しかしどうして人間が考える対策?対応?って、どれもこれも対処療法だけに留まるんだろう?
そう、対処療法が悪いわけじゃない。 でも、対処療法は対処療法だって、頭痛がする時に服用する頭痛薬でしかないわけで…。 私はエネルギーワークをする者としては珍しがられるけれど、「頭が痛くてたまらない時は我慢せず、頭痛薬をのんで取り敢えず痛みを抑えてから、そもそも何故頭痛がしたのかを見ていきましょう」というスタンス。 対処療法も使う…けれど、それはバンドエイド的。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 疫病にはワクチン、健康になりたければサプリ、給料の高い仕事に就きたければ資格や学歴…。 全て表面的で、根本的な部分に触れていない。 例えば、今年の初め、封鎖に踏み切ったイギリスでは各地でボランティアを募りました。 元々ボランティア精神は根付いているこの国で、ボランティアはすぐに集まりました。 最初は皆、封鎖は3週間程度と言われていたので、「それならば」と名乗りでたのでした。 この場合、封鎖に纏わる諸々のニーズは症状で、ボランティアはバンドエイドにあたります。 根本的な原因は、それらの向こう側にありました。 自己検疫期間中の一人暮らしの人の買い物を手伝ったり、持病の薬を届けたり、検査の行き帰りを送り迎えする役から、精神的に不安定になった人たちの電話サポート…。 ある人は、防護服を作るボランティアに参加したと言ってました。 私は、電話サポートをやることにしました。 サポートしてみると、私が担当させて頂いた人々の2/3は金銭的に困窮していることからくる精神的ストレスで、家族と疎遠になり孤立してしまった感じで孤独に苦しむケースは意外と少なかったんですね。 ボランティアを管理するプロジェクトマネージャーたちも、普段は他の業務を行政内でやってたりするんでしょうね、色々スンナリ行かないことももちろんあったり、サポートはしてくれるけれど、一人一人のニーズや性格はユニークで中々難しいところもあるのは当然のこと…。 そんな人々との触れ合いや、既存のシステムを体験してみて感じたのは、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということ。 その問題が個人レベルであれ、法人レベルであれ、行政レベルであれ、国家レベルであれ…。 それが、コロナによる封鎖という極端な状況で、ブォンッと破裂した感じでした。 私が言った、「今、問題だと感じることは、コロナの前から既にあった」ということは、頑張りが足りない…という意味ではありません。 例えば、移民の手続き中ということで、元から仕事はしてはいけなかったけれど、知り合いのお店でこっそりバイトをさせてもらっていたらしい人がいたのだけど、この人は封鎖により店も閉店してしまい完全に収入の道を閉ざされてしまったと言っていました。 もちろん、イギリスにもチャリティはたくさんあるから、行政のソーシャルワーカーが見つけてきた、この人たちも応募できるチャリティに応募したものの、電話サポートとして最後に電話をした時、「カエコ、私たち家族はどうすれば良いの?」と聞かれ何も言えず…、というか、電話サポート要員は基本的に「話を聞くだけでアドバイスや個人的な視点は言わないでください。」と言われていたものだから、「ごめんね、私よくわからないから何も言えないけれど、担当者にお願いして詳しい人に電話してもらえるように頼んでおくわね。」としか言えなかった。 そんな時、部外者であれば、言いたいことはそれぞれあるだろうけれど、彼らも、彼らの事情があっての選択で、それを処理している行政側も、サポートをしている団体も、それぞれの事情があってのこと。 他にも、一人暮らしの方と話していた時、その人の家にはインターネットが無いから困った…みたいに言われ、私が「お隣さんのネットワークを使わせてもらったら?少しお金を負担すれば嫌がる人はいないわよ」と、ついつい、自分の経験からアドバイスをした私に、その人はピシャリと「あ、彼らとは折り合いが悪いの!」 私も人間関係では苦労してきたタイプだから、偉そうなことは言えないけれど、つまり、問題は既にあったわけか…と。 コロナ前は自分で何とかできていた人はそれなりに、逆にコロナ前は誰かの助けありきで生きていた人たちもそれなりに、それぞれの「根本的な問題」を直視せざるを得なくなったように感じます。 良し悪しの問題ではなく、「困ってしまった…」ということは、それぞれにとってのシステムとして脆弱だったということ…。 一人だからとか、誰かに依存してるから…という問題ではありません。 個人レベルもそうですが、社会レベル、国家レベル、地球レベルでも同じこと。 問題は既にそこにあった。 コロナが何であれ、どういう理由で出てきたのであれ、これは衝撃的でしたよ。 SNSを見ていると、10年前からとか、30年前から、世の中の動きに疑問を抱き、自給自足の生活基盤を作ってきましたという人がたくさんいらっしゃってすごいと思う。 私は10年前も、30年前はもちろん、そんなこと1ミリも感じずに生きてきました。 もちろん、それも何か意味があってのことだから、後悔もしてなければ、不安もないけれど、今年は、去年に私が感じた予感通り土星の喝が入りました。 土星の喝とは、土星の公転周期に因んだ「この先29年間持ちこたえないものは、見直しを余儀なくされる」というもの。 私自身、この先29年持ちこたえないであろうガラクタシステムをスッキリ掃き出すことができました。 そう言い切れることに、今はただただ感謝です。
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Ray of Sunshine
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