歯の矯正ってすぐに効果は見えないけれど、確実に変わる。
歯並びを変えるだけで、メンタルが変わるし、メンタルが変わると、人生の体験が変わる…だけじゃなく、健康にもすごく良い影響を与える。 でも、今日「矯正しよう」と決めて歯医者さんへ行ったところで、すぐに変わるわけじゃなく、費用もかかるし、時間もかかり、矯正中はメンテナンスも必要。 それだけ、身体を持つ私たちは「手がかかる」ということじゃないだろうか。 エネルギーヒーリングにもそういう「手がかかる」部分があって、私自身も経験したことだけど、「なぜ変われない?!」みたいなジレンマとフラストレーションを抱えてしまうクライアントさんも多い。 それは、一生懸命であればあるほど陥り易いトラップで、リリースしながら、新たに低い周波数を作り出すという、マッチポンプ?! これがヒーリングのループ。 私はとても感情が豊かで感情に対して敏感な人間だ。 だからよく、誰かの冗談やちょっとした言葉に傷ついたり、怒ったりと反応しては自己嫌悪にも陥り疲弊していた。 「冗談なのに」とか、「何で怒るのかわからん」とか言われたり。 そう言われれば言われるほど、私の心は頑なになり「冗談でも、私が嫌だと言ってるのがどうして受け入れられないのだ」と、私にはハートの壁ができていったわけよね。 そうやって生きてると、世界には敵と味方がいるという前提もできあがる。 敵がいる世界って怖くない? そう、益々萎縮して「小さく」なっていく。 これはこちらのポストに書いたように、宇宙の創造活動の逆を行く行為なので、宇宙としては大変困るわけ。 宇宙も、宇宙の創造活動を円滑、かつ効率よく、しかもダイナミックに進めるには、私のエネルギーも必要なのよね。 そんな私が「宇宙の創造活動になんか参加するかー!」となってしまっていた。 因みに、ネガティブな感情や思い込みに縛られてる状態というのは、「宇宙の創造活動になんか参加するかー!」という状態。 宇宙のエネルギーを運用してる高次の存在たちからすると、「参加しない」はあり得ないから、私のハイヤーコンシャスネスを通して私を「参加させよう」とする。 それが感情として私には伝わってくる。 例えば、「やめてー」と言う私に、繰り返し繰り返し、デリカシーに欠ける冗談を言う人とかが現れる。 私は益々心を頑なにして「やめてって言ってるのにー😭」と逃げる。 逃げれば逃げるほど、益々デリカシーに欠けまくった冗談…というかハラスメントにしか思えない態度で迫る人が現れる。 だから私がどこかでまず気づかなくちゃならない。 気づくためには、その前に質問がわいてくる。 何から逃げてるのか、何が問題なのか、私はどうしたいのか? 自分がどうしたいのか?が明確になる過程で気づく。 私の在り方を変えなくてはならないと気づく。 在り方を変えるというのは、「どんな冗談もど〜んと来い!になる」ということじゃないよ。 私自身が、何に傷ついてたのか?自分はどんな風に世界を体験してるのか?そんなことを理解していくことが、在り方を変えることで、それはズバリ、自分と向き合うこと。 これを勘違いして、「そんなん嫌やぁぁぁぁー!」と抵抗し始めるクライアントさんもいらっしゃる。 なぜなら、自分が悪いと言われた気がするから。 なぜなら、自分の相手への態度を改めなさいと、責められてると勘違いしてるから。 「そうではなくて」と説明する。 自分の感じてることを一番無視してきた自分を、自分に対して無知だった自分を、そんな在り方を変えるということ。 つまり、自分自身と向き合うということ。 私はこれをエネルギーヒーリングと並行してやるのだけど、セッション以外の時間はクライアントさんたちが自身をトレーニングしなくてはならない。 これが歯の矯正で矯正具を着けてる期間みたいなもの。 不快な現実が目の前に現れる度に、怒りや恐怖で対応しようとする自分のマインドにストップをかけて、自分が感じてることと向き合う。 これが地味なんだろうなぁ。 ずっとセッションを受けてくださってる方でも、時折、自分のネガティブな感情が手に負えなくなって「お願いリリースして!」