけど、松試食会の松Labo美穂さん同様、実際にそれを使って日々暮らしてらっしゃるので、リアルなやってたら出てくる迷いや失敗談も聞けるからありがたい。 こういうワークショップや、いろんな情報が聞ける所謂オフ会は増えていて、コミットしやすい。 というか、コミットそのものの仕方が変わってきてるんかな〜って感じる。 以前なら、クレイクリームファンデーションを習う前に「アーユルヴェーダの基礎講座を受けましたか?」だったり、「私が知りたいそれだけを教わる」のは難しかったのよね。 私が数年前に知ったキャロライン・コリーさんも、いろんな情報を一コマごとに取れるような仕組みをもう10年以上前から作っていて、「全て履修して合格しないと使えない」ってこともないし、使えるものはどんどん活かしてというスタンス。 逆に、日々使っていると身についてくるものばかりだし、使えるか使えないかというだけのことだから、合否判定する必要もないんだね、きっと。 オープンソースな流れを感じるのはそれだけじゃなく、私が最近出会ったYoutuberのTuland Vlogも新しい感じがするのはそこ。 彼らと同世代を中心に幅広く人気を集めてるから、彼らの人気にあやかったイベントやツアー企画の提案なんていっぱいくるんだろうと思う。 でも最近の動画でも、古い遺跡を訪れ、そういった場所の見つけ方とか楽しみ方を伝えていた。 そういうの見てると、彼らには彼らの大切にしてるものがあるんだろうなぁと感じるし、それが伝わってきて、そういうところに親近感が湧くのかもしれない。 もちろん、エネルギーなので、また変わってくるかもしれないけど、それはそれで良い。 オープンソースが主流になってきてるのは、何をどう大切にするか?が変わってきてるのかもなーって。 オープンソースにする、というのは、その情報を受け取った役目みたいなものがあるのかもしれないね。 だって情報は所有者を持たないため、だれかが所有しようとしても、必ず流れ出すものだからねぇ。 情報そのものはニュートラル。 どう扱うか、伝えるかに個性が出るし、そこが変わってきてるのかも。 …と、時代のトレンドというのかな?を感じてる。
0 Comments
最近、SNSで「変なセミナーの誘いとか、怪しげなネットワークビジネスの誘いは、元気が無い時にくる」というようなつぶやきを見た。
それだけならいいのだけど、その周りに「だから、気をつけて」とあった。 同じ人のコメントだったか、冒頭のコメントに身に覚えのあった人のつぶやきのコメントだったかは忘れたけど、類は友を呼ぶの如く、同じ思考を持つ人たちのコメントが寄ってくるから、そこはどちらにしても同じこと。 この「だから、気をつけて」と言ってしまうところが、その人たちの目に「怪しげなセミナー」始め、良からぬお誘いが「嫌なこと」として映り続ける理由だと思う。 そもそも、自分自身が引き寄せたということを覚えておきたい。 同じ周波数を放ってるから、寄ってくる。 でも、「怪しげなセミナーを進めてくるエネルギーと、それを嫌悪するエネルギーって違うんちゃうん?!」って思うかもしれないけど、ベクトルが違うだけで、エネルギーの質は同じということ。 次にね、「私はどうしてああいうの嫌って感じるのかな?」深掘りすると良い。 なぜなら、それが自分自身の出してるネガティブな波動で、あなたの波動を下げてる原因だから。 目の前に、ネガティブなエネルギーが映る時、それは、私たち自身が「忌み嫌うべき」とジャッジした「自分らしさ」が形を変えて現れてると思う。 「目の前のネガティブな何か」は、そのままイコール=「自分らしさ」と言いたいのではないよ。 よ〜く観察すると、繰り返される現象の中に、自分が特に刺激される要素があるからよく観察するといいと思う。 その「変なセミナーのお誘い」も、「怪しげなビジネスをもちかける人」も、皆、あなたがそれらに気づき、やがては自分の波動を上げるために、自分が自作自演で招いた登場人物の一人に過ぎない。 もっと単純に言うと、「怪しい誘いキタッ!」って感じたら、「あ!私、自分のこと【そう】思ってるんや!」って気づく時。 もっというと、自分も「そう」思われてるんちゃうかってジャッジしてる。 もっともっというと、自分の中の本当にパワフルな何かを、「そう」だとジャッジして出さないようにしてる。 その、本当にパワフルな部分を「えいっ!」と引き出すための自作自演だと思う。 こうまで自作自演して、自分の中の高次な自分は何を伝えたいのか? それを理解したら、同じようなエネルギーに悩まされなくなるよ。 寄ってこなくなる?いや、それはわからない。 それは向こうの都合もあるから。 でも、寄ってこようがこまいが、全然問題にならなくなるの。 それが本当の意味での「自分の強さ」やと思うよ。 そうなっってくると、冒頭のつぶやきも変わるから。 そういう誘いが、「あ〜、私疲れてるのかな。確かにここのところ自分の好きなことできてなかったな。反省反省。今週は楽しいこといっぱいしよ」みたいになってくる。 振り回されないねん。 どんなアプローチでも良いと思う。
だから、やっぱり、合う合わないっていう感覚をね、しっかり持ってると良いと思うのよ。 私は、割と好き嫌いがはっきりしている方だから、自分ではそのつもりがなくても、答えが出ている…ということが多い。 元々そうだったけど、育つ過程で「そうじゃない」みたいな言い訳をせざるを得なくて、そういう「自分」から剥離していった気がする。 でも、そういう自分ていうのはそのままあったから、やっぱり「答えが出てるやん!」みたいな状況がいつもあり、剥離した方の自分は、「あれ?なんでこんなことに!」みたいな、側から見ると「白々しい」感じになっていたんだと思う。 そんな私がこの頃思うこと。 今も、「なりたい自分になろう」とかね、「本当の自分で生きる」とかね、そういった表現が溢れてるけど、今の自分をどうあなたが把握していようと、それが「なりたい自分」であり、「本当の自分」なのだと認めた方が早い気がする。 「え!でもこんな自分嫌…」って感じる場合はね、そこにそう感じざるを得ないあれこれがあるんだけど、それをワークするのも良いでしょう。 でも、詰まるところは、そう感じる自分も含めて、今、全然感じられない「本当の自分」も含めて、全部込み込みで自分なのだと認めることじゃないかと思う。 そこには、ひゃっはー!的な清々しさはなく、どちらかというと、「ああ…、自分は自分でしかありえないのだ」みたいな、ある種の諦めにも似た解放感がある。 そんな解放感を感じることに罪悪感を感じちゃうんだな。 どこまでややこしいねん!って感じ。 でも、そんなややこしさも含めて、必要な気づきや情報は、必要なタイミングでもたらされていて、自分で意識できていなくても、学ぶべきこと、知るべきことは、その時々の自分にとって可能なだけ吸収できてるんやなぁ〜ってこと。 |
Ray of Sunshine
|