「カナダという政府の崩れようがすごい。
twitter.com/j_sato/status/1495230517398347776?s=20&t=yZy99FfFjs8okpxQD_JT_w こうなってくると、国会だとか、議員だとか、Mister Speakerとか、そういったモノに意味が無くなったんだということが、はっきりとわかります。 そういったモノ=型。 肩書き、地位、名誉、評判といったものは全て型だから、カナダという政府の崩れ方を見ながら、いやぁ、風の時代らしいなぁ〜と思っています。 オーストラリアやカナダ政府の型崩れが甚だしいだけで、この、型が急速に、その意味がなくなっていってるのは世界中、どこも同じだと思います。 現れ方がちがうのは、前のポストで書いたような「個体差」であって、どこも同じ、型崩れ…。 前ポスト、個体差については、こちら↓ creativeenergyhealing.hatenablog.com/entry/2022/02/17/094352 思えば、「エッセンシャルワーカー」といった、巧妙に、プロによって作り上げられたプログラミングも、結局、一周して「え?どんな仕事も、ビジネスも、やっている人がそれで生活してたら、エッセンシャルじゃないの?」という、当たり前のことに皆、気づいたのだから。 型崩れは目の前で起きてます。 絶対上手くいかない、じゃなくて、既に失敗している計画。 だって上手くいってたら、2020年にアレで行ってたワケで…と思ってたら、同じこと(多分)を言ってる方がいました。 twitter.com/kikuchi_8/status/1494803386000359424?s=20&t=yZy99FfFjs8okpxQD_JT_w 様々なプログラミングが込められた「型」も、かつての人類にはバンバン作動していたわけですが、人類が集団催眠から目を覚ましていく過程において、以前と同じレベルで型が作動しなくなっているどころか、 カナダ政府みたいに、どんどんボロボロ、ボロを出してくれちゃってるわけですね。 何もしなければ、ねじれは自然と元に戻ります。 何をしなければ…というのは、我関せず…という意味ではなく、自然に沿っていれば…という意味です。 その自然も、Natureというよりも、自然体という意味での自然。 ひとりひとりが、「自分らしく」在れば、おかしいことや嘘に気づけるわけです。 それらに「我関せず」と無視を決め込むのでは、自然に逆らってるわけですから、上手くいきません。 だからこそ、YesにはYesを、NoにはNoを意思表示しながら、私たちは選択しているわけですね。
2020年、ロックダウンのイギリスで、私が正気でいられたらのは、ヴォルフガング・ボーダング、ライナー・フルミッヒ、マイク・イードン他、このドキュメンタリーに出てくる人々のメッセージがあったから。
最初の方に登場する、パープルのトップを着たアスリートの言葉は、当時の私や、その他のたくさんの人々が感じていたことです。 この2年で、私の視界も大分整理されました。 ↓是非、週末見てみて!
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被害者意識の強い人は、なんでもかんでも、自分が中心。
誰かが何かを言うと、「私のことでしょ!」となり、「私は違う!」としなくて良い弁明をするのも、被害者意識の強い人の特徴です。 自分が中心にあることは、自然なことなんですが、そんなピュアな自分中心と違って、劣等感がぴったりくっついてるため、怒りがこもってて、余計な情報が満載の「自分中心」なんです。 で、そんな時、めちゃくちゃ心臓に負担かけてるって知ってますか? 今、理由は、わかってる方はわかっていますが、ある理由により、心臓発作、心筋炎など、心臓の病気(というのか?)が増えてます。 同じ理由でも、全ての人たちに、同じように負担がかかるわけではありません。 個体差です。 自分自身の中にある、怒りという感情の扱い方、関係諸々が関わってきます。 同じ食べ物、同じ飲み物を摂取しても、個体差がありますよね? アルコールが良い例で、私の友人はめちゃくちゃ飲めますが、私はスプーンいっぱいでヤバいです。 体質…と言ってしまう前に、食べ物も飲み物も、ある情報を持ったエネルギーだという視点を持ってみましょう。 例えば、ビール。 ビールも、醸造の仕方、原料、原料の産地、醸造された環境、パッケージ、それらに携わった人々全てのエネルギーが紐づいてますから、究極を言うと、缶や瓶、ひとつひとつ、情報が微妙に違うわけです。 