「緑茶は嗜好品」ということで、お茶を経って2日目。
緑茶ロスにはなっていないけど、ルイボス茶を食後に飲んでます。 乳製品は元々食べなくなって2年ぐらい。 ただバターはパンを食べる時に食べるけど、パンを食べる量も随分減りました。 さてさて、ヒーリングって結局は、自分を愛することなんだと染み染み感じる今日この頃。 自分が好きになれない時、または、自分がどれほど自分を嫌ってるか分からない時、私たちは自分の声を聞いてない。 自分の声は気持ちのこと。 私もずっとそうだった。 我慢して、我慢して、我慢してることに無感覚。 でも我慢してるから、恨みも募る…、それにも無感覚。 自分が好きになれないって、自分にとってめちゃくちゃ辛いことだから、無感覚でないとやってられない。 自分を好きになれないというのは、そんなシステムだから、いずれ破綻する。 それが体に症状として出たり、人間関係がしんどくなったり…。 今、一生懸命自分を受け入れようとワークしているクライアントさんとセッションをしていた時、後ろに見えた何かが気になったことがあって。 それはインテリア雑貨の一つなんだけど、最初からすごく気になった。 セッション後に雑談してる時に、それについて尋ねた。 「あれは何?」って。 すると、お友だちがお土産に買ってきてくれたもので、クライアントさんは「ハッキリ言って好みじゃないけど」せっかくくれたし色合いは気に入ってるから飾ってるの…と教えてくれた。 答えてから私に、何か悪いエネルギー(スピリット)とか憑いてる?!と聞くので、こう答えた。 「それは無いけど、私はあなたの思いを感じ取っていたよ。」 私の言った「あなたの思い」というのは、「好みじゃないけど、せっかく買ってきてくれたから申し訳ない」ね。 ご本人が好きで選んだアイテムじゃないから、すごい違和感を放っていたわけだ。 昔、オーラの泉か何かで美輪さんも言ってたことだけど、「モノをもらう時は、その人の念も貰っている。」 これも一理あるけれど、私は必ずしもそうならなくて良いと思ってる。 お土産やプレゼントは頂くと嬉しいし、こちらもお土産を選んだりするのは楽しいよね。 だから、やっぱり「こちら」次第なんだと思う。 受け取る側次第。 モノはモノとしてのコンシャスネスはあるけれど、魂は無い。 だからニュートラルと言っても良い。 そこにどんな意味づけを自分がしているか? また、それに自分が気づいてるか? キープするもよし、断捨離してしまうもよし。 モノを送る側としても「受け取るか受け取らないかは相手次第」なのだという体でいれば、受け取った時もそれをどうするかは自分次第になる。 あ、気持ちに感謝するのは別の話ね。 自分を好きな人が取る行動をするなら、まず自分の声が聞けるようになること、これが第一だね。
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Ray of Sunshine
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