2009年からエネルギーワークしてきて、身に染みてることは、「その問題、あなたが100%所有しない限り、変えることは不可能」という話。
つまり「〇〇のせい」にしてる限り、それを変えることは不可能ということ。 だって、私たちに他人を変えることは不可能だから。 「でも私、悪くない」という話もあるかもしれないけど、裁判所に行くイメージで「〇〇のせい」にする・しないという話をしてるのではなく、 あくまで、「自分が自分の体験する世界を作っている」という、私が私の世界の創造主であるという、自分がクリエイター(創造主)なんですよ、という意味で、100%所有しなくちゃ始まらないという話なのだ。 でも、そこへいきなり行くわけにはいかない。 なぜなら、「被害者になってしまった自分」に気づく必要があるから。 創造主なのに被害者になっている自分に気づく。 というわけで、私はここのところ、アダルトチルドレン考察をしてきた。 それはプロセス的に、私がいかにして「創造主」としてではなく、「被害者」として生きてしまってるか?に気づくプロセス。 アダルトチルドレンというのは被害者だから、そこでは親が加害者となる。 でも、その親もアダルトチルドレンであり、今度はその親が加害者…という風に、マトリョーシカみたいに、それは永遠に続く構造だ。 だから、いつまでも癒されないし、変わることはない。 でも、このプロセスへ行くことはとても大事で、そこへいって、ある程度の「時間」が経つと(整理されると)、今度は別のフェーズが始まるからだ。 それが、ここで浄化と呼ぶ部分。 そんなタイミングで、津留晃一さんのデータに出会った。 今までも、何度か、私の世界に入ってきたけど、興味が持てなかった情報。 でも今回はすごい入ってきた! 津留さんが言う「あなたは記憶という過去に反応している」というの、正にぴったり。 私にできない事など無いのだ、制限など無いのだ、限界など無いのだ、全ての現実を作り出しているのは自分なのだ。誰でも、素晴らしい現実を自らの手で生み出すことができるのだ。誰の手を借りることもなく、誰かを傷つけることもなく。 そしてこの無限の力は、誰かには備わっているが誰かには無いという性質のものではありません。全ての人に、平等に、初めから、備わっている力なのです。 その事に気付く旅、その事を思い出す旅、それが人生です。 (「現実の創造者」から) これに「そんなことないもんないもん、うぇーん」状態が、被害者の立ち位置に甘んじる時。 そこに飽きたら、物足りなくなったら、自然と足は次のステップへ向かう。 だからこそ、親はじめ、家族や友人、パートナー、同僚、上司、近所の人や名も知らない人たちっていうのは、「ありがたい」存在なんだなぁと思う。 だって、そんな「私の茶番」を一緒にやってくれるんだからさ。 ちょっと長いけど、そんな風に思い出す文章。 どんな時、人に優しくできなかったか思い出してみて下さい。人に意地悪な思いがわいてきたのは決まって自分が傷ついていた時、イライラしていた時であったはずです。ですから大切なことは、あなたが傷つかないようにすることです。気分のいいときは、誰でも人に優しくなるものです。では自分が傷つかないようにするにはどうすればいいのでしょうか。あなたはこれまで他人の言葉や態度によって傷ついた記憶があるので、自分が傷つくのは他人のせいであると勘違いしていますが、実は他人の態度を契機として、あなたの内面にある否定的価値観が表面意識に上がってくることによって、あなたは傷つきます。あなたを傷つけ続けているのは、あなたの抱いた否定的価値観です。他人の態度があなたの手放すべき考え方を教えてくれているわけです。 「このくらいしてくれて当たり前」、「このくらい出来るのが常識」と思っていると、してくれない相手を咎めます。出来ない相手に苛立ちます。あなたの「あの人は冷たい」という思いがあなたの心にトゲを刺します。あなたをイライラさせる張本人は、この「してくれて当たり前」、「出来るのが常識」という考え方にあります。すべきであるといった断定的考え方があなたの心を傷つけます。どうか勇気を奮って、「そんなの当たり前、誰でもそう思っているのだから」という考え方を全て手放して下さい。あなたの思っているみんなも間違っているかもしれないのですから。 自分ひとりだけ非常識なことをするのを恐れないで下さい。誰かがやり始める必要があるのです。これまで使い古されてきた常識という固定的価値観を、白紙に戻すことによってのみ、この社会は変わり始めます。この社会を変えるのに弁舌を持って他人を動かそうとしても変わりません。社会はあなたの反映なのですから。あなたひとりがその意識を変えることによって、あなたの見える宇宙全てが変わってしまいます。地球を変えるのに、あなたひとりの意識の変容で事足りるのです。他人の抱いている固定観念を変えようと努力する必要はないのです。 (「恐れ」より) で、私の場合、創造主としてではなく、被害者として生きてしまってる時、シェディングの影響をモロに受ける気がする。 シェディングと呼ばれる現象はあるけど、それに影響を、どんな影響をどれだけどんなスピードで受けるかには個人差がある。 先日、自転車に乗っていたら、向こうから80代ぐらいのおじいさんが、ゼーゼー言いながらマラソンしてきた。 「すごいなぁ」と思ってすれ違いざま、あの、独特の咳がゴホゴホでてきたので「あ!」と気づいた。 自転車だから、すれ違うのなんて一瞬だけど、咳はすれ違い終わったら止まった。 同じ日に、今度はやはり80代前後の女性が、自転車から降りてスマホで誰かと話してるのが見えた。 私の自転車が近づくにつれ、その女性の顔が見えてきて、「ちょっと赤いな」と思ったら、目が突然、アンモニアみたいな化学物質にさらされたかのように痛くなり、しかもその女性側だけ、すれ違い終わったらまた治った。 科学的に証明はできないけど、彼らから何か出ていたと思われる。 でも以前のように、私はその影響下に長らく留まることはなかったし、翌日も全然すっきりしてた。 もちろん、体内で目に見えない何かが起きてる可能性もあるけれど、今のところ普通だ。 周りで、シェディングの被害を被っている人を観察していると、既に何らかの理由で医療に不信感を持ってた人が多い。 そんな人たちだからこそ、私も含め、接種しないことを選択したわけだけど、そういう人は、自分の中に「被害者」的スタンスを持ち続けてるのかもしれないと思った。 過去に薬害にあってたり、医療の犠牲になってたり…そんな人は、家庭や職場で、何かとチャレンジングな状況にあったり、経験したりしてる場合も多い。 逆に、私の彼始め非接種でも「被害者意識」を微塵も持たないような人たちは、全く影響を受けてないか、ごく僅かな気がする。 もちろん、科学的な調査をしたわけじゃないから「知らんけど」だけど。 あくまでも私の主観だけだけど、この「被害者意識」はやっぱり強力なエネルギーだと思った。 リリースするが勝ち。
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Ray of Sunshine
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