と来られる。 リリースする前に、私はトレーニングのやり方もお伝えするようにしてる。 リリースするのは簡単だけど、逃げ続ける限り、宇宙の創造活動に参加してないので、宇宙はあなたを参加させようとするから。 何度も起きることには意味がある。 それは起きる度に音量もインパクトも増していく…時は、やっぱりそれだけ宇宙の創造活動から外れてるから。 改めるのは周りへの態度ではないよ、自分への態度。 ↑冒頭の画像。引っ越した時にパティオに植えた紫陽花とヤツデが元気。 紫陽花も咲き始めました。 毎年、見事な花を咲かせてくれるので楽しみなのだ。
0 Comments
「色々参加している内に、あなたはたくさんの人たちの夢を叶えている。」
え? 夢…というと誇張されて聞こえてしまうけど、例えば、イベントをやってる人がいたとして、無料だろうと有料だろうと、やっている人たちからすれば、少しでもたくさんの人たちに参加してほしいよね。 それに例えば私が「行ってみる」と、インベントをやってる人の力になったことになる。 しかも、そのイベントへいくまでの交通、飲食その他諸々、色んな人のサービスを使うことで、ある意味、イベントそのものに関わる人たちを超えたたくさんの人たちの力になれたということで、それはエネルギーを動かしてることになる。 誰かの力になる=エネルギーが動いてる もし、私がイベントの告知を見た時に、「行く?本当に面白いのかな?いくら?無料?有料?どこ?遠いの?」とか言ってたら、明らかに「私、行きたく無いわ〜」感が満載で、エネルギーは動いてない。 考えてる間は動いてない。 だから、行こうかな?どうしようかな?とか迷ってる時、 (イベント)やろうかな?どうしようかな?とか迷ってる時、 フラストレーションが溜まる! 自分が動く(参加する)=エネルギーが動いてる エネルギーが動いてる=誰かの夢を叶えるために動いてる …のだとすれば、そうやって動いてる内に、あなたの夢のためにもたくさんの人たちが動いてくれてることになる。 でも、いちいち考えていない…というのが実際のところ。 参加する…と書いたのはそのためで、例えば、学校へ行くのも同じ。 皆が行くから行く、義務だから行く、親が行けというから行く…、何でも良いけれど、そんな風に参加してきたことの方が多いと思う。 これを、意識してやるとどうなるだろう? 参加したい!と思うイベントに参加すると決め、 それに参加してる過程で、「全ての人たちの夢を叶えるために動いてる自分」を意識してみる。 するとね、ものすごく豊かな気持ちになる。 だから、自分の夢は叶えようとしなくて良いわけだ。 願った時点で叶ってるというのはそういうこともあるのかもしれない。 もっと言えば、「参加したい!」と感じた時点で、参加したいと感じる何かが目に触れた時に、私たちは「参加させられてる」気がする。 例えば、神社で「合格しますように」と誰かが願う、家で椅子に座りながら「こんなビジネス始めよう!」とイメージする(願う)人がいて、職場で「この契約を結びたい!」と商談に臨む人たちがいる。 こうやって地球では常に誰かが何かを願いっぱなし。 そしてその願いは、14秒以上思考されれば、可能性として存在する。 そんな人々の願いをマッチングさせることで、効率よくダイナミックに叶えていくのが宇宙のなせる技。 例えば、誰かが「ライブやりたいな、良いスペース無いかな」と願う。 そして他の誰かが「ロックダウン明けにウチのカフェでイベントやりたいな。誰か協力してくれるアーティストいないかな?」と願う。 それらを宇宙のエネルギーを円滑に動かす担当者らが繋げてくれる上で、参加する人たちも必要でしょ? だから、映画やドラマでいうところの「エキストラ」になる参加者として私やあなたや皆に、「参加したい」と思わせてくれる。 何しろ、宇宙の高次の存在には肉体が無いし、地球の出来事なので地球人同士で関わらせないといけない。 だから、願わされるんだと思う。 欲しい…!と思わされる。 こうなりたい!と思わされる。 