現在、イギリスに暮らす私のスマホには、複数のエリアの時計が登録されてる。
時計の計算は昔から苦手で、小学生の算数のカリキュラムで時計の計算が始まった時、鬼の形相の母と、教材であったプラスティックの時計を間に格闘した、嫌〜な思い出がある。 きっとあれは、母にもトラウマになってるはず…。 もちろん、時計の計算は克服したけれど、6歳の頃の私には全然有意義じゃなかったのよね! 「それができなくても、困らへんやん」ぐらいの。 それだけ。 そして今、スマホには凡ゆる都市の時間帯を掲示できる。 当時の私は知ってたのかも…、なぁんて。 おかげさまで、私は異なるタイムゾーンでのミーティングに遅れない! そして、いろんなタイムゾーンが増えるのは楽しくもある。 まだ行ったことが無いエリアもたくさん。 私は、人間って旅をするように作られてると思ってる。 美食グルメショッピングの旅とかじゃなくて、旅をしながら、その土地に暮らす人々と交流しながら、文化や言葉を学び、世界は広いのだ、皆で一緒に地球に暮らしてるのだという一体感を感じるために。 私は、学生の頃に訪れたモンゴルで、遊牧民の同じ年ぐらいの女の子たちと、大地に枝で数字とか形を書きながらコミュニケーションしたのを覚えてる。 すごくシンプルな内容しか話してないけれど、お互いに嬉しかった。 通じたのかどうかも分からないけれど、繋がれたのが嬉しかった。 友だちになれた。 姉は学生時代に中東を女友達と二人で旅したのだが、その時にヨルダンだったか、イスラエルだったか、どこだったかの砂漠の公共の交通のないところで、必要に迫られてヒッチハイクをしたのだそう。 その時にたまたま拾ってくれたファミリーが家に二人を招いてくれ、綻びたキュロットを履いていた姉に「女の子がそんな破れた服なんて着るもんじゃない」と、手縫いで綻びを繕ってくれたのだそう。 自分の家族みたいに、自分の娘じゃないけど、娘みたいに接する。 嬉しいよね。 これが旅の醍醐味。 地球で、異なる文化や言語を持つ人々と平和に仲良く豊かに暮らすという感覚は立体的で、正に丸い地球が象徴するエネルギー。 差別や侵略は平面的な思考であり、稚拙な嗜好で、それは平面な地球のエネルギー。 言葉も、文化も、考えも、千差万別だけど、根っこにある愛はひとつ。 だからこそ、分かり合える感覚、繋がれる感覚が喜びになる。 今はいろいろ面倒な制限があるけれど、私たちは決して旅をやめることはないだろう。
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Ray of Sunshine
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