それを、これまた「わたし」という情報のエネルギーを持った個体が摂取する…。 反応が違うのは当たり前ですね。 薬品も同じです。 錠剤、粉末、液体、気体、なんであれ、全てある「情報」を帯びたエネルギーです。 それを例えば、同じ量を同じ年代や体型の人たちに一斉に投与しても、反応に開きがあるのは、そのため。 ここ2年でよく耳にした言葉に、既往歴というのがありますが、それも「情報」です。 持病や基礎疾患なんかも、「わたし」が帯びている「情報」というエネルギーの一部なわけです。 それらと同じように言えるのが、被害者意識だったり、低い自尊心だったり、自虐だったりするわけです。 これらも全て「情報」として、私たちは持っています。 そこへ、また異なる「情報」を持ったものを投入する…。 「わたし」(情報①)が、頭痛(情報②)になり、頭痛薬(情報③)を服用したら、頭痛が治った、とします。 この頭痛の治った状態は、情報①に戻ったわけではなく、新たに作られた情報④ですからね。 わかりますか? どんどん、濁っていきます。 澄み切った、ピュアな自分、本来の自分に整えるのは、足すよりも、引く、なんですね。 だから、瞑想、クリアリング、断食、適度なエクササイズは、心身ともにスッキリするわけです。 誰かを助ける時、誰かが助けを必要としていて、助けたい時も含め、
相手から、クリエイトする力を奪わないように助けることは、とても大事だと思うこの頃。 それは、「かわいそう」だという目線じゃなしに、 その人の、その人すら忘れてしまったような、クリエイトする力を見つめながら、 その人が、自分自身の力でクリエイトし始めるよう、導いていくことが助けになります。 ジャッジすることなくサポートするって、そういうことじゃないかと思います。 それが他者に向かって表現できるようになる前に、まず、自分に対して、ジャッジすることなくサポートできなければ、他者に対してできるわけがありませんよね。 じゃ、自分を、ジャッジすることなくサポートするってどういう感じか?というと、 それは、何が起きても、自分の感情にフォーカスして、自分が感じてる感情を「そうか、嫌なんだねぇ」みたいに認めて、 それから「じゃ、どうしたい?」と、新しい選択肢を模索すること。 嫌な気分になってる自分に、「いつも同じことばっかり繰り返してバッカじゃないの!」とか、「自業自得か〜」っていう自虐ワードは、全く役に立たないわけです。 そして、クリエイトする力は経済的なマニフェステーションと密接にリンクしています。 クリエイトする力が弱っている人は、経済的にもマニフェステーションする力が弱いです。 そんな状態にある人は、自分を信じていませんから、全てをコントロールしようと躍起になっちゃいます。 ↑これ、おかしいでしょ? 自分のことを信じてない、つまり、自信無いのに、全てをコントロールできる・しなくちゃって思ってるところ。 自信が無い人ほど、マイクロマネッジしたがるわけです。 ディテールは全て、Distractions(気を逸らせるもの)で、俯瞰して、大局を見つめることが大事だと、私が感じたトム・キャンベルの話はこちらから。 creativeenergyhealing.hatenablog.com/entry/2021/12/08/113333 自分を信じることができたら、細かく「願いを叶えるノート」にあれこれ書かなくても、「自分なんだから、自分にとって最善の現実を創ってるに決まってるわなぁ〜」と、リラックスできるわけです。 自分を信じる力が弱い人は、親が過干渉だったから。 過干渉というのは、過保護という現れ方だけじゃなく、親の生き様、親の嗜好、親の人間関係の築き方…諸々が、子どもにめちゃくちゃ影響を与えてしまった場合も、私は過干渉と捉えます。 子どもの時に、自分をひとりの人間として捉えるチャンスを明確に持てなかったら、自分を認識する力が弱まるため、自分を信じる力も弱まるんだと思います。 これ、日本の教育環境あるある、ですよねぇ〜。 その呪縛から解き放たれ、己のクリエイトする力を強めたい人は、今から、全神経を自分が感じていることにフォーカスしながら生きてみてください。 自分が常に、何をどう感じているか? これが、あなたを導く羅針盤です。 後1週間ちょっとで引っ越します。 本当は、↓こんな環境に暮らしたいと思っているのですが、サイマティックス的に、私はまだまだ大都市に必要なエネルギーのようです。 ま、いっか〜!! |
Ray of Sunshine
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