![]() 最近、日本で大流行りだというキメツのヤイバというアニメ。 とにかくものすごい人気…というので、冒頭を少しだけ見てみました。 絵は透明感があって美しいけれど、あまりの血生臭さに、口の中も鉄分の味がしてきそうで冒頭の一家が皆殺しにされてしまったところを主人公が発見したところで見るのをやめました。 あらすじを読んだ限り主人公の妹は生き残るようだけれども、これを幼稚園から大人までがハマってるのかぁ…と聞くとちょっとため息が…。 これは昔から行われてるトラウマのプログラミング。 「死んだらどうしよう…。」 「愛するものを守るために戦わなければ…!」 小さい子どもにとって、家族がいなくなる、ましてやお母さんがいなくなる…は、世界の終わりを意味するに等しいトラウマです。 たとえストーリーであっても…。 病弱な親や不治の病の親というストーリー設定も、潜在意識に恐怖を植え付ける。 この主人公はすでに父親が亡くなってる様子で、健気で気立てもよく皆に好かれている…そんな主人公がとんでもない不幸に見舞われる。 悪いのは…オニ?ここにもプログラミングが…。 どうして子ども向けといわれるアニメはこうトラウマチックな設定なんだろう。 って、思いませんか? 単に日本中や世界中を旅しながら、いろんな文化とそこに暮らす人々と触れ合うアニメがあってもよかろうに…。 母を訪ねて三千里のマルコ、フランダースの犬のネロ、アルプスの少女のハイジ、あらいぐまラスカルのスターリング、あしながおじさんのジュディ、小公子のセディに、トトロのメイ…と枚挙に遑がない。 これらのストーリーに出てくる子どもたちは皆、健気で一生懸命な、いわゆる子ども。 そんな彼らをいじめる理不尽なぐらい意地悪な人たちや、そうかと思えば愛情や理解を示してくれる他人…。 これらは静かに、私たちの意識に混乱を招く。 潜在意識に、それまで存在しなかった「恐怖」を植えつけて、幸せは「努力」しなければ手に入れることができないとか、その他諸々刷り込んでしまう。 製作者、例えばアニメーションを作ってるひとりひとりの職人さんたちは、そんなこと思っていないから、「誰が悪い」論では語れません。 これはプログラミングです。 それまでは「幸せ」だったんだから。 怒りという感情然り、恐怖という感情も、それに蝕まれている人間は、他人の思惑にハマりやすいのです。 そして、こういう設定のストーリーが後をたたないのは、もちろんニーズもあるわけで…。 皆、自分の人生を感じる生き方をしなくなってしまったから、ドラマを外へ求める。 私たちが求めるから作られる。 そろそろ、悪者や家族を失うトラウマを必要とする自分たちを癒す時です。 私たちはもう十分、バーチャルな仮想現実を生きているのですよ。 これからアバター的現実が始まるのではなく、これまでずーっとそうやって生きてきた、それに気づくことがそこから抜け出す第一歩。 この動画で、私たちがいかに「遊園地で乗り物に乗るように」生きているかも話しました。 一旦このプログラミングに気付き、それらのプログラミングを解除していけばOKです。 ホラー映画もプログラミング色が濃いものが多いです。 プログラミングが取れれば取れるほど、プログラミング色が濃い作品ほど楽しめなくなりますが…。 その代わり、もっと面白い、宇宙に一つしかない「自分の人生」が始まります。
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Ray of Sunshine
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