私はプログラミングという言葉を使うんですが、自分の体験している現実も、世界も、全て自分自身がプログラミングした通りに進んでいます。
「そんなはずはない」という場合、それは自分が自分に対して無感覚、無意識に生きているというだけのこと。 だから、自分が何をプログラミングしているのか、わかっていないというだけのことなんです。 これは、アファメーションとか、「願いが叶うノート」とかと同じメカニズムですが、叶うというのは、プログラミングしている内容と、プログラミングしているつもりの内容が合致している状態です。 合致しないまま、ノートを書き続けても手応えを感じることはありません。 私たちは、改めて願う必要もなく、24時間体制で、常に思い(念)を飛ばしてます。 自分が、スラスラ〜っと願いが叶うノートに書き出せるようになる、遥か前から、あなたはもうそれを願ってきたんです。 叶わなかった…と言う人は、願ってきた内容と、願ってきたと思っていた内容が違うだけです。 メカニズムは変わりません。 だからまず、自分が何を願ってきたかを知ること、感じることから始まります。 それを知ることができたら、自分の世界、体験が理解できます。 願ってきたこと(プログラミングした内容)と、願ってると思ったこと(プログラミングしているつもりの内容)が一致すれば、具現化しますから、 それらが異なっていることをまず理解し、 それから、調整していくわけです。 間違ったプログラミングをリプログラミングして、 新たに、自分が意識してプログラミングしたいことをプログラミングすれば良いわけです。 というわけで、ファーストステップ。 全て、自分が作り上げたのだと、あなたの現実を、世界を、体験を所有しましょう。 「これ、私のじゃない」といって、自分のものじゃないと突き放しているうちは、何も変えられません。 これも被害者モードを止める「リプログラミング」です。
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念が強い人のところへは、いろんな人が集まってくるけれど、
念が弱い人のところへは、同じように念が弱い人が集まります。 よく、「念を飛ばされた」とか、「嫌なエネルギーを感じる」からとかで、バリアを張るように、プロテクションとか言いますが、 その前にチェック! 念が飛んでくる人は、自分も念を飛ばしている・飛ばしたことがある・飛ばせる人です。 だから、被害者ではないんです。 被害者である時、私たち人間は無力ですから、何もできません。 でも、次の一言で、被害者のプログラミングも外せる上、誰かや何かの念に影響されにくくなっていきます。 それは、「お互いさま」です。 自分も、それだけ強い念を持ってるから、飛んできたそれがわかるだけ。 念が弱い人なら被害に遭うのみ。 この「お互いさま」は、風邪レベルのウィルスで大騒ぎする人にも、思い出したいところ。 ジャーナリストの鳥集徹さんが、フツーのことを仰っていましたが、念も同じ、というわけです。 twitter.com/torutoridamari/status/1485927192144269316?s=20 世界では既にエンデミックの方向へ向かっているのに、2020年当初から、世界のトレンドを後追いするように、日本へは少しズレて実施されます。 だから、日本でも↓このようなことや、あのようなことが、どんどん出てくるんじゃないでしょうか。 パーティゲートに揺れるイギリスでは、首相も、一つじゃなく複数のパーティに参加していたことがわかり、「だったら、同時期に、集会やパーティを開いて罰金を払わされた人たちに、返金すべき!」という世論が高まってます。 twitter.com/emilyhewertson/status/1485934638811996165?s=20 「ぷっ…、言われてら…」って感じで、至極フツーの意見だと思いましたが、 ロックダウン中は、罰金も数千ポンドでしたから、普通の人は、そんなの簡単に払えませんでした。 だからあの頃、抗議集会を企画したかどで、逮捕され、罰金を払うためにファンディングサイトで、資金を募っている人たちもいました。 こうして、絡れや解れはきちんと始末していくというフェーズに、私たちは入ってきました。 自分軸で生きるってどいういうことか?
それは、被害者モードで生きていないということだと思います。 被害者モードで生きていると、自分の認識が曖昧で、常にボーダラインを彷徨ってるため、ブレやすい状態です。 この、ブレやすい状態は、自分の中で、認識が曖昧になってる状態であり、かつ、物事を良し悪しで見るというように、二極のどちらかから見てる時に起こります。 つまり、曖昧さと、二極化が同居してるわけです。 だから疲れます! 店員さん、同じ職場の人、通りすがりの人のような他人から、パートナーや家族などの近しい人までをひっくるめた、自分以外の人たちの、表情、声音、振る舞いの影響を受けやすいのが、被害者モードで生きてる人です。 影響を受けやすい、というのは、自己評価の変動が「影響を受けやすい」ということで、くるくると、目まぐるしく変わるわけです。 たとえば、「いらっしゃいませ」から「おはようございます」の、挨拶ひとつで、「あれ、私何かした?」みたいに、文字通り「被害者」になってしまうわけです。 そんな人は、他者の評価も激落させます。 たとえば、誰かが不機嫌で無礼な振る舞いをした時、被害者モードじゃない人は、「きっと何かあったのね〜」と、気にしません。 これが、自己啓発でいうところの、自分軸で生きてる人。 被害者モードで生きてる人は、そんな時、「私、あなたに何かした?!」みたいな反応をします。 相手にそう言わなくても、思った時点でエネルギーは作られてますから、言おうが言うまいが、自覚がなければ同じこと。 これが、他人軸で生きてる時で、相手を「何もしてない私に対して無礼な態度をとる怪しからん人」にしてしまうわけで、ここが二極化が出るところでジャッジ。 自分軸で生きてる人にとって、誰かが不機嫌なのは、自分とは無関係だし、それが、その不機嫌な人のデフォルトじゃなくて、何か理由があるからだと放っておけるわけです。 つまり、相手の人格まで否定しないで済むわけです。 相手の人格否定をしている時、身体症状でいえば、それは炎症を起こしてる時で、拗らせる、とも言います。 炎症、拗らせは、インナーチャイルド・アダルトチルドレンと、深くかかわってます。 |
Ray of Sunshine
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