これは全部、誰かの願いを叶えるためで、それが不思議な繋がりで自分の夢を叶えることになる。 私も何かを願った時点で、それはガチャンガチャンと宇宙の創造活動に組み込まれ、そのために、どこかで誰かが何かを願わされてるんだと思うと、すごく大きな営みの一部なのだと感動する。 ↓家でもアイスコーヒーは飲めるし、本も読めるし、パティオも庭もある。 けど、カフェも良いよね。 これはそれほど近所じゃないけど、ビーガンのカフェで、時間がある金曜に行くところ。 電車に乗って、周りのお店も冷やかして、たまにケーキも食べたりなんかして、そうやって常に誰かの夢に参加してる。 変わるためには、変えていかなくちゃならない。
でもまず、何をどう変えたいのかが明確にならないと…進まない。 私はそれを明確にするのにエネルギーヒーリングを使ってきた。 「こうだ」と思い込まされてる自分の「こうだ」というエネルギーを根本的にクリアにするということは、 もう、何年もかけて生成されてきた「こうだ」という思い込みが崩壊するということ。 古いビルとかが崩壊する感じ。 すると、そこが空っぽになる。 ここ、ここからがトレーニングが必要なところ。 というのも、私たちには「元に戻ろう」とする力があって、それはバランスを保とうとしてるのだけど、 この場合は、「あ!そっちじゃない!」っていう方向に戻ろうとするから、意識して「元に戻らない」ようにする必要がある。 それをトレーニングするのに使えるのが質問のパワー。 問いかけるだけで良い。 例えば、いつも他人から「理不尽な扱いを受けている」という体験が多い時は、「どうすればこの人はやめてくれるだろう?」とか、「どうすれば、この人びに『私はこんなに苦しんでる』と伝わるだろう?」とか、とにかく相手をどうこうすることを、自分の脳に問いかけてる。 そんな時は自分の軸が正しさに標準セットされてるので、だから自分の体験は変わらないまま。 例え、相手が理解できて反省して態度を変えてくれても、同じ体験を誰か他の人や他の設定で続けてしまうのは、自分が本質を理解できてないということ。 「ヒーリングで「愛される資格がない」という思い込みも手放したのに!」 でも、まだ嫌なことする他人が現れるのはなぜ?!と言う時は、新しい質問をするのだ。 この場合なら、「う〜ん。どうすれば私にとって一番楽になるだろう?」 この質問は、正しさとか、相手がどうのこうのとか、ぶっ飛ばして、とにかく「何でも良いから最先端で自分にとって一番理想的な環境を作るには?」と問うてる。 すると脳は、これまでそんな視点の質問をされたことがなかったから、びっくりする。 「え?」って。 するとエゴがいっぱい出てくる。 「いや、この人は間違ってる!それを分からせるべきだ!」とか、「私が楽になっても、この人が理解してなければ、また同じことを他の人にするだろう!」とか。 そういうのは自分のエゴなので、どんどん手放す。 エゴは恐れと向かわせないための煙幕なので、どんどん恐れと向き合っていく。 恐れが思い込みや制限を作ってるわけだから。 そうやって、自分の脳に新しい視点をどんどん与えていく。 最初は答えなんて出てこなくて良い。 なぜなら、質問の目的は脳に新しい機能の仕方をプログラミングすることだから。 そうやってる内に、脳も新しいシステムを理解して、それに沿ったレスポンスをし始める。 そうなったら最高! 自分の目線に沿った流れを作り出せたということ。 ↓スカイプで好評のシャッタカイトのペンダント。 去年、ロンドンから自分のお国へ帰られたクライアントさんと仕事をさせて頂いてるのだけど、その人とは趣味が似ており、最初にいつもお互いの身につけてるものをネタに盛り上がる。 この日はチャリティショップの掘り出し物で盛り上がった。 私のペンダントはビンテージではないけど、その日、クライアントさんは60年代のサイケデリックなブラウスを着てて、それは「チャリティショップで見つけたのー!」と教えてくれた。 もちろん、雑談を終えてからタイマーをセット。 |
Ray of Sunshine
|