境界線という概念は、日本だとあまりメジャーじゃない。
英語だとBoundaryといって、割と親子や家族でも意識するような空気が元から強い。 そっちの方が良い、こっちが悪いというよりも、アダルトチルドレンにとっては、今一度、Boundaryについて考えてみる必要があるという意味で書いてみる。 よく、自分探しというし、私もかつて「自分が無い」と思って探した時代があった。 でも、自分なんて見つかるはずはなく…。 正確には、自分というものは確かにずっとあったけど、境目がよく分かってなかったと気づいた。(意識できていなかった、ということ) でも、自分と他者、相手の境界線がはっきりしないということイコール、「自分は何者なのか」という感覚をはっきり確立できていないということなので、それが結局「自分が無い」という感覚にもつながっていたのかもしれない。 アダルトチルドレンにとって、恐れは、生きるか死ぬかという恐れ。 *恐れに関しては、アダルトチルドレン以外でも死と直結してるから恐ろしいことは変わらない。 私の場合、境界線問題も、やはり「見捨てられる恐怖」につながっていた。 怒りに対する思考のアレルギーがあり、その根っこには、機能不全家庭だからこそ、その怒りを解決できないがために充満していた怒りが燻っていたので、怒り=愛していないとなり、自分の怒りを極限まで抑圧し、抑えきれなくなって激怒として漏れてしまうまで、怒りを表現できなくなってしまっていた。 *そう言うエネルギーが、炎症として出ることもある。私の場合は、ある時期、毎年年末になると出てた蕁麻疹とかそう。イギリスへ行ってから出なくなった。 怒りは激怒よりも良いし、怒りそのものと「怒りを表現すること」は全然違う。 怒りを表現する(=相手に伝え、相手の声も聞き、双方で話し合う)=嫌われる(愛されない=死)、だったわけだから、私の中で、境界線を認識する(主張する)ことイコール、見捨てられる(愛されない)イコール、死を意味していたということでもある。 リリース。 道のりは続くのでリリースしたら、今度は歩き続けなくてはならない。 自分の境界線を意識することは、他者の境界線も意識すること。 親密な関係であればあるほど、確かめていくことが欠かせないと思う。 前回も書いたけど、リリースは始めの第二歩ぐらい。 ここから意識して、リリース前の癖を変える行動をしていく。
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Ray of Sunshine
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