というわけで、抽象度を上げることを意識してるこの頃。
それをやり始めると、自然と「何でもあり」という気になってくる。 この「何でもあり」というのは、「全て含む」という勢いのエネルギーで、それは排斥しないエネルギー。 包括的というのか。 だからどんどんジャッジ(固定概念、観念、思い込み)が取れていく気がするし、ここが一番のポイントだと思う(ジャッジがとれる)。 ええ感じや! そんな風に視野が広がると、入ってくる情報も広がる。 で、2ちゃんねるに書き込まれたという不思議な話の話を知った。 元は、ツイッターでフォローしてる山田さんのツイートから。 彼は元レベッカのベーシストでNOKKOのお兄さんだ。 すごい面白いことをツイートされてたり、ブログに書かれてるけど、何度も読まないとわからない。(難しい…けど面白いから少しずつ見てる) twitter.com/koji_yamada_7/status/1689968853189890048?s=20 2ちゃんねる自体よく知らなかったし、私はオリジナルよりも、ダイジェストのダイジェスト的なまとめしか見てないけど、とても興味深かった。 その中に出てくる、ゆんゆんという存在の言うことも面白かった。 www.youtube.com/watch?v=cjxWJFyAa8I&t=0s 例えば、皆が正しく自分の幸せを望めば、自然と世界は平和になるとか、生きている者ほど尊いものはない、とか。 私はずっと、 全てのバージョンの「今」(それは未来でもあり、過去でもある)があって、未来というのは、その可能な前バージョンの中から自分が選ぶものっていう感覚があって、 その全バージョンが多次元構造の方眼紙みたいなのの座標になってて、私たちはその座標を縦横無尽に移動するイメージを持ってた。 その可能性として存在する全ての座標はいくつあるか? 正に無限よね。 その2ちゃんでも、ほぼ分子レベルの一見何が違うのかわからないような差の場合もあれば、著しい差を持ったものまで様々あるって言ってた。 私もそう思う! キャロライン・コリーも、脳の中枢で集中して一定時間思い描いたことは可能性として存在すると言っていたから、全ての可能なバージョンは増え続けるものでもあるのかも知れんし、すでにある中からそれこそ選んでるのかも知れん。 どちらでも同じ気がする。 例えば占いというのは、その全バージョンある中から、「今」の座標に到達した流れ的に、「次はどのバージョンを選びそうか?」みたいな感じ。 で、その「選びそうな未来」を選びたくなかったら「今の座標」を変えないといけない。 「未来」は決まってないし、過去は変えられない。 で、ここが苫米地さんの本に書かれてたことが、思考の運用法として参考になるんやけど、ゴールを現状の外に設定して、現状を変えることで、過去の「自分の体験」が変わる。 過去そのものが変わるのではなく、その体験の意味?が変わるんやね。 例えば、ある体験をして、それは最初「屈辱的な失敗」と記憶に登録されてた(意味付け)かもしれんけど、現状の外に設定したゴールを達成する頃には、その過去は「この瞬間のために必要なことだったんやなぁ」ってなってる。 その過去に対する自分のジャッジは変わったけど、過去そのものは変わってない。 つまり、 変えなくてええやんか!その選択で良かったんよねってことになり、とても「肯定的」なエネルギーの中、日々をクリエイトし続けることができる。 だから、益々より良い選択を選び続けられるようになっていくという、良い循環が生まれ、巡りだす。 さて、昨日は彼と佐原へドライブ。 佐原は小江戸と呼ばれる重要文化財に指定される街並みがあるところ。 伊能忠敬ゆかりの土地で、記念館があり、展示はとても見応えがあり、国宝の地図!もあった。 それまで、私、伊能忠敬が歩いて日本地図作ったの、ちょっと「胡散くさー」って思ってた。 でも、メモ、下絵、道具を見たら、納得! すごい、あれは。 ラストは利根川土手にあった、香取神宮の一の鳥居。 夕日のタイミングと合って、すご〜い神秘的だった。(というか大きくて少し怖かった) ここから参道が始まる香取神宮は、彼に教えてもらったけど、官幣大社といわれ、とても格式が高い神社という位置付けなのだそう。 確かに、とても広くて特別な感じがした。
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Ray of Sunshine
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