![]() 神々しいエネルギーを感じた時、反応は大きく二つに別れる。 一つは、畏れ多いと感じる。 もう一つは、感謝。ひたすら感謝。 畏れ多いと感じた人々は、神々しいエネルギーを自分たちとは異質な特別なものと捉え、限られた人たちが触れ、その限られた人たちからその他の人々へ伝えるため、ピラミッド型のコミュニティに。 感謝を感じた人々は、神々しいエネルギーを祝福し、大切な家族のように親しみを抱き、それぞれが関係を築けるよう、輪っか型のコミュニティに。 日本人はどちらかというと後者で、神々しいエネルギーを身近に感じることができるんだろう。 本来は…。 ところが、それを良しとしなかったコミュニティは、数世紀に渡り、いろいろややこしいプログラミングを張り巡らせて人々の心に壁を作った結果、神々しいエネルギーと親密にコミュニケーションが取れない…、いや、取らないようになってしまった。 日本では、このプログラミングを呪詛と呼ぶ人たちが多いと気づいたこの頃。 しめ縄や鳥居にはそういう作用があると言う人も多く、それはあながち間違っていない気がしています。 でも、神々しいエネルギーに触れた時に、感謝し祝福する人には、ポータルとも言うべきエネルギーのポイントが備わってる。 だから物理的なしめ縄や鳥居はひとまず置いておいて…、やっぱり、封印されてしまった神々しいエネルギーを解除するには、自分自身のプログラミングを解除していくことから始まると私は感じてます。 日本人の内側にある「しめ縄」(プログラミング)を外していくと、物理的なしめ縄や鳥居による、外にあるプログラミングも、解除されるべきものから解除されていくだろうと…。 本来、神々しいエネルギーと家族のような関係にあった日本人も、ここ数世紀はピラミッド型のコミュニティに馴染んでしまってました。 神々しいエネルギーを自分たちとは異質な特別な存在として捉え、自らを卑しい存在かのように扱うことに慣れてしまいました。 これが、地球に生きる人類共通の思い込み「I'm not good enough」= 私は十分じゃない、私は良くない…の根っこですね。 神々しいエネルギーに感謝し、家族かのように信頼し、親しむ…、これはとんでもない癒しのエネルギーな気がします。 そして、このエネルギーとの関わり方が、日本人に元々備わっている能力なのであれば、それはやっぱり日本人から広まっていくのだろうなぁ…と感じるこの頃です。
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Ray of Sunshine
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